- 本 ・電子書籍 (304ページ)
感想・レビュー・書評
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映画を観る前日に読み終えた。映画は設定も経過もかなり作り替えていてビックリした。原作では最初の5年間は、恋なんか最初からするつもりはなくてひたすら自己実現に突っ走る。オタク活動とマンガ執筆に頑張って、挫折する。この過程は、映画的に映えると予想していたのに藤井監督は採用していなかった。映画の方は、前半4年間何も出来ずに終わり、原作よりも一年早く2人の出逢いがある。和人の設定も変えていた。私はそれで良いと思う。映画は映画でしか描けないことがある。生身の小松菜奈がちゃんと茉莉の焦りもトキメキも逡巡も思い切りも体現していた。‥‥普通の難病小説の映画化ならばそれで良かった。
私も最初は、なんやかんや言ってもよくある難病ものの範囲を超えていないと思っていた。もちろん、原作者は茉莉と全く同じ病気で、余命10年を宣言させられて、既に他界していることを私は知っている。その分、リアルさはあった。正直言って、最初の頃は駆け出しの小説家としては頑張っているけれども、ラノベの域を出ていないと思っていた。ところが、余命があと2年ぐらいになってごろっと印象が変わる。
詳しくは読んで欲しいけど、彼女の選択のひとつひとつに、彼女にしか描けない世界が増えてくる。
本書は2007年に刊行された。でも2017年文庫化に向けて最後まで編集作業をしたそうだ。文庫化を待つことなく作者は他界している。何を変えたのか?何処にも書いていないし、確かめていないけど、おそらく最後の2年間だと思う。
余命9年後ぐらいに訪れた「以下の描写」は、おそらく最後の編集の賜物であり、作者の実体験だと思える。
‥‥白い世界の中で、ああ、もうだめなのかもしれないと思った瞬間、ものすごい力で下へ引きずり込まれる感覚を感じた。ベッドの柵にしがみついた。それでもあらがえない力で引きずり込まれるので、周りにいた医師の白衣を掴んだ。怖かった。当たり前だけど前もって知らされていなかった『死』へ引き渡されていく感覚に、わたしは激しく動揺した。
医師たちの適切な処置で、何とか踏みとどまることができたけれど、あれは間違いなく『死』だった。
今でも引きずり込まれるときのあの力強い感触がよみがえると鳥肌が立つ。なんとしてでも逃げなきゃとつかんだ医師の白衣の感触もまだ覚えている。怖かった。『死』は想像の何百倍も怖いものだった。(271p)
原作も映画も、普通の難病ものには無い「選択」を茉莉はする。普通のラノベならばこんな選択はしない。読者が離れるからである。それが可能なのは、抗いようもない作者のリアルがあったからだろう。
(どんな生き方だったら良かったのよ‥‥)
だってわたしは必ず死ぬ。それだけは決まっている。そう思うことで、死の恐怖と向き合わないようにしてきた。そんなものとまともに向き合ったら怖くて一歩も進めなくなってしまう。生きることの辛さを、死ぬことが救ってくれる、そう思わなければ死を持って生きることなんてできやしなかった。
間違っていない。
わたしは間違っていない。
あれから眠ってしまったのか、目が覚めると辺りはしんと静まり返っていた。 (286p)
この複雑な心情‥‥。
しかし、だからこそ、私たちの最期の時のシュミレーションとしては貴重な描写なのだと思う。
そして、これは映画では描けない。残念ながら小松菜奈だけでなく全ての若い女性には演じられないから、脚本では省略された(示唆する演技はあった)。まだ若い女性のホントの死を意識した「呟き」だったと思う。
小説家が最後まで執筆活動をしていたというのはよく聞く話ではある。でも、未完成の小説家が、人生の代表作を、最後まで手直ししていた、その「跡」が読める経験は、滅多にないのかもしれない。 -
二十歳の夏難病に罹患した高林茉莉は、余命が10年しかないことを知る。2年間の入院治療を終え自宅療養を始めた茉莉だったが、普通に外出はできるし、無理せず暮らす分にはごく普通の日常生活を送ることができた。友人の勧めでコスプレにはまり、同人誌に漫画を載せ、再会した幼馴染みとは恋に落ちるが、やがてタイムリミットが近づいてきて…。
普通に生活できるのに余命10年だなんて、何だか嘘っぽいなあ。それに、各章の終わりに茉莉の独白が付いていたりして(しかも太字)。狙ってるなあ、あざといなあ、と思いながら読み進めた。
