遅いインターネット (NewsPicks Book) [Kindle]

著者 :
  • 幻冬舎
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感想・レビュー・書評

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  • タイトルからして、スローライフを推奨する弛~い本だと思って手に取ったら、全然違った。こんな硬派な本だったとは。しかも、頭でっかちな読みにくい文章なので、なかなかスッと頭に入ってこない。特に第3章(吉本隆明、糸井重里を引き合いに出した社会意識論的な論考)は非常に難解。

    例えば、「承認の再分配と化した政治から距離を置き、それを支えるボトムアップの共同幻想から自立すること。そのためにコト(政治)ではなくモノ(生活)の水準で考えることは、多くの場合旧い「境界のある世界」の「Somewhere」な住人には階層的に難しいのだ」とか、「もたざる者の自己幻想の触媒としてのボトムアップの共同幻想が支配する「母性のディストピア」」なんて言われても、抽象度高すぎて何のこっちゃ、だよな。著者は読者に分からせよう、という気がないみたいだ(俺の言論が分かる知識人だけついてこい、というスタンス?)。

    とは言え、内容はそれなりに面白かった。自分はFacebookもTwitterもやらないので、ネットの荒んだ状況をあまり把握していないが、サイトが炎上して閉鎖に追い込まれるとか、ネット上に罵詈雑言が渦巻いて(それをまたワイドショーが執拗に取り上げて追い詰め)、芸能人なら自粛、政治家なら議員辞職、企業なら倒産の憂き目に会うなんてことが日常化している。

    不祥事や失言があると、これでもかと言うくらい徹底的に叩いて公開処刑する昨今の風潮は、ホント不愉快。なのでその手のテレビ番組や週刊誌やネットニュースは見ないようにしている。

    この傾向は以前からあったけれど、やはりここSNSの普及によって、世の中益々寛容でなくなってきているのかな。

    著者も、SNSという簡易な発信ツールを得ることで「人類の何割かは確実に…より愚かになっている。少なくとも発信する能力を得ることで、その愚かさを表面化させている」と書いている。その意味で、「インターネットは平成の最大の希望であり、そして最大の失望だった」のだと。

    その元凶は、世の中そこそこ豊かになって、欲しいものは無いしやりたいことも見つからない、閉塞感を抱えた人々のルサンチマンなんじゃないか、と漠然と思っていたのだが、著者はこの問題を、(吉本隆明の言論に言及しつつ)戦前から現代までの大きな社会意識の変遷として捉えている。すなわち、日本人の意識が戦前の共同幻想から戦後高度成長期の対幻想へ、そして今日の情報化社会の自己幻想へ移り変わってきたものなのだと。

    「20世紀前半とは共同幻想が支配した世界大戦の時代であり、後半は戦後中流の家族像が社会のベースを形成した対幻想の時代だった。そして今日の情報社会とは自己幻想の時代なのだ。それも情報技術に支援されることで、三幻想のうち自己幻想が他の二幻想を吸収するかたちで肥大している。誰もが自分の物語を発信し得る社会は、そしてその発信を相互評価することで社会的信用が可視化される世界においては、自己幻想は不可避に肥大する。この肥大した自己幻想の触媒として、共同幻想が過剰に消費されているのだ」。

    そして、「いま政治(民主主義)は世界に素手で触れることのできない人々の、旧い世界に取りのこされた人々のインスタントな承認欲求のはけ口として機能している。その安易な自己幻想の表現はフェイクニュースにもフィルターバブルにも抵抗力をもつことがなく、簡単に共同幻想に同一化してしまう。弱い人々が安易に自己幻想を表現しようとすると、結果として共同幻想に取り込まれてしまうのだ」、とも書いている。

    小難しいが、云わんとすることは分かる気がする。

    こうした現状を何とか打破したい著者。「インターネットポピュリズムに少なくとも既存の民主主義は耐えられ」ず、「これからほとんどの場面で、民主主義は自由と平等の敵として立ちふさがることとなる」。こうして暗礁に乗り上げた民主主義を改良するための著者の答えが、「民主主義を半分あきらめることで、守る」ことなのだという。

