武器としての「資本論」 [Kindle]

著者 :
  • 東洋経済新報社
4.24
  • (27)
  • (34)
  • (8)
  • (1)
  • (0)
本棚登録 : 321
感想 : 37
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・電子書籍 (243ページ)

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • テーマは大きく二つあり、まずひとつは「『資本論』の偉大さがストレートに読者に伝わる入門書」を目指して、『資本論』を参照しつつ資本主義の成り立ちや定義、性質を解説するものであり、かつてのイギリスの囲い込み運動に代表される、人を土地から引きはがす過程を経て資本が労働力を得たときに資本主義が始まり、その本性があくまでも価値を量的に増大することそのものを目的としており、資本にとって人間はあくまで奉仕する道具でしかないこと、人間の生活向上は資本主義にとって副産物でしかないことが、繰り返しさまざまな例を交えながら説かれます。

    もうひとつは書名にある、現状に抵抗するための「武器としての「資本論」」としての側面です。その前提として、資本主義の歴史が当初は徹底した労働者の搾取に始まり、その後の社会主義に対抗する流れやフォーディズムから労働者階級の富裕化と権利確立が相当程度達成された(「下から上」への階級闘争の成功)にも関わらず、その後の先進諸国の成長の行き詰まりを受けて新自由主義による労働者の既得権益のはく奪(非正規化、低賃金化、富裕層に有利な税制など)といった揺り戻し、退行が進み、資本による労働者の(魂をも含めた)「包摂」が深化する現実(「上から下」への階級闘争の成功)を示します。

    そして人々が資本主義を深く内面化し、人間性を奪われつつも自身がその貧しさを意識することすら困難になりつつある現状の危機に再三警鐘を鳴らしたうえで、最終講において筆者は、新自由主義に立ち向かうため、私たちが「生活の全領域で」取るべき、とある姿勢を提案します。

    また、「男はつらいよ」やロシア文学を引用したり、「仕事が楽にならないのはなぜか」「公立小学校の選択」など、卑近な例を多用することで読者の関心を惹きつつ、資本制の定義や歴史、現状への理解を促してくれることも本書の大きな特長です。

    本書を読んでいる最中に私が何度も連想したのは、映画『マトリックス』です。
    培養液に浸され身動きの取れない人々は労働者を表したもの、幻想のなかに生かされ極限まで搾取されている事実すら認識できなくなった彼らの姿は、資本主義を内面化した究極の姿、として見ることができます。そして彼らを管理するものが人間ですらないことも象徴的です。

    各講タイトルから興味を持つ方もおられるかと思いますので、以下に記載します。

    1.本書はどんな『資本論』入門なのか
    2.資本主義社会とは?万物の「商品化」
    3.後腐れのない共同体外の原理「無縁」――商品の起源
    4.新自由主義が変えた人間の「魂・感性・センス」――「包摂」とは何か
    5.失わされた「後ろめたさ」「誇り」「階級意識」――魂の「包摂」
    6.人生がつまらないのはなぜか
    7.すべては資本の増殖のために――「贈与価値」
    8.イノベーションはなぜ人を幸せにしないのか――二種類の「剰余価値」
    9.現代資本主義はどう変化してきたのか――ポスト・フォーディズムという悪夢
    10.資本主義はどのようにして始まったのか――「本源的蓄積」
    11.引きはがされる私たち――歴史上の「本源的蓄積」
    12.「みんなで豊かに」はなれない時代 階級闘争の理論と現実
    13.はじまったものは必ず終わる――マルクスの階級闘争の理論
    14.「こんなものが食えるか!」と言えますか?――階級闘争のアリーナ

  • 大学生の時に大枚をはたいて購入した「資本論」ですが、いまだに読み切れていません。多くの入門書も買ったけど、基本資本論の流れに従って解説する本が多いので、「商品」の項からなかなか先に進めません。そもそも今の苦境にどう答えてくれるのかがピンとこないんですよね。この本は資本論の議論の流れをあえて無視して現状の格差、貧困問題から「剰余価値」、「本源的蓄積」、「包摂」、「階級闘争」と言った概念を説明してくれています。資本論全体を理解するにはこれだけでは不十分なんでしょうが、新たな切り口の入門書として参考になりました。何度も挫折した立場から推薦します。

