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感想・レビュー・書評
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筆者のウスビ・サコさんは、京都精華大学学長。アフリカのマリ出身であるが、中国・日本への留学経験を経た後、日本人女性と結婚し日本に居住。京都精華大学の教員、人文学部長を経て、学長に就任。
サコさんは外部者の目を持っており、外部者の目から見た日本の教育システムに関しての記述は、新鮮である。例えば、以下のような記述(というか、私自身の要約)。
■日本の教育システムは「今の社会システムや社会構造を維持したい」という既得権益層、中高年層の考えをベースに設計されている。
■その延長で、「社会で役に立つ」ことだけが認められた価値観になっている。それが教育の目的になっている。
■皆が学校に期待しすぎる。本来、学校は教育のための手段であるはずなのに、皆が「自分の学び」についての目標や考えを持たないまま、全てを学校に期待している。
■一律的で効率を重視した教育の仕組み。個性は邪魔なものとして切り捨てられる。
■余裕のなさ。教員が学生が、ダラダラする時間を持てない状態。リラックスを知らない。
確かに、学校教育システムは、今の状態を再生産することが目的のように、今の社会秩序を維持することが目的にように感じることがあるが、よく考えるとそれは教育システムだけの話ではない。考えてみると、日本という国は、かなり窮屈な社会なのかもしれない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
アフリカのマリ共和国に生まれたサコ氏の幼少期から中国の南京に留学するまでの半生、そして日本旅行から日本の京大大学院に進み、日本国籍を経て京都精華大の学長に就任するという人生の不思議な運命に驚き。そして日本国籍を得たが、生涯日本に住むことを決意したわけではないとの説明にマリ人としてのアイデンティティに対する誇りが日本人にないものを感じる。日本社会の教育に対する厳しい指摘など興味に堪えない著述の連続だった。南京で出会った日本人留学生たちのあまりにも類型的な姿と日本のおっちゃん・おばちゃんの生き生きとした姿のギャップから日本が好きになったということは面白く。サコ氏が関西弁にピッタリ嵌ったのだと痛感した。
P148は強烈な皮肉のページだ。「日本国民はきっと、そのような「独裁政権」が大好きなのだろう。日本はもう、「いくら声を上げても無駄」というところにまで来ているのではないか。「あなたの一票でこの国が変わる」ということを国が示せば、「選挙は大事」となるのだが、変化しない国を見せながら選挙をしても、それはやっぱり変化しない。おまけに、政治が変わっても国民に忍耐力がなく、すぐに結果が出なければダメ出しするのだから仕方がない。政治が変わってすぐにうまくいくはずなどないのに。本当は、「変化はきちんと起こりうる国だ」と信じ、辛抱強く待てればいいのだが、それもできない。残念ながら、深く考えない国民づくりに教育が成功していると言えるだろう。」
P137「日本の教育は、「目標教育」ではない点で、全く先進的でないと感じている。 目標教育というのは、「あなたは何になりたいか」あるいは「何をやりたいか」ということに合わせて、その子の将来にとって本当にどういう教育が要るのかを考える。これだけの先進国であれば、本来はそれがあっていいはずなのだ。学校を選ぶ基準は、「この子に合う勉強は」「この子にとっていい高校は」というもので あるはずなのに、いかに偏差値の高い学校に行くか、ということによってその子の評価が決まっていく傾向が見える。」
最後にP113に決定的な凄い言葉が!「サコみたいなのが学長になったら、やらんとしゃーないやろ」「私たちが支えなきゃ」そういう空気を醸し出す。私は、みんなの上に立ちたくて学長になったわけではない。 みんなと一緒にやりたいから、学長になったのだ。 -
アフリカ出身で日本の大学の学長になったサコ先生の本。個人的に日本の学校に対して持っていた違和感をサコさんが的確に表現してくれていて、自分の考えも決しておかしなものではなかったのだと、少し安心した。
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パンク学長自叙伝的大学考