    具体的には、①「民主主義と立憲主義のパワーバランスを思って後者に傾ける」(ポピュリズムの暴走による歪んだルールメークを抑制できるよう、司法の独立性を高め強化する、憲法裁判所を作るなど)、②「情報技術を用いてあたらしい政治参加の回路を構築する」(良質な情報を信頼できるメンバー間で共有できるよう「血縁や地縁や職業集団を超えて人間関係を結び直」し、こうして生まれた団体が政治活動を行うことでポピュリズムのリスク低減を図る)、③「よいメディア」=「遅い」インターネットを作ること、の三つを提案している。

    「遅い」インターネットの意味するところは、「速すぎる情報の消費速度に抗って、少し立ち止まって、ゆっくりと情報を咀嚼して消費できるインターネット」サイトだ。志ある人達を集め、受け取った情報に対し安易に賛否を表明させず、じっくり考えさせ、咀嚼した上で新たな問いとして発信させる、建設的・発展的な意見交換の場作り、ということになるのかな?。

    「遅い」インターネットの活動を地道に続けていけば、SNSによって増幅されてしまった悪質な同調圧力を多少抑えられるかも知れない。変化に期待したい!

    ただ、この国の同調圧力の強さ、大衆のなにものかへ簡単に寄りかかってしまう依存性、場の空気への流されやすさは、島国日本の風土ともいえるものなので、そう簡単には変えられないだろうなあ。考えれば考えるほど暗くなってくる…。

    戦後の思想をリードした、吉本隆明や丸山眞男に少し興味が湧いた。

  • 宇野氏の本。
    2020年オリンピックを通して、日本の現状について憂う部分から始まる。
    必ずしも同意できるわけではないが、スタンスをとって、考察された内容であり興味深い。
    トランプ当選の世界的背景感の考察など、世界の解像度があがり非常にありがたい。

    メモ
    ・民主主義の暴走によって自由と平等がトップダウンではなくボトムアップによって抑圧されるリスクをかんりしていかなければならない。
    ・民主主義と立憲主義のパワーバランスを後者に傾けること
    ・情報技術を用いて、新しい政治参加の回路を構築すること
    ・メディアによる介入で人間と情報との関係を変えていくこと。良いメディアをつくること。
    ・他人の物語から自分の物語へ。21世紀は自分の物語が台頭する時代。
    ・現代は現実に対する虚構ではなく、拡張現実が存在する世界になっている。vr的な虚構感ではなく、ar的な虚構感の時代に。
    ・新たな問を生むことこそが世界を豊かにする発信

  • 早いインターネットは、ボールが飛んできたら反射で打ち返す。今のSNSのこと。

    1章が期間限定で読めるから読んでから買うのもあり。
    https://slowinternet.jp/article/slowinternet/

  • トランプ政権誕生やブレグジットの成立から、グローバル資本主義のプレーヤー(シリコンバレーなど anywhere)とローカルな旧態生活者(ラストベルトの自動車産業 somewhere)との分断を分析し、解決策を模索する本。
    著者の語彙の豊富さと、比喩の的確さはなかなか凄い。

    エニとサムは収入や仕事などの違いがあるが、決定的に違うのは「世界に素手で触れられる」か出来ているかどうかだ。自分の企業した会社が世界を変えていく人と、工場主から給料を貰う人42

    サムは投票することしか世界に触れられない。そこで昔に戻るや、グローバルから壁を作る幻想を語ったトランプを当選させた。インターネット時代の民主主義こそが世界を分断する45

    エニの自由をサムにも獲得させなければならない。そうすることでサムが承認欲求の捌け口として政治を利用するインセンティブを下げるしかない48

    既に多くの国家にとって政治とは富の再分配であると同等か、それ以上に「承認の再分配の装置」である134

    20世紀は報道やテレビなど「他人の物語」を生きてきた。だが21世紀の今日はその「非日常」の「他人の物語」を、どうやって「日常」の「自分の物語」としていくかだ170
    憲法9条の有無と戦後70年余の国内の平和実現は完全に無関係だ。実質的にそれを担保したのはアメリカの核の傘によるパワーバランスだ185

