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感想・レビュー・書評
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トルーマン・カポーティの代表作だが、世間的にはオードリー・ヘプバーン主演の映画の方が有名。
自分も80年代後半、大学生で、レンタルビデオブームがまさに起き始めた頃、ビデオで映画を見て、原作を買って読んだ。その時はまだ村上春樹訳は出ていなかかった(「ノルウェイの森」が大ヒットしたばかりの頃)から、誰の訳で読んだのだろう。
わかっているのは、ラストでホーリーが南米から送ってきたと思われる手紙が、村上訳よりももう少し砕けた口調で、少し田舎っぽい感じだったかなあという記憶。
それでも、小説としてやはり面白い。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
カポーティは今じゃない、といつも何か作用する力があって、避けてきた。読みたい読みたい、と、思い募り、
いよいよ時は満ちた。村上春樹の訳。楽しみ過ぎると、手に取った。
カポーティ、まだ1冊目だけれど、(現在2冊目の短編集に突入中)、私の好きな短編(が優れた)作家ーモーム、モーパッサン、芥川龍之介ー御三家は四天王に変わりそう。
訳者あとがきがまた興味深かった。
カポーティの文章を読んで、高校生の村上春樹は「こんな上手な文章はどう転んでも書けないよ」と嘆息し、こんな体験を何度も重ねて、自分には文章を書く才能なんてないと思い込んでいたという。
今では、「カポーティはカポーティ、僕は僕」と開き直られているらしい。
あとがきの素晴らしさも含めて、図書館で借りたこの本を、買わなければ、と決意した。
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誰もが知ってる不朽の名作。
そう、映画のイメージが強い。
読んでみたら……
こんな話だったんかい!!!笑
良くいえば自由奔放、言葉選ばずにいえば頭のおかしい女にひたすら振り回される男の話であった。
そしてとにかく読みづらい!
でも翻訳してる村上春樹はカポーティーの文章をこの上なく絶賛しているようなので、これは相性の問題なのか…?
あまりにもヤバヤバな話だったので調べたところ、映画とはだーいぶ違うらしい。映画はオードリーありきでつくられたもの。原作者はずーっと「マリリンモンローが良かった」と恨み節だったというのも衝撃的。でもその気持ちもわかるよ、ぜんっぜんイメージ違うもんね!??
そのほかにも重要なラストがちがう!!!
確かにラブロマンスとしては映画版がよい、だけど原作で描きたかったこととは全く異なるのでは?キャラ崩壊。
となると、映画は今でも全世界的に有名だけど、原作者の意向は丸無視でつくられたもの。主に出演者の都合で。これって昨今の問題ともリンクする。こんな昔っから原作者って苦しめられてたんだね。ただ、映画のおかげであまりにも名作に押し上げられたのは事実。悩ましい話ですなあ。 -
四つの中短編を通して常にテーマとなっているのは訳者の村上春樹の言う通り「イノセンスの体験とその略奪後」であると言える。幼少期、あるいはミスタのような壮年期に人がみる青年期、若さへの夢を体現するものが現れたり、あるいは楽しく、現実離れしたような体験をしたりするところから、最後はしっかりそれが失われる所までを描いて行くカポーティの「パターン」は、何度読んでも寂寥感と共に読後の充実感のようなものを与えてくれるし、そもそもカポーティの文体が美しく読みやすい。
トルーマンカポーティの文章が好きになった。他の作品も読んでみたいと思う。 -
オチが映画と違うんだ
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でももしそうなっても、私はなおかつ自分のエゴをしっかり引き連れていたいわけ。いつの日か目覚めて、ティファニーで朝ごはんを食べるときにも、この自分のままでいたいの。
トルーマン・カポーティの作品





