芸術起業論 (幻冬舎文庫) [Kindle]

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  • 幻冬舎 (2018年12月6日発売)
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Amazon.co.jp ・電子書籍 (207ページ)

感想・レビュー・書評

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  • 京都の展示会を観た帰りに買った『芸術起業論』(村上隆)が頭ぶん殴られる衝撃だった。クリエイティブで身を立てるヒントというか真髄が詰まった一冊。

    一番印象的だったのは、芸術の世界の唯一のルールとして言語化されていたこの言葉。

    「世界で唯一の自分を発見し、その核心を歴史と相対化させつつ、発表すること」

  • 世界的日本人アーティストの芸術におけるビジネス論。
    日本人のアートが世界に通用するための土壌づくりから未来のアーティスト育成まで、リアリストでありながら極限を求める姿勢に脱帽。パワハラや人権の向こう側にある世界、おっかねぇ。名著。

  • ■職業柄、日本人であることを、アピールしていく仕事なので、日本人である自分というものを常に考えています。
    ■アニメのフィギュアをセクシュアリティを薄めたりしながら西洋の芸術のフォーマットに乗せる。オタクには中途半端に見えるが、西洋のアートとしてはストライクになる。
    ■誰かに伝わるメッセージをつくるため、Spotifyでアメリカの流行歌をたくさん聴いたりする。
    ■今考えていることを正直に表現することがもっとも大事。【以上インタビューより】

  • 私自身芸術に携わる仕事に就き、30代を目前に控え、仕事に本腰を入れようと考えていたなかで購入した本です。

    感情的な話ではなく、アーティストとして独立して成立するために、どのようなことを学び、自分と向き合い、経済的に自立し、協力を得ながら制作する必要があるということが、タイトル通り「芸術企業論」として淡々と語られていました。

    村上隆さんをあまり知らなかったのですが、アーティストとしてここまで赤裸々に語る方はあまり見たことがなく、キラキラしたものを作っている裏ではこんなに泥臭いことをやっているのかと、芸術に携わる厳しさを学ぶのに為になることが多く書かれていました。

    表面的なポップな作風とは裏腹に、日本と海外の歴史や文化、思想、文脈から導き出された作風だということが伝わりました。芸術に対して緻密で忠実な理解に基づいていることばかりで、自分ももっと勉強せねばと刺激を受けました。

    そして村上さん自身の中にある欲望として、「生きていることが実感できない」と記述されていますが、本書の内容にまとめられた彼の生き方そのものにも起因しているようにも感じました。芸術家に限らず1人の人間として、何が「自分が生きる欲望」なのかを問い、それを求めていくというのは、強弱はあれど普遍的な人生のテーマのようにも感じました。

  • 「若いアーティスト志望者がまず認識するべきは、アーティストも一人の社会人であり、実社会でタフに生き抜くべきだということです。タフネスこそが芸術家の勝つ秘訣です。
     社会の中で天才として生き続けるのは、ほとんど無理、不可能性が高いことです。
     スポーツ選手が綿密な計画と鍛錬を基礎におくように、芸術家は美術史の分析から精神力の訓練に至るまで独創的な作品のための研究修業を毎日続けるべきです」

    「日本の美術大学は生計を立てる方法は教えてくれません。美術雑誌にも生き残る方法は掲載されていません。なぜか?
     ここにも理由はちゃんとあるのです。
     美術雑誌の最近数十年の最大のクライアントは美術大学受験予備校、そして美術系の学校です。
     大学や専門学校や予備校という「学校」が、美術雑誌を支えているわけです。金銭を調達する作品を純粋に販売して生業とする芸術家は、ここでは尊敬されるはずがありません。これは日本の美術の主流の構造でもあるのです。「勤め人の美術大学教授」が「生活の心配のない学生」にものを教え続ける構造からは、モラトリアム期間を過ごし続けるタイプの自由しか生まれてこないのも当然でしょう。
     エセ左翼的で現実離れしたファンタジックな芸術論を語りあうだけで死んでいける腐った楽園が、そこにはあります。
     世界の評価を受けなくても全員がだらだらと生きのびてゆけるニセモノの理想空間では、実力がなくても死ぬまで安全に「自称芸術家」でいられるのです。
     成都が教師になり続ける閉じた循環を奨励する雑誌の中で、「芸術家の目的は作品の換金だ」と主張できるはずがありません。その現場に教師たちが直面していないからです。つまり日本の美術雑誌とは、美術学校での活動をくりかえすための燃料に過ぎなかったのです。
     芸術家も作家も評論家も、どんどん、学校教師になっていきますよね。日本で芸術や知識をつかさどる人間が社会の歯車の機能を果たせる舞台は、皮肉にも「学校」しかないのです。
     文化人の最終地点が大学教授でしかないなら、若者に夢を語ってもしかたがありません。
    「今の若い連中のやっていることは、だめだよなぁ。俺たちの夢は、こうだったんだぞ!」
     大学機構に守られている表現者が夢を語っても、それは本当に夢でしかありえませんから。
     今、起業家たちがもてはやされつつも嫌われているのは、夢を実現させているからだとぼくは思うんです。夢があるならこんなふうに実現すればいいというマネジメントが立証されてしまったら、先生と生徒たちが何十年も飲み屋で酌みかわしてきた夢のような話が一瞬にして無になりますからね。
     戦後何十年かの日本の芸術の世界の限界は、「大学教授の話は日本の中で閉じている酒場の芸術談義に過ぎなかった」と認められないところなのです。
     ただ、芸術家が飼いならされた家畜のように生存できる日本美術の構造は、最高にすえたニオイのする「幸せ」を具現化した世界かもしれません。
     差別化をしたら、勝者と敗者が生まれます。
     競争社会にいれば、結果が出て、勝っても負けても終わりがくるわけです。
     終わりのない家畜の世界がいいものなのか、終わりがあるけど力を試せる世界がいいものなのか、これはほとんどジョージ・オーウェルの『動物農場』みたいな幸福の選択で、どちらを求めるのかは各人の目的設定によるものでしょうけど」
    「ぼくは美術大学を反面教師にすることで生きのびて、芸術の核心は自分で見つけましたが、発見したのは「芸術をやる目的」でした。
     これがなければどんな技術も役立ちません。
     目的がわかりさえすれば、あとは文化人や知識人がすぐに口に出す「そうは言ってもねえ……」という言葉から離れて思いきりやってしまうことこそが、芸術の世界にも通じる勝利の法則だと思います」

    「既にあるものをありがたがりすぎ、品のいいものだけをやりすぎたりしていれば、アタマ一つ抜けだせないのは当然です。
     既存の流派を真似すればその中に埋没します。
     保守本流の聖王の絵画の宗派と相対した時、ぼくは新興宗教を作ったようなものです。叩かれるのも目立つのも当たり前、です」

    列に並ばないこと。流行りものは別の人にまかせて、あとからそこに群がる人にだけはならないこと。フリーランスとして生きていくために、自分に命じていることの1つだ。

    「一作品一億円の価格を理解するには、欧米と日本の芸術の差を知っておく必要があります。
     欧米では芸術にいわゆる日本的な、曖昧な「色がきれい……」的な感動は求められていません。
     知的な「しかけ」や「ゲーム」を楽しむというのg,芸術に対する基本的な姿勢なのです。
     欧米で芸術作品を制作する上での不文律は、「作品を通して世界芸術史での文脈を作ること」です。ぼくの作品に高値がつけられたのは、ぼくがこれまで作りあげた美術史における文脈が、アメリカ・ヨーロッパで浸透してきた証なのです」