  • 文章をきちんと読む込んで、深く考える。今の時代はそれが出来なくなってしまった。考える力が弱っている。
    インターネットは便利だが、次々に流れてくる情報を流し読みするだけで、きちんと読み込んでいない。
    これは私自身にも思い当たることだ。
    電車の中で次々とニュースサイトをスワイプしていく。
    見出しだけ読んで読んだ気になっている。
    映像ですら、今は2倍速で見る人が多いという。
    タイトル通り著者は「遅いインターネット」を提唱している。
    「もっとゆっくり読もう。そしてみんなで深く考えよう。さらに出来れば議論してさらに良い解を求めよう」
    そういうことを言っているのだと思うが、本当に心から賛成だ。
    今のインターネットは便利になり過ぎている。
    スピードはドンドンと速くなるし、情報量は増えていくばかりなので、どうしても効率よくスワイプして画面を送ってしまう。
    自分だけが急いでいるが、実際はそんなに急ぐ必要ないのに。
    食べ物を栄養分だけ摂取しているような生き方だ。(そういう人も現実的に存在する)
    食物のありがたみを感じて、そして美味しく調理して、時間をかけてゆっくり、たまには友人たちと会話しながら食事して。
    そういう生き方の方がより人間的ではないだろうか。
    インターネットとの接し方もそれと同じなのだろう。
    便利だからと言って、要点だけを摂取していては、物事の本質はいつまでたっても見えてこないと思う。
    インターネットの進化が、それまでに人々がゆっくり培ったきたものを、一気に変えてしまっている。
    その変化に付いていける一部の人はそれでいい。
    本書では「Anywhereな人」と言っているが、ネットがあればどこででも暮らしていける人。
    すでに国家という枠組みも必要なく、ある程度仕事でも成功している人だろう。
    お金もそこそこあれば場所に限定される必要がない。
    プログラミングのような主にネットで完結できる仕事であれば、それこそ世界のどこにいても仕事は出来る訳だ。
    そういう人が増えているのは事実であるが、そうでない人はそれこそどうするのか。
    本書では「Somewhereな人」と言っているが、「どこか」という場所に限定されてしまう人。
    私自身も日本と言う国に限定されていると感じるが、そういう人にとって開かれ過ぎた今のインターネット・グローバル化は逆に恐ろしさを感じてしまう。
    この辺がいまの社会制度の限界を表しているのかもしれない。
    インターネットが国家という壁を壊してしまえば、まさに世界バトルロワイヤル状態に突入しているとも言える。
    強い人はいい。世界バトルロワイヤルでも生き残れる自信があるのだろうから。
    ただ、そうでない人は、ある程度の枠組みで守られたいと思うのは当然だと思う。
    グローバル化に付いて行けない人たちがトランプを支持したり、ブレグジットに賛成したのは非常に理解できる。
    そんな副反応もありながら、それでもグローバル化へ進む流れは変わらない。
    本書で吉本隆明の「共同幻想論」について触れていたが、ここでその話が出ると思わなかった。
    自分自身は高校生の頃に読んだ記憶があるが、難解過ぎて理解できなかったことを覚えている。
    (「理解できないこと」を「覚えている」というのも可笑しな話だ)
    「自己幻想」「対幻想」「共同幻想」については、「確かにそんなことが書いてあった」と微かな記憶があるのだが、本書での解説で合点がいった。
    確かに今のインターネットで当てはめると、これらは理解しやすい。
    「自己幻想」がSNSのプロフィール上の幻想こと。
    「対幻想」がLINEなどメッセンジャーでのやり取りの中での幻想のこと。
    「共同幻想」がTwitterなどタイムライン上での幻想のこと。
