マチネの終わりに(文庫版) (コルク) [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  • ちょうど半分くらいまで読んだところで、もうやめようと思いました。
    正直、あまりにありえなく苦痛でした。
    (読まれた方でしたら、お察しいただけるかとおもいます)

    でも、最後まで読んでよかったです。
    陽に照らされたセントラルパークのベンチ。目に浮かんできます。
    よかった。

    あり得ない出来事以降、ふたりの心の葛藤は見事で、その判断も対応も大人です。
    極めた人は美しいですね。

    石田ゆり子さんのエッセイも、ドラマも好きなので、映画を観てみようと思いました。

    +++

    取材・報道、サブプライムローンに関するお仕事がでてきます。
    これらに関する本を立て続けに読んでいましたので、彼らの取り組みと考え方も気にしつつ読みました。
    いくらお仕事とはいっても、良心の呵責はないのか。本当に真実を伝えることができているのか。その仕事によってどれだけの人を不幸にするのか。
    そのような仕事で、そのような対価を得て、人として恥ずかしいとは思わないのか。

  • 私このような類の話苦手なんです。
    恋愛小説全般が苦手なのではなく、この類なんです。
    映画化もされた有名なお話なので気になり読み始めましたが、3分の1程で後悔しました。
    読み進めるのがすごく辛くて、何度も何度も「もう無理」って投げ出しそうになりました。
    印象が離れなくて、余韻がものすごくて、打ちのめされました。
    作者の狙いでしょうね。
    これは苦手故の評価です。
    洋子は私と年齢が近いのですが、あまりに倫理的で道徳的な考え方を持っていて、自分本位には生きられない性質なのだろうと思いました。
    私の頭の中が子供なのかもしれません。
    蒔野の洋子に惹かれる純粋な気持ちに心を打たれ、それがとても苦しかったのです。
    マネージャーの早苗の行動に苛立ちが絶えませんでしたが、彼女には女というものの本質が垣間見えました。
    完全に悪役ですが、完全な「悪」ではない、彼女にもまた同情の気持ちが沸き、複雑でした。
    「ニセモノの人生を歩んでいる」感覚が、彼女の頭から離れず、罪悪感に囚われているのです。
    蒔野の洋子の中にも「お互い一緒にいない人生」への違和感と葛藤が何度も何度も常に付き纏います。
    最後まで読み終えて、2人の関係性は、小説的ではなく、とても「現実に近い」ものであるという結論に達しました。
    これからも続くであろうこんな出会いと関係性は、たった一回の人生の中であっても良いのではないかと思いました。
    辛いけどね。

  • かつての輝きを失いかけた天才クラシックギタリスト。有名な映画監督の娘でジャーナリストの洋子。
    深い愛で結ばれるているのに、実際は三度しか二人は会っていない。途中、恋敵に引き裂かれた二人。人生を失ったような二人に影響を及ぼす周りの人々。

    話の展開がゆっくりで、しかもよくあるすれ違いネタ。読んでいる途中で退屈してしまった。しかし、東日本大震災を経て、ニューヨークで行われたリサイタルでの再会に至る最後の場面までの積み重ねに心を揺さぶられた。ストーリーテーリングで読者を引っ張っていくわけではなく、美しい言葉を積み重ねて読者を虜にする作品もあるのだと知った。
    初めて読んだ平野啓一郎の作品だったが、よかった。