にもかかわらず、病や死を扱っているだけにやはり胸に迫ってくるものはあって、クライマックスシーンでの茉莉のセリフ「彼女にしてくれて、どうもありがとう」にはグッときた。
巻末の著者プロフィールで、著者自身「原発性肺高血圧症」という難病に罹っていて本書刊行前に亡くなっていたことを知った。本書、実は著者の思いがたっぷり詰まった作品だったんだな。あざといと感じた言葉の一つ一つも、著者自身の心の叫びだったのか! 著者も本書を完成させたことによって、茉莉のように「やりたかった情熱には幕を下ろせたし夢にも一応の結果を残せて置いてきた。離れがたいとわたしを引き留めるものはなにもない」境地に達していたのだろうか。 -
余命幾ばくもない恋人と病室で結婚式を挙げる…ようなストーリーを想像したけど、そうじゃなかった。
死が迫って、痛くて苦しくてイライラして。
優しい人たちに当たり散らして。
嘔吐が当たり前。
やつれて醜い自分。
排泄も自分でできなくなってしまう自分。
そんな姿を愛する人に見せたくないよね。
かわいい自分でいたいもんね。
愛する人には新しい人生を見つけて幸せになってほしいよね。
それでも死が怖いから支えてほしくて甘えさせてほしいと思ってしまうのが人間なんだと思う。
支えて甘えさせてくれる人を自らがまだ元気なうちに断ち切ってしまえた主人公の強さはすごい。
この著者さんもご病気で亡くなられてるのですね。
こういうストーリーを読むといつも思うんだけど、
人生は生きてるだけで儲けもん。
当たり前のことができるだなんて、私ってサイコー!…と思って毎日大切に過ごしたいものです。 -
作者はこの本の通り、既に鬼籍にいる。
私も数々の病気・怪我をし、また死に目に合いそうなことが多々あったが、何とか生きている。
人生で楽しいのは30代までかも知れないが、その時を闘病生活を送っている方には
私の経験を超える病気の苦しみをしているので、頑張れとは気安く言えない。
病気の合間に献血をしたりするが、手紙がとても重い。
ある日突然、病気になってしまう。気を失う病も数々味わったが。この余命10年の病気の痛みは計り知れない。私は痛みの伴う病気と闘っているが、試せる治療があるのが救いだと思った。しかし、それでも毎日、痛くて困っている。
ほんと、安らかに死ねたらいいなと思った。なぜか新たな病に襲われる。
(追伸)
皮肉なことにコロナ禍のため、国会図書館で医学関係雑誌複写が便利になり、神経ブロック(麻酔)注射で三叉神経痛や偏頭痛が2年を超えてやっと、効果が表れてきた。大学院時に学んだ文献調査が頭痛治療に役立った。
認知症予防より、人間の悪の働きを抑える脳科学の研究を望む! -
「病」と「命」は人の心を動かす、フィクションの王道だと思っていて、だからこそ扱いには注意が必要だと思うのです。
ただ、著者自身がその当事者だったとしたら…?
というのが本著です。
静岡新聞の記事によると、著者は原発性肺高血圧症という難病(Googleで検索すると、「余命」とか「予後」とかがサジェストされる…)を患っていたとのこと。
本著の主人公も辛い病を患っていて、おそらくは著者と同じなのではと推察します。
そんな中で綴られる、当事者としての思い、憤り、もどかしさ…。これはきっと、フィクションではないのではないか。世間一般の感覚で「病気なんだ、可哀想だね」をぶつけられると当事者がどれだけ傷つくのか。それを知るためだけに本著を読んでも良いのではないかとも思いました。
なんと言うか、「薔薇は美しく散る」のかもしれないけど、人間はきっとそうではないし、そうでないのが自然で、でもその中で何かを求めて、あるいは頑張って求めることを拒んで…。
綺麗な筋書きではなく、人間がそこに生きた、生々しい記録として本著が存在するのかなと感じました。
(こういう場面で"生"を使いすぎるのは、文章力が足りないなと痛感します…) -
AmazonUnlimitedで読了。
これは小説のはずだ。願望も真実も含まれていて、全部が事実ではないだろう。でも、これを泣けるとか感動するとか、気軽には言えない。作者様はもう鬼籍に入られているので、むしろ闘病がきつい中、よく書けたねと労って差し上げたい。本当にそれは本心なのだけど、あえて書かせて頂く。