    人間はもしかしたら「幻想」があるから、特別な生物なのかもしれない。
    「サピエンス全史」では「認知革命」と言っていたが、もしかするとこれも同義かもしれない。
    社会とか、お金とか、国家とかは、共同幻想で認知されるものだ。
    そして、著者がTwitterタイムラインを共同幻想と位置付けたのは、非常にユニークな視点だ。
    SNS上の人たちは、フォローフォロワーという関係で、自分たちを仲間という関係値に位置付ける。(まさに共同幻想だ)
    その中では多様な意見を持ち寄って議論することはあり得ない。
    もし少しでも異なる意見を言うものが現れれば、そのコミュニティの中で叩き出す。
    壁の向こう、安全な場所から石を投げつけ、完膚なきまで叩きのめす。
    異物は排除され、そのコミュニティは同じ意見の人々で安定安全が維持される。
    一見安全なようでいて、実は同調圧力が最大限に発揮され、そのコミュニティ内の人々は日々空気を読みながら窮屈に暮らしている。
    つまりタイムラインが「壁」の内にいることでの安心感を醸成しているが、一方で窮屈さを生み出しているということだ。
    この辺がSNSの難しいところなのだろうと思うのだ。
    インターネットは便利だし、今後も政治や選挙でも利用されるかもしれないが、本当に難しさを感じてしまう。
    本書で英国元首相チャーチル氏の名言も引用されていた。
    「民主主義は最悪の政治形態らしい。ただし、これまでに試されたすべての形態を別にすればの話であるが。」
    当面民主主義に置き換わるものは出てこないと思うが、インターネットも、SNSも同様だ。
    確かに便利なものであるが、また最善とは言えない。
    この先の世界がどうなっていくのか。
    間違いなくインターネットは更に進化していくだろう。
    この不完全な状態のままで、いずれメタバース空間のような拡張された世界となり、その中で人々は今よりも広くつながっていく。
    (それをSNSというのかどうかは分からないが)
    メタバースこそ究極の「幻想」と思うのだが、その世界でも「自己幻想」「対幻想」「共同幻想」は保たれるだろう。
    スピードが益々速くなっていく世の中で、果たして我々は最先端に付いていく必要があるのだろうか。
    改めて「遅いインターネット」とは「立ち止まって深く考えよう」という提案だ。
    「共感(フォロー)、いいね」の外側にこそ、実は世界の見方を変えるモノがあるはずだ。
    価値の転換、発想の転換をするためには、深く考えなければいけない。
    それを思い付きでタイムラインにポストしてはいけない。
    じっくりと書き込んでみる。書いたもので、他人とじっくりと議論してみる。
    世界をより良くしていくために「インターネットとゆっくり付き合う」ことが大切なのだろう。
    実は私自身、ほんの数年前から書くことを意識し出した。
    これは短文でなく、出来るだけ長文で読書感想文を書いてみようと思って続けている行為だ。
    まさにこう書いている行為がそのものなのだが、誰かが読むものでもなく、実は自分自身に向けて書いていたりする。(ということに最近気が付いた)
    本は読んでも100%内容を覚えていられることはない。
    しかしその時の感情や感覚はこうして長文で残すことで、ある程度保存が出来ると思ったのだ。
    数年前の自分の感想文を読むと、その時の感覚が思い出されたりして心地が良い。
    まさに古い写真を見るような感覚である。
    ゆっくりと味わうというのはこういう事なのかもしれない。
    良本と出会えた。もっとゆっくりとじっくりと物事を考えてみたいと思う。
    そして出来るだけ長文でアウトプットしてみたいと思う。そんなことを感じたのだ。
    (2022/9/19)