    「日本では好き嫌いで芸術作品を見る人が大半ですが、これは危険な態度です。主観だけで判断するなら、目の前にある作品の真価は無に等しくなってしまいます。
     主観だけでは、わかりやすいもののみを評価することになってしまいます。それは時代の気分やうわさ等、不確定なものによって揺れ動く状態での判断になるからです。
     客観で歴史を作ってゆく欧米の文脈からはかけ離れてゆきます。欧米の美術の歴史や文脈を知らないのは、スポーツのルールを知らずにその競技を見て「つまらない」とのたまうことと同じなんです。
    「アートを知ってる俺は、知的だろう?」
    「何十万ドルでこの作品を買った俺って、おもしろいヤツだろう?」
     西洋の美術の世界で芸術は、こうした社交界特有の自慢や競争の雰囲気と切り離せないものです。そういう背景を勉強しなければ、日本人に芸術作品の真価は見えてこないのだと思います。ええ、くだらない金持ちのザレ事ですよ。でもそれを鼻で笑いたければ、世界の評価基準に対して一切口出しをしないでほしいわけです」
    「アメリカの富裕層には評価の高い芸術を買うことで、「成功したね」と社会に尊敬される土壌があります。そういう人たちが商売相手なのです。
     富裕層が芸術作品を買うことを奨励する制度も法律もあります。
     アメリカではビジネスに成功した人たちは社会に貢献してゆく義務感を持っています。
     そうした成功者が社会貢献事業を行う選択肢の一つに美術館支援も含まれています。
     芸術作品を購入して美術館に寄付するというわけです。
     ただし趣味の悪いものを美術館に押しつけることを避けるために、美術館の学芸員はコレクターの作品購入に前もって助言したりしています。
     コレクターはいいものを購入して自分自身をアピールできる上に「寄付した作品の金額が税金控除の対象になっている」というところが重要なのです。
     これは日本とはまるで違います。
     日本では固定資産として税金徴収の対象になる(だから芸術はひそかに所有される)ものが、アメリカでは税金控除の対象になるわけで、作品売買がさかんになるのも当たり前です。
    「この作品は価値がある」と値踏みするコンサルタントも存在しています。富裕層は価値のある安全牌の作品を買うのですが、同時にコンサルタントは売買の現場で「作品の物語」を作りこんでいます。
     コレクターとは基本的には悩むものほど欲しがるものです。
     コレクターは売買に賭けるので、金銭を賭けるに足る「商品の物語」を必要としています。
     オークションハウスは、購入希望者たちと丁寧なランチミーティングを重ねてゆきます。
    「あの美しい日本人の女の子のフィギュアのハートを射とめるのはいったい誰かしら?」
     購買欲、征服欲、勝利欲など欲望を刺激する言葉で盛りあげるのもオークショナーたちの仕事です」

    「ぼくは、自分の作品が理解される窓口を増やすために、自分や作品を見られる頻度を増やすことを心がけています。
     媒体に出る。
     人にさらす機会を増やす。
     大勢の人から査定してもらう。
     ヒットというのは、コミュニケーションの最大化に成功した結果です」

    「アンディ・ウォーホールを真似する人は大勢いましたが、芸術制作の技術の格差は歴然としていました。
    「西洋美術史での文脈を作成する技術」が圧倒的に違うのです。
    『インタビュー』という雑誌を創刊してセレブな友人を増やす。
     共産国の象徴の毛沢東の肖像画を描いてスキャンダルを誘う。
     絵画作品の表面も、わさといいかげんなテイストにしておく。
    「操作できる範囲の外」さえも、まるで作品が演出しているかのようにしむけているのがウォーホールの技術なのです。
     世界に芸術をプレゼンテーションするなら作品の制作にとどまるべきではありません。作品の周辺の細部にまで工夫をこらした、お客さんに楽しんでもらう環境が不可欠です。
     日本では求道家的な芸術家像が信奉されがちで人間国宝とか文化勲章作家が根強く支持されもしますが、過去の日本美術史で否定されてきた人物こそが、一流の芸術家なのかもしれないのです。
    『美味しんぼ』の海原雄山のモデルの北大路魯山人は胡散臭い陶芸家とされています。
     過去の名作の陶器を写す創作姿勢は「真似に過ぎない」という欠点だと思われていました。
     骨董の目利きで著名な白州正子他からは「魂が入っていない作品」と酷評されています。
     魯山人の作品は存命当時贋物扱いされることが多かったのですが、作品の周辺の環境を作ることにかけて、彼は世界に通用する一流の日本人芸術家でした。和食の懐石料理という概念を生んだ彼のプロデュース能力は、工夫に満ちているのです。
     世界美術史の中でも自らの座標軸を指定せず行動するのが従来の日本人芸術家でした。だからこそ魯山人の過去をふまえた創作は贋物と批判されるのです。
     確かに彼の陶器には下卑たところがありますがウォーホールと同様に「確信犯のバッドテイスト」なのですから、業界の常識を覆す能力を評価しない日本人の基準の方が、貧しかったのではないかと思います。
     彼こそが、日本におけるアンディ・ウォーホールなのだと捉えると、非常にしっくりくるのです。
     自慢の陶器に載せた料理で政財界の要人をもてなす会員制の美食クラブ「星岡茶寮」を開いた魯山人は、ドラッグを媒介にパーティーを開いたウォーホールのようなものです。
     魯山人の客となったのはハイクラスな人たちばかりでした。
     階級社会を軸とした金銭や権力の構造を掴んで「もてなし」に集中力を発揮したのです。
     お客さんの求める伝統的な陶器を提供する彼はコミュニケーションに重点を置いた芸術空間を作りだしたと言えます。
     階級社会を軸とする華やかな芸術は敗戦後の日本では下火になりますが、日本で贋物と揶揄されやすい魯山人の方法こそが、むしろ過去から現在にかけての欧米の美術の世界では主流とされる方法なのです」

    「絵画は紙や布に絵の具を載せた痕跡です。痕跡自体に価値なんてありません。
     価値のないものに「人間の想像力をふくらませる」という価値が加えられているのです。
     つまり、芸術とは、想像力をふくらますための起爆剤が、いくつもしかけられていなければならないのです。
     ただし芸術家が一人で作るしかけには限界があります。
     画商やアドバイザーや、プレイヤーやオークションハウスや美術館の人に、作家、作品の成否を相談し、シナリオを作って作品の価値を高めてゆくのは当然の手順だと言えるのです。
     芸術家や美術館の満足だけでなく、芸術作品に関わるすべての人の熱狂がなければ、世界における価値は定着してゆきません」
    「金額は、評価の軸として最もわかりやすいものですよね。
     万人にわかる価値基準を嫌がる人は、
    「誰にでもわかる数字で補湯化されると本当は価値がないことがバレてしまう」
     と怖れているとも言えるでしょう。
     作品の価格や価値を曖昧にしてきたからこそ、戦後の日本美術は悲惨な状況になったのです」