これを書かずにおいて闘病なさるのは、辛かったろう。言わずにおられず、さりとて直に言ったらつらくなるので、という事情のもと、小説として遺されたのではないかと拝察する。その思いには胸は痛むが、これを泣ける小説と称賛していいのか。作者様も茉莉と同じ病に臥せっていらしたなら、この粗削りで生な思いに、傷つく方もいたかもしれない。だって胸の底で何を思っていらしたか、知りすぎてしまう方にはせつなかろう。
余命に10年と言われると、私は長いと思ってしまう。それだけあったらちょっと違う考えも持ったと思うのだ。
死期を告げられるのもつらいが、完治はしないがズルズル弱り、さりとて、若く儚げにも見えず、美しくない、弱るくせに生き続けている病もつらいものだ。そういう場合でも、衰弱などあっても、やり過ごす。地道に戦いながら。そういうものだ。
茉莉の思いは痛いほどわかるけど、言わずに置く方が良かった気もする内容が含まれている。患者なら意地でも零したくない本音が溢れすぎていて、見てはならぬもの、見せてはならぬものを突きつけられたように感じてしまうのだ。
和人との恋が鮮烈であればあっただけ、荒々しく暗い部分の闇色が濃い。これはやっぱり、小説というよりフィクションの入った、違うなにかだと思う。
けれど。なにより。
話は、ちゃんと聞いたよ。最初から最後まで。あなたと同じ道筋を歩いてても、もっと平坦な道を歩いていても、これだけ書けない人もいる。すごいよ。
病気に関係なく、あなたは素晴らしい。お疲れ様。 -
とても切なかったです。
想像していたよりも呆気なく終わってしまいました。
精一杯生きる主人公はとても輝いていました。
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【自分の人生が残り僅かなら、あなたは何をしますか?】
数万人に一人の不治の病に冒された茉莉は、その残された時間を使って精一杯生き抜く物語。
大抵の人は自分の人生がまだまだ続く物だと錯覚する。
もし人生にタイムリミットがあるなら、何がしたいだろうか?
茉莉は大病を患って、今まで好きだった絵を描く事に没頭していく。
心から楽しい事で心を和ませるが、本当の死の恐怖は誤魔化せない。
それでも、周りを心配させないよう笑顔で振る舞う茉莉。大切な物が増える程、死ぬのは怖くなる。
だからこそ、生きた証を残す為に精一杯に足掻くのだろう。 -
迫り来る死を前にこんなに切ない別れを選べるだろうか…
和人とともに残された3年を支えられながら生きることも出来たのに。そう思うと主人公、そして本書の編集後に他界した作者の潔さ、生き様を感じずにはいられません。
不治の病、余命10年の宣告を受け入れ、歳を重ね、出会いの中で自分の人生に真剣に向き合い、自分なりの答えを見つけながら生き抜いたひとりの女性の軌跡のストーリーです。 -
この本は、失礼ながら本を読んでいるのが似合わない印象の方が持っていた本でした。ついつい「何の本ですか?」と聞いてしまうと「余命10年」と答えました。それから数年経って、積んでおいたんですが、久しぶりにその方とお会いしたら、「今すぐ読んでください」と言われ、それから1日で読んでしまいました。
病気とは理不尽で、乱暴で、心が乱されます。
自分は下痢でトイレから出られない時ですら、「何で自分がこんな目に遭わないといけないんだ!」と憤り、もう二度とあれは食べませんので許してくださいと懺悔するくらいなのに…いかに健康とは尊いものなのかと思い知るのに…主人公のように、不治の病に20歳でなったらどんなに苦しいでしょうか?
作者はまさにこの病気で既に亡くなっています。きっと闘病中に思ったことが沢山描かれているのでしょう。
あと10年で死ぬと分かっていたら…いっぱい本を読みたいかな。
著者プロフィール
小坂流加の作品






完全なフィクションだと思っていました。感想を読んでネットで深掘りした所です。
感想の観点も...
完全なフィクションだと思っていました。感想を読んでネットで深掘りした所です。
感想の観点も素晴らしいです。映画も見てみたいと思いました。
そうか、完全なフィクションだと思っていたんですね。
それだとラノベの新バージョンぐらいにしか思えないかもしれませ...
そうか、完全なフィクションだと思っていたんですね。
それだとラノベの新バージョンぐらいにしか思えないかもしれませんね。
でも、病気への恐怖は実体験でした。
小松菜奈もそれなりに力演しています。
映画も良かったです。