  •  2022/02/06時点では早すぎた様である。また縁があったら読むかも。

  • 面白かった!と同時に問いも生まれた。

    【主題】
    現代に必要なのは、「遅いインターネット」である。それは、インターネット上を高速で流れる情報や感情に脊髄反射的に反応するのではなく、情報を丁寧に受信し、思考し、価値のある発信をする技術を身につける場所、すなわち、読み、考え、書く、技術を習得する場所である。

    【内容】
    本書は4章で構成されている
    ① 現代社会・日本が抱える問題
    ② 個人と世界の繋がり方(メディア)の性質の変遷
    ③ 吉本/糸井の思想と実践の確認・批判的発展の構想
    ④ まとめ(= 遅いインターネットが必要)

    【内容詳細】
    <① 現代社会・日本が抱える問題>
    現代社会・日本の課題は、分断と民主主義の機能不全である。経済が、ローカルからグローバルへ、工業から情報へ、移行している中で、グローバルな情報社会を生きられる一握りのエリート(anywhereな人)と、ローカルな工業社会に取り残された大衆(somewhereな人)との間に、格差と分断が生まれている。社会を変革する力の重心は、すでに政治(ローカル・工業)から経済(グローバル・情報)に移動しているが、民主主義社会において、社会を変革する力を持つエリート(anywhere・少数派)たちの意見は、大衆(somewhere・多数派)たちの前では無力となりやすい。そもそも、anywhare的な人々において、もはや社会を変える力を失っている政治の重要度は低下している。現代の民主主義は、新旧世界の分断を加速させる装置になっており、大衆が衆愚化した場合には、自由と平等の最大の敵となる。

    この状況下で、民主主義を守るには、
    (a) 民主主義<立憲主義
    (b) 政治を日常に取り戻す
    (c) 大衆のリテラシーを向上する
    の3つが考えられる。本書の主題は(c)である。

    <② 個人と世界の繋がり方(メディア)の性質の変遷>
    19世紀以降のメディアとその性質の変遷は大きく2つ。

    (a) 「非日常」から「日常」
      ・劇映画からテレビ
    (b) 「他人の物語」から「自分の物語」
      ・映像からネットワーク
      ・メディアからプラットフォーム
      ・受信から発信

    大衆が衆愚化すると、悲劇が起こる。
    ・19c:ポピュリズムによる世界大戦・冷戦(by ラジオ・映画・テレビ)
    ・20c:インターネットポピュリズムによる民主主義の機能不全

    現代は、インターネットで自ら発信する快楽に溺れた大衆が以前よりもより強く動員されている。

    (a)(b)の二軸で、メディア・プラットフォームと衆愚化した大衆の関係を整理してみると
    ・他人の物語 x 非日常:権威主義
    ・他人の物語 x  日常:テレビポピュリズム
    ・自分の物語 x 非日常:インターネットポピュリズム
    となる。

    悲劇を防ぐためには、個人と世界を直接繋ぎ、世界を素手で触れているという実感を、自分の物語 x 日常の領域で、成立させることが重要。

    <③ 吉本/糸井の思想と実践の確認・批判的発展の構想>
    吉本隆明と糸井重里は「自分の物語 x 日常」のアプローチの先駆者とも言える。吉本の思想の根本は「自立」にある。人は何か(幻想)に依存しやすい。戦前の天皇崇拝に見るように、依存は時に破滅を導く。吉本曰く、幻想には3種類ある。

    (a) 自己幻想:自己認識・自己像
    (b) 対幻想 :自分と相手との関係性
    (c) 共同幻想:集団が共有して持つ思想・イメージ

    戦後、吉本は(b)を用いて(c)からの自立を。後半期は(a)を用いて(c)からの自立を、構想したが、失敗に終わった。(c)には、トップダウン的なもの(イデオロギー)とボトムアップ的なもの(空気・同調圧力)があり、吉本のアプローチでは、前者は乗り越えられても、後者には後者には上手く対応出来なかった。

    吉本の後継者たる糸井においては、(a)を用いた(c)からの離脱を構想した。それは、他人の物語(モノ)から自分の物語(コト)への移行であり、後半期においては、コトからモノ(+コト)への回帰である。宇野曰く、この糸井のアプローチにも限界があると言う。

    後期吉本=糸井のアプローチは、(a)を用いた「自立」である。しかし、現代においては、SNSによって(a)が(b)と(c)を飲み込む形で接続しており、そして諸悪の根源の重点が(a)に存在している。そんな状況下では、(a)からの「自立」こそが求められているのである。世界に対して、調和的に関係し続けるための技術が必要なのである。

    <④ まとめ(遅いインターネットが必要)>
    主題に同じ

    【問い】
    とてもとても乱暴な言い方をすると、宇野さんのアプローチは「馬鹿」を「賢く」しようとしている風にも見える。しかし、それは可能なのだろうか。

    (※ ここでは乱暴に、衆愚化しやすい、ないしは衆愚化した大衆を「馬鹿」と置いている。)
    (※ 宇野さんが、「馬鹿」を「賢く」するのではなく、学びの機会さえあれば「自立」できる、ないしは衆愚化に陥らない様な「大衆 / 普通の人」を、教育によって引き上げる、という考えであるならば、以下の論は無意味である。)