    「芸術家とは、昔からパトロンなしでは生きられない弱い存在です。
     冒険家と変わりません。
     コロンブスは夢を語りましたが、命を賭けなければならない社会的弱者でもありました。ただし、コロンブスのが名が残ったように、芸術家の名が権威になることも起こりうるのですが、それはずっと先のことです。コロンブスがパトロンを見つけて航海に出たように、まずは弱者として生き抜かなければなりません。
     どう生き残るか。弱者である芸術家は、そのことを抜け目なく考えないといけません」

    「お客さんのニーズに応えることも、作品は自分のためのものではないという観点も、ある意味ではまっとうに思えるところがあるのです。
    「ニーズを優先させているといい作品なんてできない」と言われますが、本当でしょうか。
     ウォーホールは工房を構え、分業制をとり、多くのクライアントの要望に応えました。ぼくもそうです。
     相談や調査を基に作品を進化させることは、創造性を妨げないのです」
    「ウォーホールは、クライアントがパトロンに値する重要なものだと理解していました。
     現代のパトロンがクライアントだとすれば、クライアントの発言が芸術を左右するのも、至極もっともなことでしょう。
     要望を理解した上で、それに応え、同時に確信犯的に聞き流す反逆的な作品も残すというような生き方を確保しなければ、現代の芸術家の活動は経済的に破綻します」

    「あきらめずに新しい信念を形にするのがアーティストなのです。
     日本では、芸術家は、革命家とは思われていません。
     絵が上手。一芸を持つ。自分勝手。
     そういう芸術家像が日本の主流です。
     ところが、芸術の本場では、芸術家の革命はものすごい効果を生み出してゆくのです。
     革命家と追従者の違いは明らかです。芸術の世界では追従では意味がありません」
    「歴史に残るのは、革命を起こした作品だけです。
     アレンジメントでは生き残ることができません。
     もちろんアレンジの革命もありますし、映画界ではスピルバーグはアレンジの革命家だからこそ生き残れているのでしょうけど「考え方」や「ものを作る発想」を練りあげなければ最終的には生き残れないのですよね。
     追従者は小銭を稼ぐことはできるでしょうが、小銭は小銭です。
     小銭では自分自身も未来に生き残れないし、少数の人しかよろこべません。
     そういう追従の作品を作ってきたのが戦後の日本の美術業界なのです」

    「戦前にパリで大成功した日本人画家の藤田嗣治もそんな人物の一人でした。
     才能が抑えきれずに噴出している絵を描いていた「当時の世界で最も有名な日本人画家」は、日本にだけは求められていなかったんです。
     おそらく画壇の嫉妬のパワーが今より大きかったのでしょう。発表の場所を与えられなかったと言います。
     当時フランスにいることはドイツに占領されていることでもあるので、藤田嗣治はやむなく日本に帰りますが、日本でも戦争がはじまっていた……。
     そこで藤田が千載一遇の好機と思ったのは、「戦争画のしごとを与えられたこと」でした。
     藤田は戦争画の完成度を飛躍的にあげて日本軍のニーズに応えることで、ようやく日本で認められます。
    「藤田嗣治の絵を見て泣いたおばあさんがいる」
     と報じられる。日本には捨てられたと思っていたから、
    「自分の絵がようやく認められた」
     と、藤田は幸せの絶頂だったはずです。
     しかし敗戦後は日本美術界から戦犯画家の烙印を押され、日本を捨てフランスに帰化せざるをえませんでした。夫人が藤田の死後も長い間「日本人には理解してもらいたくない」と出版物の刊行などを許可しなかった気持ちは、これはもうとてもわかるのです」

    「日本で、戦争を主題にした現代美術作品展を二回発表した後、ぼくは思いました。
    「このような作品を作り続けたところで誰がふりむいてくれるのだろう。
     日本国内だけならまだしも、現代美術の本場のアメリカでは、敗戦国の日本人によるわかりづらい言い分など、見向きもされないのではないか」
     アメリカから遠く離れた国内だけで、
    「こうしてあなたたちに、身も心も占領されました」
     と叫んでいても無力であると悟り、むしろ芸術の本場のアメリカにおいて小声でもくりかえしメッセージをとどけなければならないのではないかと考えたのです。
     アメリカでは驚きました。
     自分が常に愚痴をこぼしていた「日本の美術の世界のこと」なんて、誰も知らないのです。
    「世界の美術の本場のニューヨークにおいては何の意味もないもの」
     が、日本の戦後芸術でした。
     当たり前なんだけど、「井の中の蛙、大海を知らず」とはこのことで、青天の霹靂でした」

    「どうしたらいいのかを、考えに考えました。
     そして、文化を相対化して見せたり芸術の背景の説明をしたり、欧米の美術史の中で意味づけをしたり、理解の構造を作って提示すれば、アメリカでも日本の芸術がわかってもらえるのではないか、という結論に至ります。
     その答えが、2001年にぼくがアメリカ各地の美術館でキュレーションした展覧会、『スーパーフラット』展です。
    「今のままではポップという概念を生み出したイギリスとアメリカにやられっぱなしだ。これではいけない! キャッチコピーがなければ、日本の芸術の特異性を世界にプレゼンテーションできない」
     そうして作った「スーパーフラット」という言葉にこめた概念は、「不可解な日本の芸術の輸出の糸口を探すこと」でしたが「ポップにかわる新しい概念かもしれない」とアメリカの美術の世界では大ブレイクしました。
    「日本は世界の未来かもしれない。社会も風俗も芸術も文化も、すべてが超2次元的」
     ぼくの美術史の新解釈を、日本文化も日本人もそれほど知らなかったはずの美術評論家たちが「西洋化された日本人のオリジナルコンセプト」と知るや否や猛烈に学習し、そして、むしろ日本人評論家より遥かに鋭く分析的に批評をしてくれたのです。
     西洋の評論の基盤の強さを感じました。評価づけをきちんとしてくれることもわかりました。また、現状では評価できないものこそ「革命的」と把握してくれるという熱い雰囲気も、大ブレイクしたことで感じることができたのでした」

    「例えば欧米の美術市場における芸術作品の制作の必然性には「自分自身の愛でhんティティを発見して、制作の動機づけにする」ということがあります。
     これは欧米の美術における決まりのようなものです。
    「欧米美術史および自国の美術史の中でどのあたりの芸術が自分の作品と相対化させられるのかをプレゼンテーションすること」も重要とされています。
     これをふまえなければ芸術作品として認められないならそうすべきなのです」

    「芸術の世界の本当の天才は、マチスなどごくわずかしかいません。
     でも、業界内で、いつまでもマチスマチスと言い続けるわけにはいかないんです。
     だから、世の中にあるものの中から、天才以外の才能にも目を向けていくしかないのですね。ピカソもゴッホもウォーホールもデュシャンも天才だとしても数えるほどしかいないんです。天才だけに注目していたら芸術の世界を構成できる人物が極端に減ってしまいます。
     会社の業績が悪かろうがよかろうが株価さえあがればいいという投資家の本音のように、作品の価値とは実体のない虚構から生まれるものなのです。
     芸術作品を買う側は「俺が評価した」と思いたがるものです。
     ぼくの作品を買った方々にも、
    「ムラカミを世界の檜舞台に押しあげたのは俺だ」
     というタニマチ的な基部があるとは思います。
     だから芸術家は買う側の気持ちに応えなければなりません。
     朝青龍のように勝ち続けるなり、事件や醜聞を起こすなり、興味深いニュースを提供し続けなければ価値はあがりません。
     ブランドの促成栽培はある程度、アイドルレベルでは可能です。その一生版がアーティストというブランドです」