  • 本には出会いというものがある。
    読みたくても手に取らなかった本に、些細なきっかけで出会えることがある。

    大田区民ホールアプリコで行われる「本と音楽の素敵な出会い」のポスターを図書館で見た。

    「マチネの終わりに」をテーマに、作者の平野啓一郎とギタリストの大萩康司のイベントが開かれるという。

    早速チケットを申し込み、少し早い夏季休暇を取得。

    そしてその予習として、AmazonAudibleで聞く読書。
    YouTubeで楽曲を聞いた。

    ギタリストの蒔野聡史は、通信社のジャーナリストの小峰洋子と恋に落ちる。

    だが、洋子には婚約者がいた。

    子どもの頃から天才の名をほしいままにしてきた蒔野。

    映画監督イェルコ・ソリッチと長崎出身の母の間に生まれた洋子。

    洋子は、バグダッドでの取材中に爆弾テロに巻き込まれる。

    この事故をきっかけに、二人の関係は、友情を越えたものになっていく。

    文化と芸術。

    戦争と平和。

    資本主義とヒューマニズム。

    多彩な登場人物を、ナレーターの声優 羽飼まりが語り分けて、物語を彩っていく。

    文化を創るのも人間。
    戦争を起こすのも人間。

    人生の目的とは。
    人間の幸福とは。

    聡史と洋子と、二人の大切な人々が、運命に翻弄されながらも、それに抗いながら生きていく。 

    幾重にも壮大なテーマが綴られる大作。

  • ギター奏者の主人公は2006年で38歳ということで奇しくも同い年。2歳上の女性との恋愛物語だが、ある人の裏切りにより引き裂かれる。その真相を知った時、どう動いたか。音楽や映画の話と共にすすむ美しい物語で、イラクや震災などの社会問題にも考えさせられた。ラストは感動。

  • この感想、とてつもなく長いです。そしてネタバレを含みます。

    この本は知っていたけど読んでいなかった。

    ある出来事があり、いまだその感覚に浸っているときにたまたま見かけ
    今までにないくらい強くひかれて「今すぐに読まなくてはいけない」という気持ちに駆られた。
    人との出会いも運命的な時があるけど、本もそう。
    それとも、無意識にアンテナや感度が変わって、そういうフィルターを抜けて届くのかな。


    結果。
    私は凄く好き、とてもドキドキした(恋愛小説のドキドキではなく、動悸に近い)。
    この本の深い好みは、共鳴できるかどうかな気がする。
    ただ、二人の関係に共鳴できなくても、それをカバーするほどの他の素因がまわりにちりばめられていて、色々な背景の読者に支持されるのではないか。
    あとは、これを二十代前半に読んでいたらここまで理解?できなかった、したくなかったと思う。
    文章も日本語がとても美しい。


    (私は普段恋愛系は読まないんだけど・・・)
    大人の恋愛小説かと思いきや、それはメインプロットとしてあるけど(恋愛、と言っていいのかわからない)、サイドの話ージャーナリズム(プロバカンダも)、宗教、音楽、哲学、文学・・・ーが濃くてパンク。

    3.11はあまり要らなかったような・・・とも思うが、友人の死後のシーンと、洋子の九死に一生を得た体験が重なる部分でもあるよなぁ。あの時あのタイミングで、という不可抗力、それも運命なのか。

    ナショナリズムの部分も、グローバル化の中、最近さらに逆説的に強まっている部分でもあるし、これからも続いていくところなんだろうな。
    この本のそのサイドの面にインスパイアされる読者は多いのではないだろうか。

    こんなことを考えている平野さんは普段こういう会話ができる人がいるんだろうか。(村上春樹の作品に出てくる登場人物にも同じようなことをいつも思う)。ある程度の会話は楽しめるけど、本当に自分の知識や頭のレベル(?)や興味と同じ階層にいないと、話す側も聞く側も不完全燃焼というか・・・。

    そういう意味で、感性までもかっちり波長の合う二人、ただあの人と話したい、ずっと話していたい、そんな強い欲というのは恋愛とはまた別でもとても人間的なのではないか。
    "洋子と<<ヴェニスに死す>>の話をしたかった。しかし、話題は何でもよかった。(中略)一緒にいて、あんなに安らぎを感じ、知的に刺激され、何より笑顔の絶えない相手を、彼はほかに決して知らなかった"
    男女だったから(そして自分に持っていないものをお互いもっていたから)恋愛というジャンルにはまったけど、私はこれを単に恋愛と呼びたくない。(マリアとマルタの話も)。
    でも、それと同時に、こういうのって男女のほうが、同性よりもおこるのではないかとも思い、生物や脳の不思議を感じずにはいられない(もちろん、同性同士でもあるとはおもうが)。
    ちなみに平野さん自身がインタビューで"お互い他の誰といる時よりも二人で一緒にいるときの自分が一番生き心地が良くて、輝いているように感じられる。それが惹かれ合う理由として一番大きいと思います。"とおっしゃっていた。まさに蒔野のセリフ。


