反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー [Kindle]

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  • 内容は面白いのだが、翻訳に難あり。

  • 「しかし今では、定住は動植物の家畜化・作物化よりずっと早かったこと、そして定住も家畜化・作物化も、農耕村落らしきものが登場する少なくとも4000年前には存在していたことがわかっている。定住と最初の町の登場は、ふつうは灌漑と国家が影響したものだと見られていた。これも今はそうではなく、たいていは湿地の豊穣の産物だということがわかっている。また、定住と耕作がそのまま国家形成につながったと考えられていたが、国家が姿を現したのは、固定された畑での農耕が登場してからずいぶんあとのことだった。さらに、農業は人間の健康、栄養、余暇における大きな前進だという思い込みがあったが、初めはそのほぼ正反対が現実だった。」(Location: 101)

    「この新奇な生態的・社会的複合体は、わたしたちの種の歴史が文字で記録されるようになってからずっと、ほぼすべての鋳型となってきた。この鋳型は、人口の増加、水力および通気力、帆走船、そして長距離交易によって大きく増強されながら、化石燃料の利用まで、6000年以上をかけて広がってきた。この本を書く原動力となっているのは、農業を基礎とするこの生態学的複合体の起源と構造、そしてその影響についての好奇心だ。」(Location: 207)

    ※アントロポセン=人類が地球の地質や生態系に重大な影響を与える発端を起点として提案された、想定上の地質時代。 和訳名は人新世のほかに新人世(しんじんせい)も見られる。

    「人類の活動が現在の生態圏に決定的な影響を及ぼしていることに疑いはないが、いったい いつ それが決定的になったのかについては議論がある。最初の核実験が行われ、永続的かつ検出可能な放射能の層が全世界に広がってからだとする考えもある。アントロポセンの時計の動きだしを、産業革命と化石燃料の大規模使用に合わせる説もある。ほかにも、時計が動きだしたのは産業社会が景観を劇的に変容させるツール──ダイナマイト、ブルドーザー、鉄筋コンクリート(とくにダム用) など──を獲得したときだという主張もできるだろう。」(Location: 222)

    「わたしはこれに替わるものとして、歴史的にもっと遠い出発点を提案したい。環境への影響の質的量的な飛躍という前提を受け入れたうえで、アントロポセンは火の使用から始まったとするのはどうだろう。火は、景観形成(もしくはニッチ構築) のために ヒト科動物 が最初に用いた偉大なツールだ。火の使用の証拠は少なくとも 40 万年前にさかのぼるから、使用自体はもっと早くて、ホモ・サピエンスの登場よりずっと前のはずである。」(Location: 230)

    「そしてもうひとつ、近代以前の決定的な制度的発明といえるものがある。それは国家だ。最初期の国家がメソポタミアの沖積層に生まれたのは、どんなに早くても約6000年前だから、この地域で農業と定住が行われたことを示す最初の証拠より数千年も新しい。」(Location: 240)

    「そこである感覚が要求してくる──わたしたちが定住し、穀物を栽培し、家畜を育てながら、現在国家とよんでいる新奇な制度によって支配される「臣民」となった経緯を知るために、 深層史 を探れ、と。わたしは、歴史学ほど破壊的な学問分野はないと思っている。歴史学は、今わたしたちの多くが当然視しているものについて、それがどんな経緯でそうなったかを語ることができるからだ。」(Location: 244)

    「国家形成にまつわる根本的な疑問は、わたしたちホモ・サピエンス・サピエンスがいったいどういう経緯でこんな暮らし方──作物化・家畜化された植物と動物、および人間による前例のない集住──をするようになったのかということだ。そして、この暮らし方は国家の特徴でもある。こうした幅広い視点で考えると、国家という形態はどう見ても自然ではないし、既定のものでもない。」(Location: 257)