    「芸術は人間と人間の戦いです。
     欧米でやりとりしているとそのことを実感します。
     世界水準の勝負の原点は、個人の欲望の大きさからはじまります。
     ウォーホールには、ほとんどそうした欲望しかありませんでした。
     ウォーホールの人間性をつきつめてゆく人々はよく「彼には常にはぐらかされるんだ」なとと言うのですが、彼は本来わかりやすい人物です。
     欲望のかたまりだけでできている。
     難しいことなんて何も考えていないんです。
     ハゲは恥ずかしいからカツラをかぶるとか、アートをやっていると尊敬されるという下世話な欲望の集積が彼の芸術活動だったのです。
     何かを敢えて隠していたわけではなくて、彼には欲望以外のものは何もなかったのです。ぼくも、自分がそういう人間だからとてもよくわかります。ちなみに、ぼくの欲望ははっきりしています。それは「生きていることが実感できない」をなんとかしたい、なのです。
     強い欲望に根ざした活動がなければ世界に通用する強い価値など生むことができないのです」

    「芸術は娯楽ほどインフラが整備されていないからこそチャンスがあると思いましたし、今もそう思うんです。
     芸術の世界では新人がデビューする確固たる構造もないかわりに、長丁場の戦いができる。
     日本のミュージシャンがアメリカでヒットしない理由は、ここにあるのではないかと思うんです。
     たぶん、お金と時間の使い方が違うのでしょう。
     成功までの機嫌が短すぎるのではないでしょうか。
     何年もかけていく覚悟があるのなら、アメリカでも成功するという官職はあるのですが、アメリカで腰を据えて仕事をするよりも、日本の音楽業界の速度でやる方がラクで儲かるから、どうしても日本市場の中に戻ってしまうのでしょうね。
     ただ、ぼく個人としては、日本のアート市場の商売は難しいです。
     日本では時代のある瞬間にスパークする要素をバラバラまいていないと大勢には受けません。瞬発力のある人しか生き残れないような社会なので、ぼくは日本の表現の世界な苦手です」

    「アイデアは出尽くしたと言われる時代です。
     しかし、既にあるものを組みあわせていけばまだ未来は作れるはずです。
     独創性への幻想は終わっているのだとすれば、誰でも何でも新しいものを作るチャンスがあるはずです。
     個人のブランドの促成栽培はできると気がつき、そしてそれを一生かけて継続してゆく実験をしてはどうでしょうか。
     既に誰かが行った手法を知るということは大事です。
     歴史を知るということには、宝が隠されているのですから。
     かつて行われたことを現代に正しく合わせることでオリジナルが生まれることも知っておいた方がいいでしょう。言っていることに矛盾を感じるかもしれませんが、物事には常に表裏があるものです。矛盾もまた真理!
     日本人はスーパーオリジナルみたいなものを求めすぎてしまうから成功していないのではないかと思うんです。だけど本当は柳の下にドジョウは何匹も隠れているんです。
     もちろんオリジナルは大切なことですが、オリジナルでありさえすればそれでよくて、あとは何にも営業をしなくていいし説明なんてしなくていいというのは誤解ですよね」

    「うわぁ……やってよかったなぁ!」
     そういう気分は1年に1回くらいしかありません。だいたい3秒ぐらいで終わります」
    「やってよかったなぁ!」という気持ちが爆発した数秒間だけは、身も心も「これでよし」という感じを味わうことができるのです。
    「摑めたな!」
     そう思えることが、ぼくの至福の瞬間なのです。
     他のことでは絶対に得られない「コイツが欲しかったんだな」という一発があるから、つらくても、ついつい、作品制作に向かってしまうのです。
    「摑めたな!」という快感を知ってしまえば、たぶん、際限なく、そこに向かいたくなってしまいます。
     ぼくが最初にそういうことを感じたのは、大学受験予備校で絵を描いていた時でした。
    「花」や「林檎」を、延々と描かされ続けている……。
     無駄な時間。
     つまらない!
     あれ、でも、花が生殖器に見えてきたぞ?
     そこから2時間かけて絵を描く。描きはじめた時に比べて花が動いている。
    「今の方が美しい」
     ぼくはそこで、今まで描いたぜんぶを消して描き直しました。
     自分は、こういう「絵を描くという行為」を通して、物とコンタクトを取ることのできる世界に進もうとしているんだ、ということがわかって、うれしくなったのでした。
     ぼくは勉強ができませんでした。言葉もうまくありませんでした。
     風体からも、周囲とはコミュニケーションがしづらかったのです。
     だから何かものを作るということはなくてはならないものでした。それがなければ周囲や世界とのコミュニケーションが取れなかったのです。
     ぼくにとって、ものを作ることは自由を手に入れてゆくことでもありました。だからこそ、若い芸術家に助言したくなるのです。「こうすればもっと自由を手に入れられるよ」と。

    「芸術の世界だけではなく、どの業界にもどの分野にも特有の文脈がありますが、「文脈のひきだしを開けたり閉めたりすること」が価値や流行を生みだします。
     ひきだしを知らないまま自由自在に何かができるということは錯覚や誤解に過ぎません。
     そして、ひきだしを知らずに何かをやるという不可能なことに調整し続けてきたのが戦後の日本の美術界だったのだと思うのです。
     ひきだしを知らずに作られた芸術作品は、「個人のものすごく小さな体験をもとにした、おもしろくも何ともない小っちゃい経験則のドラマ」にしかなりえません。
     小さな浪花節的な世界です。
     日本人はそういう生まれてから死ぬまでの小さな経験則が好きなんですけど、その程度のドラマしか設定できないことは、世界の表現の舞台で勝負する上では欠点になるのです。
     な〜んちゃって書家の標語レベルならまだいいんです。小さな個人のドラマしかなくても言葉でわかるから。
     ところが小さな個人のドラマが抽象絵画に乗せられたら、誰も理解してくれません。
     芸術家は歴史を学ぶべきなのです」

    「歴史の探索の方法を、ぼくは美術大学では教わりませんでした。
     もちろん西洋美術史や日本美術史の授業はありましたが、「作品制作のためのデータベースとして歴史を使う」という方法は教わりませんでした。
     日本の美術の世界で、歴史は「使うもの」ではありませんでしたが、漫画の世界では、既にこれは実現していました。
     漫画は物語を作らなければいけないから、漫画家も編集者も古今東西の娯楽の原点を求めていくことになりました。
     そういうふうに、歴史のひきだしをどんどん作ることによって、おもしろいものができるメディアとして発展してきたのではないでしょうか」