    スペックの高さや、「たったそれだけあった人にそんなに??」という部分はさておき、遠距離のスケールが現実離れ・・・とかのクリティシズムはあるかもしれないけど、私は彼らにはこの物理的な距離は必要だったとほぼ確信している。


    "蒔野と自分の間に流れた時間記憶が、彼女の胸を締め付けた。(中略)そして、『ーーーなぜなのかしら?』と無意識に又問うた。なぜ自分は、彼と別々の人生を歩むことになってしまったのだろうか?"

    恋愛の究極のゴールが結婚であると、特に若い時に思いがち。でも、必ずしもそうではないのではないかと思う。そうでないと思いたい時もある。
    先日読んだ『結婚という物語』でも、色々なことを考えた。
    (その物語の)彼らには子供はいなかったという差異はあるけど、この『マチネの終わりに』の二人の決心はは日本的でもあるような気がした。どちらも正解不正解ではなく、どちらも「そうだよねぇ・・・」となる。
    "誰の、誰の歓心を買うためか、決して満足することのない意志に、その身を絞らせるとは。"←これはとても欧米的な感覚だと感じた。


    結婚は日本語でも英語でも結ぶという表現がある(tying knots)けど、結ばれなかったひもは失敗なんだろうか。
    結んだひもがほどけてしまった時、ほどかざるを得なくなったとき、それは失敗なんだろうか。
    "あの夜、ひとりでタクシーに乗らずに、朝まで一緒にいたいといったなら、どうなっていたのだろう?"
    運命とまで思う人と一緒になれない場合、つらさから「どうして出会ってしまったんだろう」と、なると思うけど、「出会わなかった人生はもっと悲しいし、出会うことができて本当によかった」と未来から過去をアップデートできるというのも大人・・・なのかな。
    洋子の父との再会のシーンは、そんな不安やつらさ(洋子自身であり、読者の)を大きく温かく払拭してくれるシーンだったと感動した。

    "でも、出会ってしまったから---その事実は、なかったことにはできない。小峰洋子という一人の人間が、存在しなかった人生というのは、もう非現実なんだよ。" (中略) "私と結婚して、子供を育ててって生活を、蒔野さん、現実的に考えられる?それがこの関係のための正しい答えなのかしら?"


    セントラルパークで二人はあの後どうなったのだろう。
    個人的には、お友達のハグをして、精神的にしっかりと再び結ばれあい(蒔野の一番愛しているひと、洋子の一番愛している人、という結婚という枠組みを超えた心のつながり)、その後「また会える日まで」と別れられたのではないかと思う。(ホテルと洋子の家が凄く近いようなので肉体的にも何かあったかもしれないけど、そこはあまり考えたくない)
    そう思う根拠としてはふたつ。
    ひとつは、そうでないと、それまで散々話の軸にあった"過去は変えられる"という部分が崩れる気がする・・・もっと単純にいうと、運命の相手と結婚という形で結ばれなかった、けれどそれだけではないという希望を与えてきた流れからして、それを大きく精神的に裏切るから。
    もう一つは以下の引用
    "まだ知られていない広場がどこかにあるのではないでしょうか?そこでは、この世界では遂に愛という曲芸に成功することのなかった二人が、...彼らはもう失敗しないでしょう、今や真の微笑みを浮かべる、その恋人たち・・・"
    この現実では一緒の人生を共に歩むという形では結ばれないが、もしもう一つの世界があるなら、また巡り合えるなら、そのときは。そういう風に取れた。

    一方で、序において
    "彼らの生には色々と謎も多く、最後までどうしても理解できなかった点もある。私から見てさえ、二人は遠い存在なので、読者は、直接的な共感をあまり性急に求めすぎると、肩透かしを喰らうかもしれない。"
    というのも引っかかります。これを読むと、やっぱり一緒になったのかな・・・なんて。わからない。


