ティファニーで朝食を(新潮文庫) [Kindle]

  • 新潮社
3.74
  • (10)
  • (14)
  • (17)
  • (2)
  • (0)
本棚登録 : 264
感想 : 25
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・電子書籍 (225ページ)

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • トルーマン・カポーティの代表作だが、世間的にはオードリー・ヘプバーン主演の映画の方が有名。
    自分も80年代後半、大学生で、レンタルビデオブームがまさに起き始めた頃、ビデオで映画を見て、原作を買って読んだ。その時はまだ村上春樹訳は出ていなかかった(「ノルウェイの森」が大ヒットしたばかりの頃)から、誰の訳で読んだのだろう。
    わかっているのは、ラストでホーリーが南米から送ってきたと思われる手紙が、村上訳よりももう少し砕けた口調で、少し田舎っぽい感じだったかなあという記憶。
    それでも、小説としてやはり面白い。

  • カポーティは今じゃない、といつも何か作用する力があって、避けてきた。読みたい読みたい、と、思い募り、
    いよいよ時は満ちた。村上春樹の訳。楽しみ過ぎると、手に取った。
    カポーティ、まだ1冊目だけれど、(現在2冊目の短編集に突入中)、私の好きな短編(が優れた)作家ーモーム、モーパッサン、芥川龍之介ー御三家は四天王に変わりそう。
    訳者あとがきがまた興味深かった。
    カポーティの文章を読んで、高校生の村上春樹は「こんな上手な文章はどう転んでも書けないよ」と嘆息し、こんな体験を何度も重ねて、自分には文章を書く才能なんてないと思い込んでいたという。
    今では、「カポーティはカポーティ、僕は僕」と開き直られているらしい。
    あとがきの素晴らしさも含めて、図書館で借りたこの本を、買わなければ、と決意した。

  • 映画で有名なこの話ってこんなんだったのか。

    1人の女性の生き様というか、生き方の話。
    不朽の名作というだけあって、もはや古典の域なだけに時代がひと昔前どころかさん昔前くらいの感覚だから、なかなか時代感を掴むのが入り込むまでに少々時間を要する。

    読後の第一感想は、「文学!」だった。
    読み手の想像力を拡げるために、文章や単語、言い回しなどで表現している感がこれが文学というものなのだろうなと思った。
    きっと読み手の受け取り方次第で文学とは良くもなるし、悪くもなるのかもしれない。
    この本の表現したいことの1/10くらいは受けてれているのだろうかとも思う。
    他の3編の短編小説も面白かった。

  • 誰もが知ってる不朽の名作。
    そう、映画のイメージが強い。

    読んでみたら……

    こんな話だったんかい!!!笑

    良くいえば自由奔放、言葉選ばずにいえば頭のおかしい女にひたすら振り回される男の話であった。

    そしてとにかく読みづらい!
    でも翻訳してる村上春樹はカポーティーの文章をこの上なく絶賛しているようなので、これは相性の問題なのか…?

    あまりにもヤバヤバな話だったので調べたところ、映画とはだーいぶ違うらしい。映画はオードリーありきでつくられたもの。原作者はずーっと「マリリンモンローが良かった」と恨み節だったというのも衝撃的。でもその気持ちもわかるよ、ぜんっぜんイメージ違うもんね!??
    そのほかにも重要なラストがちがう!!!
    確かにラブロマンスとしては映画版がよい、だけど原作で描きたかったこととは全く異なるのでは?キャラ崩壊。

    となると、映画は今でも全世界的に有名だけど、原作者の意向は丸無視でつくられたもの。主に出演者の都合で。これって昨今の問題ともリンクする。こんな昔っから原作者って苦しめられてたんだね。ただ、映画のおかげであまりにも名作に押し上げられたのは事実。悩ましい話ですなあ。

  • さりげないフリ、スマートなオチ、はじけるような会話や文章のもつ説得力まで、読む価値がある。本当に無駄がない、それでいて笑ってしまう。
    というか登場人物たちが笑ったっていう描写と同時に、読んでいる自分自身もにやけていることに気づいて驚愕した。
    透明人間になって、会話に加わっている。小説の世界に肩までどっぷりつかっていながら、その自覚がない。魅了されているってことにも気づかないほどに、のみ込まれていた。
    確か三島由紀夫だったが「一流の小説は、読者を目隠しして崖っぷちまでつれていき、そこで目隠しを外す」みたいなことを書いていた記憶がある。それに近い経験だった。
    優れた感覚で社交界を軽やかに渡り歩く。
    そして、美しさ、無邪気さ、鋭さを持ち合わせたホリーの、だけど、この美徳が永遠に続かないこともうすうす感じ切なくなってしまう。
    そこまでも、うん、完璧。

    個人的に好きだったのは、ホリーの対話で例えば
    ・「そうね、それが普通なのかもしれない。でも私としては普通よりも自然になりたいんだ」
    ・「人は誰しも、誰かに対して優越感を抱かなくてはならないようにできている」と彼女は言った。「でも、偉そうな顔をするには、それなりの資格ってものが必要なのじゃないのかしら」
    教訓めいた言葉っていわゆるドヤ顔が透けてみえるのだけど、ホリーの言葉はさり気なく無造作に投げ出されている。それでいて見事に核心を突く。
    同時に、この言葉がでるまでのフリだったり、逆にオチだと思っていたこの言葉がフリになっていたりと、小説の仕掛けもさりげなくて、ここまでくるともうかっこ良い。

  • 四つの中短編を通して常にテーマとなっているのは訳者の村上春樹の言う通り「イノセンスの体験とその略奪後」であると言える。幼少期、あるいはミスタのような壮年期に人がみる青年期、若さへの夢を体現するものが現れたり、あるいは楽しく、現実離れしたような体験をしたりするところから、最後はしっかりそれが失われる所までを描いて行くカポーティの「パターン」は、何度読んでも寂寥感と共に読後の充実感のようなものを与えてくれるし、そもそもカポーティの文体が美しく読みやすい。
    トルーマンカポーティの文章が好きになった。他の作品も読んでみたいと思う。

  • オチが映画と違うんだ

  • でももしそうなっても、私はなおかつ自分のエゴをしっかり引き連れていたいわけ。いつの日か目覚めて、ティファニーで朝ごはんを食べるときにも、この自分のままでいたいの。

  • 退廃的でありつつ無垢な部分を残す、一気に読めるスピード感のある作品。映画の印象が大きいが、実際に読むと主人公は名前が与えられていないし、結局彼女が救済されたかどうかは読者の想像に任せられている。この小説に忠実に基づいた映画をリメイクしてほしい。

  • ヘップバーンの映画があまりにも有名な原作(未だ観てないが)。
    どんなオシャレなお話なのかと期待していたが、想像とはかなり違って、映画ではどのような展開になっているのか、ヘップバーンはこの役をどうこなしたのか、余韻が残るうちに映画を観た方がいいと思った。この小説の一番良かったところは、最期の最後に猫のその後が書かれていたが、ホリーは結局気性の激しい野良猫だったってことかな。
    しかし、なぜこの本を映像化しようと思ったのか、よくわからない。

全25件中 1 - 10件を表示

トルーマン・カポーティの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×