    「『メメクラゲ』という作品制作の源も歴史のひきだしにありました」
    「多数の目を並べると人を見つめ続ける圧迫感を与えることができる。これも錯覚だ!」
     圧迫感と遠近法を関連づけようとも試みましたが『スーパーフラット』の構想が浮かんだ時には、その概念をいちばん表現しやすいのは多数の目だと思いました。これが『メメクラゲ』のイメージを作るきっかけになったのです。
    『スーパーフラット』は、これまでうまく説明されてこなかった日本の文化の概念の一部を理解するのにちょうどよいのです。
    「すべてが超二次元的」という日本のスーパーフラット的な技法は、一点透視図法を用いた西洋の伝統の手法とは違う「多数視点法」を形成しています。多数の目も、それを描くことで様々な遠近感が生まれてきているのです。
     西洋の絵画の発展は、科学的数学的手段である一点透視図法による写実によってなしとげられました。西洋の美術の神髄は客観性の追求であり、現世とそれを超えた神秘的な世界像を客観的に表現する方法だったのです。
     フランスでジャポニスムがブームになった時には「科学的な法則を根本に据えた技法や考え方」が行き詰まり、もっと抽象的で自由な表現への憧憬が強くなっていたのではないかと推理できたわけです。
     日本の伝統的な絵画は、目で見たものを主観的に好きな角度から表現しています。数学的にはほとんど無秩序な画法にも見えますが、ただ無秩序と片づけるべきものではないのです。葛飾北斎が小さな体に巨大なペニスを描いているのを見ると、一枚の絵画に作者の主観がシステマティックに入りこみ、カメラがペニスにズームインしているような効果があるのだということが理解できます。デイビッド・ホックニーのフォトコラージュも似たような手法で「多数視点法」は科学的手法でもあると言えるのではないでしょうか。
     ぼくの作品の『メメクラゲ』は、たくさんの目がこちらを見ています。
     これらのすべての目をコンピュータにつないでスクリーンに映したら、一点から放射状に遠近感を生む西洋絵画とはまるで違う遠近法を見ることができるはずです。
     映画『マトリックス』に見られるように、現代のCGでは一点透視図法よりもスーパーフラット的空間の方が自然にすら見えるのです。多数視点法は、科学的、数学的にも整合性を持った視点とは言えまいか……それがスーパーフラットの概念の基礎になりました。」

    「美術のルールを読み解く方法は簡単なのです。歴史を学べばいいのです。
     好きな作品な好きな作家の辿ってきた系譜をしっかり勉強するだけで、かなりのことが見えてくると思います。
     予備校で毎日デッサンを描いている人なら、平面構成をした後に、「いいと言われたもの」「悪いと言われたもの」「自分自身の好きなもの」を並べて見るだけでわかるのです。
     自分の探さなければならない歴史が、まずわかります。
     わかったら、実際に歴史を読み解けばいいんです。
     そうすれば美術のルールはすぐに理解できます。
     自分の惹かれているものを読み解くと、欧米の美術のルールだけとは言わず自分の動いているルールそのものも摑めるはずです。 
     ぼくは自分の女の子の趣味を調べたことがあります。町ですれ違うとなぜかふりむいてしまう人とそうでない人がいる理由を知りたいと思ったのです。様々な女の子の写真を見て気になった子の共通点は「緑色の洋服を着ている」でした……。
     わからないことがあるものだなと思いましたが、「緑色」が自分を驚くほど動かしていたのです。こういう「根拠がないように見えるけど明らかに存在するルール」も、かなり大事にすべきだと思います。」

    「美術教育の成否は本来、「自分の興味のある分野を探すこと」「自分の求めている目的の設定」この二つの間の試行錯誤にかかっているはずです。
     ところが実際の美術教育は、「(教授が 着目した)主観的な歴史を学ぶこと」「航海がはじまった時に必要な技術を学ぶこと」だけなのです。
     そこには表現の目的がすっぽりと抜けおちています。」

    「目的地を明確にしてルールに則った技術力で勝負を挑めば日本は欧米にも勝てますが、こちらが勝ちすぎるとルールは変化してゆくのです。
     欧米では金銭絡みの交渉でルールが改変されることは日常茶飯事です。
     レーシングやスポーツのレギュレーションが変わると常勝選手も勝てなくなるのですが、決まりごとがあるはずの文化でも、「実はあれはすばらしくなかった」というルールの改定が行われるであろうことも想像できるのです。
     ルールを改変された時に「ずるいよ」と言うのではなくて「そうだよね」と言える準備を整えていかないと日本人は欧米特有の社会に対抗できないでしょう。
     熾烈な保護主義が欧米にはあるのです。
     ビジネスで負けた途端に文化もへったくれもない弱肉強食の舞台が顔を出すわけです。
     文化的なレベルとビジネス的なモデルを合体させて時には交渉もしなければ突破できないのです。
     優れていても、外部である以上は欧米の芸術の世界の核心からは駆逐されかねないのだという危機感を持ち続けなければならないと思います。
     文化は闘争の一つの局面だから、日本人は娯楽の頂点にいるアメリカに対抗するために歴史や芸術を武器にするべきです。」

    「漫画家アニメは幼稚なものですが、世界における日本文化の優位性は、今はそこにあります。
     だから今のうちに日本の漫画産業やアニメ産業に競争力がある理由を論理的に徹底的んい構築してゆかなければならないのです。
     あるアニメ雑誌の編集長は、「アニメに批評はいらない。視聴者の夢を壊しちゃう」と言いますが、正当な権威や評価が生まれないままではいつかアメリカのルールに搦め捕られてしまうでしょう。
     日本で力を持っている唯一の評価軸は、売りあげの数値とマーケティングです。
     それが絶対という先入観はアメリカに敗戦した日本が抱えたトラウマに由来すると言えるかもしれません。
     目に見えない強迫観念を最も有効に利用してきたのが日本の広告代理店であり、ある意味では、日本の広告は戦後の日本の権威消失に寄与した本尊になっています。
     日本の戦後の文化は「国家」の中心の基盤が抜きとられているところがあります。
     明治維新には、国家という基盤があったからこそ日本画も洋画も生まれたのだろうし、芸術は歪みながらも前進できた時期がありました。
     戦後の日本は国家の基盤自体を紛失したために、戦争をするしないも含めて「国家」が考えるということを、うまくできませんでした。
     その状況こそが、実は日本の平和のなりたちであり実態でもあると思うんです。
    「国家」を取りあげたらふぬけた世界観が蔓延したという実例が日本で、そういう世界の芸術はアニメや漫画という卑近なところに出現することになるのです。
     つまり日本人の敗戦後の「基盤を抜きとられた世界観」は、今後世界中で共感を受ける文化としてひろがるのではないでしょうか。まさにこちらの芸術理論の構築も待たれるところなのです、
     日本が自前で権威を作るためには「多数が認める」「歴史がある」などという価値基準に照らしあわせる客観的な普遍性が必要なのです。そろそろ日本人も自分の持つ長所を全力で権威づけなければならないのではないでしょうか。」