  •  教育学を学んでいた学生時代に先生から課題図書で「共産党宣言」を読んで議論するといったことがあった。本の内容は私にとって難しく、「マルクス=難しい」という方程式が私の中に出来上がっただけだった。
     教員として仕事を始めて7年目?の時、内田樹さんのブログかTwitterかなんかで本書の存在を知った。社会学や教育学、哲学等は興味がもともとあったが、経済学はまったく無知で興味もなかった。しかし、帯にあった「資本主義を内面化した人生」という文言にひかれて読み始めた。マルクスはよく分からなかった苦い記憶を引きずりながら。
     一読した感想を一言で伝えると、「自分の身の回りで起こっている現象を説明してくれているなぁ。」「でも、よく分からないこともあるなぁ。」といった中途半端な感じ。以下、詳細を述べていく。
     まず、私の頭でも理解・共感できたこと。
    ・資本制社会が物質代謝の大半を商品の生産・流通・消費を通じて行なう社会であり、商品による商品の生産が行われる社会であることとその歴史的過程。
    ・資本が労働者階級を巻き込みながら、人々の内面まで包摂していったこと。
    ・階級闘争のために、意思ではなく、感性に響くものが必要であり、その最たる例が食事だということ。
     特に、教員という仕事をしている私にとっては、教育の商品化の項は共感できました。また、日頃抱いていた児童生徒や保護者、そして教員のメンタリティの根源はここなのではないかと思いました。
     また、教員も労働者という視点から見ると、労働者が資本制社会の中でどのような役割を担わされてきて、今どのような立場にいるのか、俯瞰的に理解できた気がします。労働組合の点も。
     次に、よく分からなかったこと。
    ・ロシア文学に表現される資本制社会のあれこれ
    ・本源的蓄積のこと
     この辺は勉強不足で、読み直してもよく分かりませんでした。もう一度です。

     「資本論」は読んだことがないので、読んでみようと思います。きっと難しいでしょうが。
     自分が生きてきた30年間の社会は、バブル崩壊からずっとうだつが上がらない社会だったように思います。そんな中で生きてきて、「役に立つこと(価値の生産)」という尺度で人間をはかることが、効率よく成果を出すことが正しいことという考えが身についていました。教員になる少し前から、学力至上主義に違和感を抱き、「できなくてもいいじゃない。」と思うようになりました。人間の価値は成果ではないと思うようになりました。社会制度が個人のメンタリティまで影響を及ぼすことを本書で知り、自分自身や身の回りで起こっていることを理解できた気がします。

     今後どのような社会を作っていくのか、作っていくべきなのか、一人の大人としてこれからも考えていきたいと思います。

  • オーソドックスな解説書とは言いかねると自ら認めているように、まさか美食の重要性が語られ、スーパーに生鮮食料品が少なくなったら大変という結論で終わるとは思わなかった。
    平川克美のイベントでの講義がベースだったようだが、この人は『「消費」をやめる』で金を使わなくても豊かに生きられるっていう主張をしていたような。
    日本は生産性が低すぎると言われているが、そもそも生産性の向上は、労働の価値の低下を意味している。
    イノベーションによって生まれる剰余価値などたかが知れているんだから、人間の基礎価値=食文化を守ろうとなる。

    下からの階級闘争によってしか、格差解消も、資本主義の内部矛盾による自壊を食い止めることもできないと議論していたら、コロナという大いなる悲しみとともに経済的平等が実現されつつあるという、なんとも皮肉な展開。
    戦争や革命によってではなく、疾病によって世界経済は収縮し、所得格差も最も効率よく縮められつつある。心配していた高級食材も真っ先に行き場を失い、ファストフード以上に危機的状態に陥っている。

  • なぜ「武器として」なのか分からなかった。資本が増大する運命の資本制がしかれている世界をよくする方法はあるのだろうか。現代の置かれている状況はよくわかったが、Hopelessだと感じる。

  • 『武器としての「資本論」』おもしろすぎて一気読み。結局、読ませる文章は頑強なストーリーテリングによると再認識。資本論関係の本は何冊も読んできた気がするけど、この本は現代社会の機制を理解するためのエッセンスだけを抽出し、共感度の高い身近なエピソードで噛み砕いてくれるから難解な理論が腹落ちする。