    筆者が明言していない限り、読み手に100%ゆだねられるので取り方は人次第・・・。
    ただ、再び会うことができ、誤解を解くことができ、お互いの心のつながりを再確認する、それはハッピーエンドというのではないか。


    序でモデルがいるとの前置きがあるため、実話をもとにしたストーリーと言われるが、その部分がフィクションか否かは私たち読者には確かめようがなく、ここからすでにフィクションで物語がスタートしているのではないかと感じた。どうなんだろう。
    私は個人的に平野さんもご自身の体験で同じようなことがあるのではないかとおもう。そうでない場合、やはり小説家というのはものすごく人の皮の下に潜り込むのに長けているのだと尊敬。


    しかし、早苗は辛いな。
    社会的な契約では夫は自分のもとにいるし、その愛は存在するけれど、どちらかというと情。
    それを本人もわかっているし、本当に自分よりもはっきりと心が強く通じ合っていてがっちり結ばれている相手(しかもスペックがすべてにおいて桁違い)がいると知りながら生きていくのは、すごく大きな代償。
    でも、とても人間味があるキャラクターだと思う。私は早苗に不思議とイライラしなかった。

    リチャードはなかなかまさにウォール街のアメリカ人のクリシェから作られたようなキャラだったな・・・。そして手のひら返しのような家族、、。でもポジティブにうけとめると、そういう対応のほうが気が楽かも。



    ・・・にしても、私はいつまでたっても、どんなに年をとってももし同じ立場なら、洋子のようにはなれないだろうな。自分の運命の人と一緒になった人(しかも妊娠中)に「幸せになりなさい」なんて死んでも言えません。それが相手への愛と想っても、そこまで仏には・・。そのあとベッドで号泣するシーン、つらい。でも、ケンがいるからできたのかな。
    もし将来子供ができたら、または40代になったら、また読んで自分の感じ方が変わるのかどうか試したい。


    自分と他者の存在、影響力についての部分は、『すべてがFになる』を思い出しました。


    因みに映画は見ていない。
    読む前に映画で福山雅治さんと石田ゆり子さんが主演と知ってしまっていたので、読んでいる間二人の顔で先入で再生されて自分で作り上げられなかったのが残念。(お二人ともとても好きなのですが)
    私の中で蒔野はもっと地味な感じ、洋子は笑うと石田ゆり子さんのようだけどもっとキリっと芯が強うそうな感じのイメージだったんだけど(長谷川潤とか、伊藤詩織さんとか、パリで言うと雨宮塔子さんとか)。石田さん、自分の気持ちを殺して笑顔作るのうまそうだけど。

  • 自分の持つ語彙力ではうまく感想が書ける気がしない。
    大人の恋愛小説、といえばそうではあるのだがそこから連想されるようなトレンディで華やかな内容ではない。
    読んでて絶望してしまうほど結ばれない。誰よりも深い部分で結ばれているのに。
    二人が謙虚で高潔な人物であるがゆえに、また年齢の要因も大きいのだろうが、なりふり構わず互いのことを手繰り寄せることができず、別の運命の波にさらわれ、届かない場所に離れてゆく。
    蒔野は脳内で完全に中井貴一に、小峰洋子は滝川クリステルないしは宮沢りえで変換されていたが、映画で実際に演じたのは福山雅治と石田ゆり子。未視聴だがこの苦しく深い情愛の様がどのように撮られているか気になる。

    「過去は変えられる」という概念が良い。

  • 圧倒的な愛の物語だが、この物語をなんとジャンル分けしていいのか僕はわからない。
    はじめは恋愛小説だなあ、と思っていた。
    次に社会派の物語だなあと思った。
    途中でこれは芸術論だし、人生をどう考えるかという哲学だとも思った。
    それらすべてがないまぜになり、圧倒的なパワーを持って、クラシックギターという芸術性を介してひとつの男女の半生を描く。