    「これまでの日本は、芸術の分野において、諸外国の作りだしてきた権威に頼るしか価値体系を構築できずにいました。
     国をあげて世界に通用する自前の権威を創造するのではなく、権威を借り受けたり依存することしかできませんでした。
     写楽や北斎は生前には日本の消費文化を担っていましたが、いつしか欧米人から「芸術」と認められてゆきました。ぼくの評価にしても欧米が認めたからこそあるわけで、日本人が自前で評価基準を作れないものかなぁとがっかりもします。
     日本はこうして権威への渇望感に比例して高級ブランドの権威を消費する大国になってしまいました。
     今はそれを打ち破るチャンスなのです。
     日本は世界でいちばんと言えるほど絵が大好きな国ではないでしょうか。
     漫画家やアニメーターやイラストレーターなど絵を生業とする人の比率はかなり高いですし、漫画は学校の教科書にまでふんだんに使われているし、漫画家の展覧会も美術館で行われています。ヨーロッパから高額の名画を借りて展覧会を開き続けています。
     つまり、日本人は本質的に絵を見たり描いたりするのがとても好きなのです。
     日本人の造形美への執着は、アジア諸国でも中国などとは別の文脈で特殊で深いものがあります。日本的な感性が際立つものの一つに、「かわいいキャラクター」の創造があります。
     キティちゃん、たれぱんだ、ポケモン……かわいいキャラクターたちは毎日のように誕生し、アニメにゲームに広告にイベントアイコンに、と次々と世の中に送りだされています。
    「ディズニーに影響を受けた手塚治虫さんが開花させた漫画や業界の発展」と、「戦後にアメリカから大量に流れこんできた企業のイメージキャラクターの流布」が、かわいいものを慈しむ基盤を作ったのでしょう。
     そういう日本のキャラクター産業は、今や世界的に突出した才能を発揮しはじめています。
     変幻自在の発想力は日本人には空気を吸って吐くようなものだから、自分たちではその芸術的価値をまだ理解していないようにも思えるのです。
     ぼくたち日本人は自分たちの作りだしたキャラクターを過小評価しているのかもしれません。
     ビジネスで金銭を生む資源として、独自で特異な芸術として、キャラクターたちの真価を輝かせることに国も力を入れてほしいものです。
     日本人にはのんびり好きな作品を作っていられれば満足という面がありますから、権利をいちいち細かく主張することを潔しとしていませんけど、芸術大国イタリアは「イタリアの芸術を国外に巡業させるだけで国が50年も動くだけの稼ぎをあげる」とよく言われています。
     芸術には、荘厳で敬虔なものだけでなく、かわいくほほえんで楽しむものもあるはずです。
     世界最高品質の日本のキャラクターの権利を守っていくことは、これからの芸術大国日本を未来に向けて作っていくことになるのだと思うのです。」

    「芸術家の生き方が理解されるのにはかなり長い時間がかかります。
     ゴッホは評価されていますが、それは「本人がいなくなったあとの文脈」を評価されていると言えるのかもしれません。
     本人が死んだなら、残された人たちは個人の歴史を自由自在に操ることができます。そういう意味でゴッホは自由度が高かった……あれほどのゴッホ神話ができあがった原因はそこにあるのではないかとぼくは思うんです。
     マルセル・デュシャンにしても、チェスで生計を立てたりすることで、自分の真意をわからせるまでの長い時間かせぎをしていたわけです。その上、「わたしが死んでから30年間は発表してはいけない」という作品を残してまさにタイムカプセルとしての作品作りの実験に死後に成功したからこそ、評価されているんです。
     死後にしか評価されない価値を、生前にひきよせるために金銭の力を使ったのが、ジェフ・クーンズをはじめ、80年代以降にデビューしたアーティストなのだとぼくは捉えています。
     その方針を、ぼくは自分でも実行しようとしているんです。
     ただし、それでも芸術は基本的には死んでからが勝負だと思います。
     イサム・ノグチの評価は20年後にも生きているでしょうか。
     パブロ・ピカソの評価はそろそろヤバくなってきていないでしょうか。
     ウォーホールは、ぼくより上の年代のアーティストが崇拝するような存在でしたが、今の若い芸術家にはあまり尊敬されていないかもしれません。
     アーティスの賞味期限は、こうしている間にも、どんどん終わりが見えてきています。
     もちろん賞味期限が何世紀にもわたって続く人もいて、千差万別です。
     ウォーホールには「死後30年にわたり日記やノートをひもといていゆく美術館」ができていますが、その活動も彼の賞味期限を30年間延ばしただけのものかもしれません。
     芸術の世界では、そんな死後の世界の価値を作りあげることこそが、かなり重要視されているのです。
     芸術家は自由な存在と思われがちですがそれは錯覚です。
     芸術家の自由はほとんど死後に限定されています。
    「死んだ芸術家のシナリオを後世の人が自由に書き直せる」という意味でのみ芸術家は自由であるとさえ言えそうなのです。
     芸術家はしがらみから解放されているようでも現実の制約にがんじがらめになっている存在です。「ミケランジェロも日本の狩野派も権力の中枢にくみしていたから制作に没頭できた」というような事実は芸術家の生涯では見おとされがちなものですが、非常に重要なのです。
     芸術家に自由があるとすれば、それはほとんど一瞬で消えてしまう種類のものですし、自由が実現するにしても、おそらくほとんど芸術家本人が死んだ後のことなのでしょう。」

    「芸術家は死後の世界に挑みます。
     死後にも注目や尊敬を獲得できるかどうかでマエストロになれるかどうかが判明します。
     その意味で芸術家は死後の世界を準備しなければならないのです。
     ロイ・リキテンシュタインには、死後の世界は準備されていなかったかもしれない。
     リキテンシュタインの価値はまだ高いのですが、何年後かには消費され終わってしまうのかもしれません。
     ウォーホールは、生前、リキテンシュタインほどは評価されていなかったけれども、評価されていなかったがゆえに、ゴッホと同様、価値がどんどんあがってゆくとも言えます。
     ウォーホールの作品は、感動も呼ばないし、インテリジェンスもありません。むしろ感動を呼ばないように細心の注意を払っていたりする……しかし一方でリキテンシュタインはインテリだし作品のクオリティも高いし生前に評価されたわけです。
     ところが死語になると、美術の世界のルールを変えたウォーホールの人気こそがうなぎのぼりなのです。
     そんなふうに、欧米の芸術の世界では、ルールとの関係性における「挑戦の痕跡」こそが重んじられるというリアリティがあるのです。欧米におけるアートはルールのあるゲームです。
     芸術家は巧妙なからくりを作る張本人ですが、芸術家が死ぬと、人生のすべての文脈が見えてくるわけです。
     ウォーホールの場合は、ふりかえってみればいいかげんな人生を送りましたが、尊敬されたいがために芸術にすりよった流れや工夫の数々が、死後になるとはっきりと見えてきました。ある意味戦勝国アメリカを背景にしているからこそできる反骨的「ロックンロール」なライフスタイルなんです。
     ウォーホールが作った文脈を理解する環境は、彼が死んだ後だからこそ更にできあがり、それで尊敬されるということにつながっていったというわけです。」

    「どの世界でも、ほんのごくわずかの天才の数より、天才を求める人の数の方が多い。
     美術作品の価格が高騰してゆく過程はそれに比例するのです。
    「いい作品の点数」より「コレクターの数」の方が多ければ、オークションでは価格がはねあがるわけです。価格の高騰は更にコレクターの欲望に拍車をかけてゆきます。天才の作品が欲しくて欲しくてたまらなくなる……。
     ひとにぎりの天才がいる。
     多数派の凡人が少数派の天才に挑戦する。凡人は腕を斬り落とされてゆく。
     そんな構図のある芸術の世界でものを作り続けるということは、凡人には実際には地獄のようなものでもあるのです。
     こんなにイヤな目に遭うと知っていたら最初から芸術の世界に入らなかっただろうなぁと思うであろうことを、ぼくはこれまでずいぶん経験してきました。
     途中まで芸術の志を共にしていたはずなのに、地獄が見えた途端に逃げてゆく人物の背中も、見てきました。
    「世界に挑戦しようと言いあっていたはずなのに、おまえも本当はモラトリアムの世界に浸っていたいだけだったのか!」
     そういう発見もよくあります。」

