桂太郎 外に帝国主義、内に立憲主義 (中公新書) [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  • 桂は明治時代における第二世代として近代化を推し進める。
    桂の生涯を学ぶことで、時代が何を求めていたのかを理解することができる。

    時代の要請でもあった、藩閥政治(ある意味の安定)と政党政治(時代の流れ)のバランスをうまく取ることができる人物であったからこそ、桂は長期政権を実現することができたのだろう。
    なお、長期政権についていえば、日露戦争や韓国併合等、激動の時代におけるものであり、その価値は単なる長さだけでは評価できない。

    桂は、武士→軍人の道を進みながらも、それを自らのレゾンデートルとせず、財政にも明るい政治家のトップを目指した。
    山県の庇護を受けながら出世したといわれるが、それも政策を実現するための一策であったともいえる。伊藤博文への憧れもあったのだろう。

    以下抜粋
    ・桂は原子物理学者の仁科芳雄に破られるまで日本人脳髄の重さの最高記録を持っていたという。(頭が大きいので、それがあだ名になっていた)

    ・このように安定的な政治体制が現出したのはなぜだろうか。それは、桂園体制が、桂率いる陸軍・官僚・貴族院と西園寺率いる政友会との相互補完関係にあったからである。
    相互に自らの要求を自制し、体制の破壊を抑制していた。

    ・新党結成という桂の決心を促し、または主導したのが、後藤新平である。

    ・桂は外交の加藤と内政の後藤のうち、前者を選択した。桂は日本未来の政治は外交と考えるからである。

    ・「外に帝国主義、内に立憲主義」という理念こそが、明治後半期には、藩閥政治家も民間の「国民主義的対外硬派」も一般庶民も、広範な日本人が共有しうる強力な国民的目標だったのではないだろうか。
    ・立憲統一党は、外交政策としては帝国主義外交を国内で協力に支え、財政政策としては陸軍拡張・海軍拡張・減税のすべてを拒否した緊縮財政を強力に遂行する政党の誕生を意味した。

  • 79ページまで読んだ
    なりそこなった台湾総督としての業績が目新しかった

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著者プロフィール

1969年生まれ。学習院大学文学部教授。東京大学大学院博士課程修了。博士(文学)。専門は日本近現代史。著書『旧外交の形成――日本外交 一九〇〇~一九一九』(勁草書房)、『桂太郎――外に帝国主義、内に立憲主義』(中公新書)、『桂太郎関係文書』(東京大学出版会)など。

「2023年 『南北朝正閏問題』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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