    平野啓一郎らしくないな、と思わないでもないのだけど、物事のとらえ直しというか、一辺倒でないものの見方は紛れもなく平野のそれだし、彼の「世界のとらえ方」に、読者としてふれる僕はいつもハッとする。

    人生というのは、苦しいものだなあ。
    私も、あなたも、きっといくつものしんどい思いを携えて、そして致命的な何かと出会い、後戻りすることができずに、ただ時間の流れとともに前に進んでいくしかない。気づいたら一年がたち、五年がたち、以前とはまったく異なる自分(否、本質的には何も変わらないのに、周囲の環境が変わることでまったく異なったように見える自分)というものになっている。
    時間を経た後の自分ができるのは、人生をやり直すことではない。現在を通して過去を変える。そのとらえ方を変えていくということだ。

    最期のシーンで、これから二人がどのように過去をとらえ直していくのか、どんな現在によって過去を変えていくのか、それがとても気になるが、さて、作者はそれを用意していない。読者それぞれの解釈があるだろう。

    しかしながら平野啓一郎と同じ時代を生きている自分はいかに幸せだろうかと考える。
    彼によって私は自分が生きる世界をあらためて認識し、この社会というものの一端を考えることができる。

  • 大人の恋の物語、決定版。
    一目惚れに近い勢いで恋に落ちたアラフォー男女の人生とすれ違いと結末。

    「ある男」が面白かった平野さん、やっぱり図書館で見かけた本書にも手を出してみました。こちらは福山雅治と石田ゆり子で映画化されていて、まあよくあるお気楽大人の恋物語なんだろう、と思って遠巻きにしていたのですが、やあ、実に深くて面白かったです。
    大人の恋というのは、若き日の恋と違って勢いで突っ走る清々しさみたいなのがないのですね。それぞれがすでに人生の半ば、いろんなものを経験して背負って、時間は無情にも過ぎ行く、その中で恋心が育まれていく、という描写が実に丁寧で、非常に読み応えがありました。特に、それぞれが生きている上で負っている痛みの過去は、時間を経て違う形になっていきます。それを「過去は変えられる」というポジティブな表現にする、というのはとても素晴らしいな、と思いました。また、話の中にはイラク戦争や難民や金融資本主義の危うさ、3・11など、社会的な側面も深く切り込んでいるところが平野さんらしく、世界観を深めていました。
    一方でストーリーは、一目惚れからすれ違いによる破局、すれ違いの修復と出会い、みたいな、それこそきれいに映画にまとまりそうな展開になっていて、読者のカタルシスをしっかり担保したラストなんかは少し肩透かしな感じもしました(でもすごく楽しめた)。「ある男」でも大人の恋愛について描写があり、実はそっちに寄せた結末も予想していたのですが、そこは無難、というか読者の求める方向にオチをつけた、ということなのでしょうか(読んでいてこっちのオチじゃなくてよかった、と思ったし)。
    何しろ、おしなべていえば単なる「大人の恋愛もの」なのですが、そこに至るまでの細やかな描写や背景の書き込みが素晴らしかったです。物語のその先も、読者の想像をいっぱいに引っ張っていて、さじ加減も絶妙でした。
    恋愛ものの小説はほとんど読まなかったのですが、もっと手を出してもいいのかも。と思わせてくれました。江國香織と辻仁成の「冷静と情熱のあいだ」もお楽しみください。ヨーロッパが舞台になった大人の恋愛ものっていうだけですが。

  • たった数時間、出会っただけだが、互いに惹かれたギタリストの聡史とジャーナリストの洋子。ある理由で、一緒に時を過ごすことはなかったが、離れている期間に相手を想い、離れざるを得なかった現在を顧みる。

    過去は変えられないと人は思いがちだが、過去は変えられると語る聡史。

    自由意志は未来に対しては希望だが、過去に対しては悔恨になる、運命論の方が慰めになる、という台詞は、自分の考えにも近かった。

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著者プロフィール

作家

「2017年 『現代作家アーカイヴ1』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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