    「表現の世界では、みんなが、実現不可能なことに夢をはせては挑戦を続けています。
     アイルトン・セナが、超えられない時間の壁に突入していくような種類の挑戦です。
     ぎりぎりまでやらないと、ものが見えてこない世界。
     集中力と体力がきれたら、すぐに死ぬしかない世界。
     でも、この世界に入った以上、みんなが望んでいるものはその「実現不可能なもの」なのだから、何でそこに突っ込んでいかないんだよと思うんです。
     不可能に挑戦してきた、満身創痍の先人たちを見てきました。
     手塚治虫さんは、きっと「何か」を見たんだと思います。
     歴史に名が残るかどうかよりも、その「何か」が見えたかどうかが気になるのですね。
     ぼくはその「何か」を見たいと願い続けてきました。
     そのためならぼくは、地獄を見てもいいと思いました。」

    「宮崎駿さんが40代の頃というのは、後から思えばまだまだこれから大活躍というはずだったのに、ぼくにはもう本当にキズだらけに見えていました。
    「この人は今がピークかもしれないから、見ておかなければ!」
     そう思わせるだけのものがありました。
     手塚治虫さんもいつも満身創痍でした。
     おそらく、長い間、孤独な挑戦を続けてきた二人なんだと思います。
     そういう先人の歩みを尊敬しています。
     表現の世界の地獄は、前に進むほかに道はありません。
     足を突っ込んでいながら「アチチチ」とすぐ足を抜くような姿勢は意味がありません。入ったのならば、先に進んでいかなければならないのです。
     地獄の釜に、どっぷり首まで浸かって茹であがんなきゃ!
     真っ赤っ赤になるまで茹であがりきらなければ、これまでの日本人がまだ体験したことのない領域になんて行けるはずがありません。」

    「ぼくは「芸術は誰でも作れるもの」と思ってきましたが、表現を続けられるかどうかはもしかしたら「怒りがあるかどうか」が関係しているのかもしれない、と感じています。
     ぼくは何でこんなに闘犬のように怒り続けているのだろう?
     理由は本当に自分でもよくわかりませんが、ずうっと怒り続けていることは確かです。
     自分への怒りも、周囲への怒りも、世間への怒りも常に溢れるほど出てくるんですね。
     成功したいという情熱よりも、今のままではイヤだという不満がぼくを動かしている。
     論理では説明できないけど「怒り」こそが表現を続けるのに必要ではないかと思うんです。」
    「怒りはぼくを動かしています。
     不満なのです。
     表現しきれていない不完全な感じがいつもあるのですが、最近はそういう感触が大事なのかもしれないと思うようになりました。
     ベートーベンは、耳が聞こえなくなりました。
     ゴッホは、絵が売れずにおかしくなりました。
     どちらも本人の主観ではずっと不幸だろうし、そんなに何かが達成できたなんて思っていないはずで、だからこそ作品を作り続けることができたわけです。」

    「村上さんは私がこの会社に入った時に言っていたことをもうすべて達成していますよ。あとは計策していた美術館設立に向けて、ゆっくりやっていけばいいじゃないですか」
     違うんです。
     足りません。
     村上隆って、客観的に見るとどれだけ不十分なのか、ぼくにはわかる。
    「村上隆というヤツはもっとブランドをあげてやらないとダメなんだ!」
     そう言いたくなるんです。
     どんなにバージョンアップしたところで満足できるはずがないとはわかっていますけど、こういう「満足できない業の深さ」って、何でしょうかね。
    「若いこと、貧乏であること、無名であることは、創造的な仕事をする三つの条件だ、と言ったのは毛沢東です」
     宮崎駿さんはよくこう言いますけど、本当にそうですよね。
     貧乏だからできたということはありましたから。
     36歳でコンビニの裏で弁当をもらうというのはやはりかなりのガッツが要りました……36際にもなれば、一般的な生活をしている人がほとんどだったから。
     ぼくはハングリーそのものの生活をしてきましたが、そういうところからガッツは出てくるのかもしれません。
     だから苦楽を共にしていたはずの後輩が中途半端にお金に足をすくわれているのを見ると苛立つのです。
     ちょっとお金が入ると、スポーツカーを改造したりして……。
    「何で遅刻したの?」
    「いやぁ、クルマで事故りました」
     もう雨の日も雪の日もバイクで通勤しやがれ、と思います。
     宮崎駿さんがバイクで事故を起こしたアニメーターに厳しくなるのも、わかるんです。
    「忙しい時に事故を起こすなんて逃げとしか思えない! 許せない! 責任放棄か!」
     一般社会からすれば宮崎さんの方が悪く見えるようなセリフにも、「目的がわかってないからそういうことになるんだ、と言いたいんですよね」と、ぼくはうなずきたくなるのです。
    「作品のために何でもする」という正義があるかどうかで、結果は変わると思うのです。
     怒りや執念や「これだけはしたくない」という反発は、重要なのではないでしょうか。」

    「最近はそういう「見る目」が取り沙汰されなくなりましたが、それは、いいものを見る機会が減ったからかもしれません。「見る目」は訓練すればするほど伸びるのですけど。
     訓練の方法は、例えばこうです。
     絵を見せますよね。
    「キリスト教の思想の中でこういう意味づけがある」
     絵を読むためのルールをまずは勉強させるのです。
     ルールを習得する途中に大量の絵を見ると、自分の好きな絵がわかってくるわけです。
     ここで好きな画家の傾向を文章でまとめさせます。
     好きな絵から何が見えてきたかを書きださせます。
    「このへんは削った方がいいね。もう一回、800字で書いてみて」
     すると、だんだん書くことがなくなってゆきます。
     書くためのネタが要るから歴史を調べたりすると、絵が前と違って見えてくる。
     だんだん、筆の痕跡から、芸術家本人の心に肉薄してゆけるようになるのです。
     葉が枯れてゆくのを見るように、人の筆や顔から自然が見えてきたりもします。
     いろいろなものが見えた後には、大抵、みんなマチスの絵が好きになるのです。
     体と心が一体になって自由になっているのがマチスです。彼の絵筆はいいも悪いも受け止めて水みたいなアートになっていて純粋なのです。
     若い頃はピカソを好きになっても、だんだん「肩ヒジはらなくてもいいじゃないか」と思えてきてしまう……絵を見る訓練にはそういう変化の楽しみがあるのです。
     ピカソとマチスを比較すると、明らかにマチスの方が自由だと思います。
     マチスの最高傑作というのは、デザインでもペインティングでもない、死に損ないなほど老人になってからできた切り絵のようなものです。年齢も関係ない作品。完成度がにぶるもにぶらないも関係のない作品。まさに自由そのものなんです。
     一方、ピカソは「若描きの方がよかったね!」とみんなが言います。そういう「腕力で絵を描く」というタイプなんです。腕力と知力で描いた絵ですから、それは自由というよりはやはり人間の限界を謳っています。
     もちろん、そうであるがゆえにピカソはおもしろいんですけど。
     悲壮感のある映画ってありますけど、ピカソはそういう味なのです。
     力がありあまってりう人間の人生のすべての変遷を作品から見られるから、悲壮感も含めて愛おしく理解するというか。
     そういうピカソは、肉食の西洋人にこそおもしろいメディアであり続けているということなのかもしれません。
     ピカソの感覚というのは本当は日本人にはほとんどわからないんじゃないのかなぁとも思います。絶対にわからないものとしての代名詞が「ピカソ」ですもんね。
     マチスはわかるとかわからないとかいう境界さえも超えています。
     マチスを知っているかどうかはさておき、日本人でも「これ、好き」とちゃんと言える何かがあるんです。
     世界のデザインでも日本のデザインでも、本人が自覚しているかどうかは別にしても、マチスを真似しているものがものすごく多いんですよね。
     つまりマチスは、芸術家はいかに自由になってゆくかというプロセスを具現化しているんです。」