    「わたしたちは、国家成立以前の祖先の敏捷さや適応力の度合いを過小評価してきたに違いない。そうした過小評価が積み重なって文明の物語となり、そこから、狩猟採集民や移動耕作民や遊牧民をほとんどホモ・サピエンスの亜種と見て、それぞれが人類の進歩の各段階を示していると考えてきたのだ。しかし歴史的な証拠は、人びとが、こうした特徴的な生業様式のあいだをいとも簡単に往き来していたこと、そして実際には、そうしたものを組み合わせて、肥沃な三日月地帯をはじめとする地域で、独創的なハイブリッドの生業様式をいくつも作り出していたことを示している。」(Location: 1,055)

    「文明を可能にしたブレークスルーとされるものの見方として、これはあまりに暗すぎるかもしれない。それでも、少なくともこうは言えるだろう──野生の動植物を飼い馴らしたことは、わたしたちの種が自然界への注意力とそれに関する実践的知識を縮小させたこと、食餌の多様性が乏しくなったこと、空間が小さくなったこと、そしておそらくは、儀式生活の幅が狭まったことをも意味しているのだ、」(Location: 1,568)

    「もし文明があることをもって国家の達成だと判断するなら、そしてもし古代文明が定住と農耕、ドムス、灌漑、町を意味するとしたら、歴史の順序にはなにか根本的な間違いがあることになる。こうした新石器時代の人類の達成は、どれもメソポタミアに国家らしきものが現れるはるか以前から存在していた。まったく逆なのだ。現在わかっていることを根拠にすれば、萌芽的な国家は、後期新石器時代の穀物とマンパワーのモジュールを活用し、支配と収奪の基盤とすることによって生まれた。このモジュールこそが、これから見るように、国家の設計に利用できる唯一の足場だったのである。」(Location: 1,941)

    「ごく大雑把にいえば、古代国家はすべて農耕国家であり、非生産者(官吏、職人、兵士、聖職者、貴族階級) を食べさせていけるだけの、収奪可能な農業−遊牧生産物の余剰が必要になる。これは、古代世界の輸送力を考えると、可能な限り多くの耕作可能地を集め、可能な限り多くの人間をそこで働かせ、それを可能な限り小さな半径のうちに集中させることを意味していた。豊かな沖積層の土壌に位置していた後期新石器時代再定住キャンプは、人と穀物の既存の核として、国家の基となりうるものだった。」(Location: 2,061)

    「国家は臣民をきめ細かく管理しようとしたのだろうが、実際には、逃亡と死亡による損失の補填につねに苦慮していて、だいたいは強制的な軍事作戦によって、それまで「課税も規制もされなかった」人びとのなかから新しい臣民を囲い込んでいた。」(Location: 2,538)

    「定住と穀物の作物化が国家形成に先立っていたのと同じで、初期国家は生産人口を、ひいては収奪できる余剰生産を最大化するための必須の手段として、奴隷制度に工夫を加えてスケールアップしたのだ。」(Location: 2,549)

    「奴隷制や人間の束縛を発明したのが国家でないことはわかっている。そうしたものは、数え切れないほどある国家以前の社会にも見られる。しかし、捕虜を使った強制的人間労働をシステム的な基盤とする大規模社会は、たしかに国家の発明だった。」(Location: 2,921)

    「奴隷制が国家の発明ではないのと同じで、戦争も国家の発明ではない。しかしここでも、この制度を一大活動としてスケールアップしたのは、やはり国家だった。国家が成立する以前から小規模ながらもつねに行われていた捕虜獲得のための略奪が、目的はそのままに、他の国家を相手にする戦争のようなものに姿を変えたのである。二つの国家のあいだの捕虜獲得戦争では、敗戦国はほぼ文字どおり消滅した。これこそまさに「崩壊」だった。ふつう、人口の大半は殺されるか、連れ去られるかした。神殿は破壊され、家や作物は焼き払われた。要するに、敗戦国は完全に消し去られたのだ。」(Location: 3,251)

    「広い意味での「飼い馴らし」というレンズを使うと、国家の中心地から見た「野蛮人」の意味がよくわかる。国家のコア地域にいて穀物を育てた奴隷は飼い馴らされた臣民だが、採集民や狩猟民、遊牧民は野生で、未開で、飼い馴らされていない人びと、つまり野蛮人だ。飼い馴らされた臣民にとっての野蛮人は、飼い馴らされた家畜にとっての野獣、害虫、害獣に相当する。」(Location: 3,526)