    悲観的な仮説なのだが、恐らく、「馬鹿」は「馬鹿」のまま変われない。

    吉本と糸井(そして過去のエリート達)が失敗した根本はここにあると思う。人間には、どうしても「自立」出来ない人が、自分の頭で考えられない人が、一定の割合で存在する(と言うか大多数がそう)。人類において、賢い人と馬鹿との割合は、共時的にも通時的にも、そこまで変わらないし、変えられもしない(※この点に関しては要検証)。

    恐らく、馬鹿(愚かな大衆)は、「遅いインターネット」や「PLANETS School」に興味を持つこともなければ、そもそもそれに払うお金を持っていない(著書は1600円+税・PLANETS Schoolは4980円/月)。宇野さんは、糸井のやさしいタオル(880円)をanywhereな人のものと述べたが、宇野さんの遅いインターネット計画も、極めてanywhere的かつエリーティズムに満ちているようにも思える。
    (のですが、どうなのだろう。ご本人がどう考えておられるのか聞いてみたいです。)

    悲観的ではあるが、「馬鹿」を「賢く」するアプローチも大事ではあるが、それと同時に、開き直った逆方向のアプローチも必要だと思う。すなわち、

    ①「馬鹿」が「馬鹿」のまま幸せに、かつ他人や社会に害を及ぼさないで暮らせるような社会やシステムの構築
    ないし
    ②「エリート」が「馬鹿」の気持ちに寄り添え、彼らに信頼されるような技術を身につける

    である。

    特に②に注目したい。教育が必要なのは、実は「大衆」ではなく「エリート」の方なのかもしれない。加えて「エリート」を教育する方が、「馬鹿」を教育するよりも、早いかもしれない。

    なお、この様な意見は、エリーティズムの極地のような思想かつアプローチであり、かつ人の成長や変化を否定(馬鹿は馬鹿のまま変わらない)する言説であり、かなり批判的に検証する必要があるとは思う。

  • インターネット、スマホ、SNSの普及によって読むことよりも書くことの方が簡単になり、発信される情報の量とスピードは人間が追いつけるそれを遥かに超えている。その結果として情報の質は低下し、インターネットに対する信頼や希望といったものも失われる一方。遅いインターネットとは、もう一度自分達の手で手触り感のあるインターネット、コミュニティを創り上げていくための試み、というふうに理解した。
    読むことよりも書くことを最初に覚えた世代と以前の世代はどんな違いがあるのだろう。という問いが生まれたことと、
    日常と非日常、自分と他人、の二軸でメディアやコンテンツを整理する、という箇所がいちばん印象に残った。

  • 非日常でも他人の物語ではなく、『日常×自分の物語』をインターネットを用いて実現していこうという主旨の本。
    一応、全部読んでみたけど、正直よく分からなかった。『日常×自分の物語』だけ聞くと、Twitterで「ラーメンなう」みたいなことをつぶやくということかなと思ったけど、そういうわけでもないようだし。
    マスコミを批判しながら、インターネットをテレビのワイドショーのようにしか使えていない人にたいして軽蔑以上のものを感じないというのは同感したのだけど(ただ、ワイドショーとネットの発言を同列に語るのはまたちょっと違うような気はする)。
    本題ではないけど、最後の後書きで、“箕輪厚介の担当で幻冬舎から本を出す企画があると述べたら、古い友人から「業界から嫌われるので彼とは付き合わないほうがよい」と言われた。”と書いてあって笑った。

  • 【Review】
    新発見はなく、自分のウェブマガジンの宣伝のように感じて読んでいてつまらなかった。「遅いインターネット」とはnewspicksみたいな感じで、精査された記事が時間をかけて投稿されることらしい。誰でも投稿できるTwitter、インスタ、Facebookとは反対の存在。

    【Memo】
    なし

    【Action】
    NewsPicksは引き続きウォッチする

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著者プロフィール

1978年生まれ。評論家。批評誌「PLANETS」「モノノメ」編集長。主著に『ゼロ年代の想像力』『母性のディストピア』(早川書房刊)、『リトル・ピープルの時代』『遅いインターネット』『水曜日は働かない』『砂漠と異人たち』。

「2023年 『2020年代のまちづくり』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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