    「ぼくは残像側から作家の精神状態を読みとるのがものすごく得意です。
     だから、作家が乗っている時とだめな時の差が、とてもよくわかります。
     だめな時というのは「絵のテーマがわからなくなっている」のですよね。
    「何枚しあげなければいけないから、前に使ったあの発想を持ってこよう」
     単純に言えば、ルーティーンに陥る作品はだめになる、ということです。
     こなれてくるとすぐにおもしろくなくなるんです。ぼくもそうですもの。
     海外の展覧会のツアーも、最初の地のオープニングはどうなるか読めないから滅茶苦茶に盛り上がるんです。
     だけどそのうち若干のリニューアルはするけど「基本的には作品を右から左に動かすだけ」になると退屈になりはじめます。
     反応も成果もわからないまま最初にとりあえず球を投げてしまう初期衝動の快感はものすごく大きいんだけど、球の届く範囲を知ってしまえば、よろこびも興奮も半減してしまうと言いますか。
     ロリコンの世界観を描くアーティストなら、何万円も出して買ったロリコンのDVD映像を目にした直後に描いた一本の線には、不思議に、衝撃も感動も生々しさも宿っているんです。
    「はじめて」の精神状態にあるかどうかで、明らかに、描く線が変わってきます。」

    「それから、たいていは、おもねった瞬間にだめになりますよね。
     時代とか近親者の意見とかにおもねると、それは作品から見えてきちゃうんです。
     奥さんに「お金を何とかして」と言われいる感じとか。
     アーティストにはそういう状況はよくあるんでしょうが、周囲におもねった瞬間から、作品は鮮度が落ちるんです。だから料理と似ていますよね。
     鮮度がとても大事なんです。
     確信犯でおもねるのなら「腐る直前に食べる料理」というガッツで作りあげればいいのですが、だいたいはそこまでの覚悟がないから中途半端なものを出してしまうわけです。」

    「ぼくがアーティストの英才教育をする時にまっさきに教えたいことは「挫折」です。
     挫折というショックを与える必要はあると思います。
     現時点でほめられている人にも、ある日、突然、何もほめられなくなる時がくるのですから。
     イヤなことを言われて心がズタズタに傷つく時はかならず来るんです。そこでみんなが挫折を味わう。
     だけどそこからもう一度戻ってこられるかどうかが勝負なんですよね。
     傷ついたとしても、絵を嫌いにならないで、自分でもう一度絵を描こうと思えるところまでいけるか。それとも何も生みだせなくなってしまうか。絵を続けるための動機は、絵をはじめた時の動機よりも、ずっと大事なことなんだと思います。」

    「そういう強化人間を作りあげることは日本人は得意だと思います。漫画家もそうです。人体実験のように人材をしめあげる

  • 現代アートにかかわる事業を始めて1年。
    特に好きでも嫌いでもないですが、いま日本で世界に発信できるアーティスト、売れるひととは?
    という考え方を知ってみようと読んでみた。

    なるほど、美術をビジネスとして、表現者としてすごく考えていらっしゃる。アートに限らず、ビジネスをする上で、なにかをなし得るための当然の尖り方している人でした。刺激というか答え合わせてきにもなったこと、自身の村上毅さんに対する意識に変化をもてた意味で良い1冊。

    ※まあ編集などなど、たくさんはいっているだろうけど

  • 第一線で活躍する現代芸術の作家、村上隆。アーティストであり続けることは自身の欲望や業と向き合い続けることであって、それは地獄の底を突き抜けようとするようなこと。それで狂人となってしまったとしても、一瞬の光、その風景をみれたなら、それで幸せだという。なんとも非人間的というか、いや、だからこそ超人的な作品が歴史の文脈に刻まれ、絶えず検証され、屍と復活が繰り返されるのだろう。

  • 芸術家として生きていくための社会のルールを示している本。

    欲望に必死に向き合えるかどうかがポイントで、大学教授的なサラリーマン的なモラトリアム的な安定した職にある人からは、強い欲望は生み出せない。というのはもっともなこと

    30代で、コンビニの裏で弁当をもらって、それでも起業としての芸術に打ち込めるなど、生き抜く経験をしなければ、強い欲望は育てられない

    「突飛な発想を社会に着地させるバランスをあやまれば、自分の身を吹き飛ばしかねない」など、芸術分野ではない、起業家にも参考になる示唆が得られる。

    芸術家として生きるには、業界ルールを知り、顧客を知り、マーケティングをしなければならない

  • 恐らく好き嫌いがはっきり分かれる本だと思います。良い事も書いてあるんだけど、言い方が悪いと言うか何というか…。ただ、ひとまず趣味としてでは無く本気で芸術と関わっていきたいのであればやはり市場分析は必要なのかも知れないなとは思わせる本でした。

  • 海洋堂の社長が芸術家のアイデアをパクリ、一足お先に等身大フィギュアを商品化した場面が良かった。アートの向こうを行くのは繊細なオタクではなく、なにわのあきんどか。

  • なぜこれまで、日本人アーティストは、片手で数えるほどしか世界で通用しなかったか?ということが科学されている。確かに、歴史上で有名な世界的な日本の芸術家というと葛飾北斎くらいしか出てこないかもしれない。

    詳細は下記。
    https://note.com/t06901ky/n/n8b2a94b0d0ee

  • ▼気になったこと
    ・日本とアメリカの芸術の違い
    ・日本=分からないことが芸術
    ・アメリカ=総合プレゼン。ヒット作品はコミュニケーションの最大化
    ・芸術は何の目的でやるのか。芸術は自己満であってはならない
    ・何故芸術は尊敬されるのか?=ジャンルを超えて思想にも革命を起こすから
    ・岡本太郎さんと真逆→日常に根付く芸術。
    ▼分からなかったこと
    ・日本における評価される基準
    →アメリカで評価された以外にある?
    ・他のアーティストの評価されてきたhistory

  • よい

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著者プロフィール

北海道大学スラブ研究センター教授。1942年長野県生まれ。
上智大学外国語学部ロシア語科卒業。(社)ソ連東欧貿易会ソ連東欧経済研究所調査部長を経て,1994年4月から現職。2000年4月から2002年3月までスラブ研究センター長。
専門分野は旧ソ連のエネルギー経済,ロシア極東経済,日ロ経済関係。
著書・論文には,『めざめるソ連極東』〈共著〉(日本経済評論社,1991年),『ソ連崩壊・どうなるエネルギー戦略』〈共著〉(PHP研究所,1992年),「ロシア石油・天然ガス輸出市場の形成」西村可明編著『旧ソ連・東欧における国際経済関係の新展開』(日本評論社,2000年),「サハリン大陸棚石油・ガス開発にともなう環境問題」(『ロシア研究』日本国際問題研究所,2001年),『サハリン大陸棚石油・ガス開発と環境保全』〈編著〉(北海道大学図書刊行会,2003年)など多数。

「2004年 『北樺太石油コンセッション 1925-1944』 で使われていた紹介文から引用しています。」

村上隆の作品

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