  • 資本制の時代とは、物質代謝の大半が商品の生産、交換、消費によって行われる時代だとマルクスは定義する。これは人間の移動が自由になり、土地の売買が始まったことで可能になった(生産者を生産手段から切り離す、本源的蓄積)。労働者は次第に実質的に包摂されるようになる。資本家は剰余価値を増やそうとするが、これには2通りの方法がある。まず始めに労働時間を伸ばして生産量を増やす方法(絶対的剰余価値)。それから生産性を向上させることで労働時間を減らし、相対的に剰余を増やす方法(相対的剰余価値)。前者は労働者が再生産できなくなる可能性が高い。製造業中心の時代は労働者が資本家から剰余を奪った。新自由主義は資本家の、労働者に対する挑戦の時代と筆者は捉えている。では、そんな時代をどう生きていけばよいのか。結論として、筆者は労働者としての価値を下げないことが大事だと主張する。価値=スキルではないことに注意。

  • 資本主義が何かがよくわかった。

  • パラっと読んだ程度。

    本題とは逸れるのですが、人はなぜ生きるのかと思いました。
    どんなに優れた発明をしようと、どんなに生産性をあげようと、
    楽にならないのに、なぜ、発明を試み、生産性を高めようとするのか。
    単なる興味や好奇心なのか。

    子供の頃から裕福な暮らしができず、今、そこそこの暮らしができています。
    それでも、お金に困らない暮らしがしたいという願望はずっと持ち続けています。
    これを読んだことで、雇用される側の人間はひたすら働くしかないんだと、
    そして、私が願う暮らしをするには雇用する側や独自で何かをしないと
    いけないんだということがよくわかった本でした。

    心が豊かな時に、ちゃんと読もうと思います。


    ーーーメモーーー
    7 すべては資本増殖のために

    aiが働いて人が働かなくて良いと資本主義の下では絶対にそうならない

    商品の二重性
    使用価値、質と交換価値、量
    使用価値とは有用性
    交換価値とは売れた瞬間に実現される価値

    抽象的人間労働と具体的有用労働
    抽象的人間労働とは商品価値形成のための労働
    具体的有用労働とは商品を作る労働
    この二重性が資本論で重要

    マルクスは労働力の価値を以下と規定している
     労働力の再生産に必要な労働時間によって規定される
     労働力の所持者の維持のために必要な生活手段の価値である

    8 イノベーションはなぜ人を幸せにしないのか

    絶対的剰余価値と相対的剰余価値
    絶対的は長時間労働などで剰余労働時間を増やすもの

    必要労働時間と剰余労働時間
    必要労働時間とは賃金に相当するだけの生産をあげるのに必要な時間で、言い換えると労働力の再生産に必要な時間。労働者が自分のために働いている時間といえる
    剰余労働時間とは働かされているのに支払いを受けられない時間

    資本制では、必要労働と剰余労働が区別できないので、資本のために生産性をあげているのに、自分のためにあげていると錯覚が生じる

    長時間労働などから労働者を守るために制定された工場法は、これをしなければ、資本を搾取する相手である労働者がいなくなってしまうから定めている

    相対的剰余価値とは、必要労働時間を減らし、相対的に剰余労働時間を増やす

    資本主義とは相対的剰余価値の生産の追及
    イノベーションとは特別剰余価値獲得

    しかし、特別剰余価値が一般化されると、その価値は消失する

  • 資本家もまた資本家に搾取され、その資本家もまた資本家に搾取される。
    金利があるから、配当があるから、経済成長ありきの資本主義の限界。
    技術革新はさらなる収奪•搾取が目的であって、分かち合い・再分配を目的としないから、人間を幸せにするわけがないのである。
    人間阻害と縮退の果てに、途方もない経済格差による非資本家たちのルサンチマンに怯える資本家たち。
    そして誰も幸せでなくなった、ということにならないために知識武装が必要なのだ。

全37件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1977年、東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。一橋大学大学院社会学研究科総合社会科学専攻博士後期課程単位修得退学。博士(社会学)。思想史家、政治学者、京都精華大学教員。著書に『永続敗戦論─戦後日本の核心』(太田出版/講談社+α文庫)、『武器としての「資本論」』(東洋経済新報社)など。

「2022年 『撤退論 歴史のパラダイム転換にむけて』 で使われていた紹介文から引用しています。」

白井聡の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×