    「最初の国家群が登場してから無国家民に対する覇権を確立するまでの期間を、わたしは「野蛮人の黄金期」だと考えている。これは国家があるからこそ、そして国家が強くなりすぎないかぎりは、野蛮人でいる方が多くの面で「いい」という意味だ。国家は、略奪と貢納という面で おいしい 場所だった。捕食者としての国家が定住して穀物栽培する人びとを必要としたのとまったく同じように、定住人口が集中し、穀物、家畜、マンパワー、商品がそろっているところは、国家以上に可動性の高い捕食者である野蛮人にとって格好の抽出の場となったのだ。」(Location: 3,560)

    「この本でのキーポイントは、国家というものは、いったん確立されてからは、臣民を取り込むだけでなく、吐き出していたという点にある。逃亡の原因は途方もなく多様だ。伝染病、凶作、洪水、土壌の塩類化、課税、戦争、徴兵など、すべてが着実な漏出の理由になるし、ときには大量脱出のきっかけにもなる。逃走して近隣国家へ向かう者もいただろうが、多くは(とくに捕虜と奴隷は) 辺境へと逃れて別の生業形態を営んだだろう。彼らは事実上、意図して野蛮人になったのだ。」(Location: 3,701)

    「だとすれば、野蛮人の大多数は、遅れたり取り残されたりした原始人ではなく、むしろ国家が誘発する貧困、課税、束縛、戦争を逃れて周縁地へ逃げてきた政治難民、経済難民だったことになる。国家が時とともに自己増殖し、成長するにつれて、自分の足で意見表明する者の数はどんどん増えていった。広大なフロンティアへの脱出は、 19 世紀から 20 世紀の初めに貧しいヨーロッパ人が新世界へ移民していったのにも似て、反乱より危険の少ない救済の道を提供してくれた。」(Location: 3,742)

    「おそらく野蛮人は、幅広く理解すれば、交易の爆発的増加を利用できる──そして多くの場合は直接代金を請求できる──またとない立場にあった。詰まるところ、野蛮人はいくつもの生態ゾーンにまたがって移動し、拡散していることによって、各地の穀物集約的定住国家を結合する細胞組織となった。交易が拡大するなかで、移動性の無国家民は交易の動脈と毛細血管を支配し、その見返りに貢納を要求することができた。地中海を渡る海上交易では、この移動性がなおいっそう重要だった。」(Location: 3,970)

    「差し引きすれば、こうした「遅れてきた野蛮人」の暮らしはかなりよかったようだ。生業はこの時点でもまだいくつもの食料網にまたがって広がっていたし、分散していたから、ひとつの食料源での失敗に対してそれほど脆弱ではなかった。おそらく健康になって長生きしたことだろう(とくに女性の場合)。有利な条件での交易で余暇が増え、おかげで狩猟採集民と農民のあいだの余暇−苦役比率にはさらに大きな差がついた。」(Location: 4,080)

    「野蛮人の軍隊は、国家を略奪するのと同じくらい、その建設にも関わっていたのだ。奴隷狩りによって国家のマンパワー基盤を系統的に補充し、軍事面での奉仕で国家を守り、拡大することで、野蛮人は自らすすんで自分たちの墓穴を掘っていたのである。」(Location: 4,097)

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著者プロフィール

1936年生まれ。イェール大学政治学部・人類学部教授。全米芸術科学アカデミーのフェローであり、自宅で農業・養蜂も営む。東南アジアをフィールドに、地主や国家の権力に対する農民の日常的抵抗論を学問的に展開した。ウィリアムズ大学を卒業後、1967年にイエール大学より政治学の博士号を取得。ウィスコンシン大学マディソン校政治学部助教授を経て、1976年より現職。2010年には、第21回福岡アジア文化賞を受賞。著書 『反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー』(立木勝訳、みすず書房、2019)『実践 日々のアナキズム――世界に抗う土着の秩序の作り方』(清水展他訳、岩波書店、2017)『ゾミア――脱国家の世界史』(佐藤仁監訳、みすず書房、2013)ほか。

「2019年 『反穀物の人類史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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