思考の教室 [Kindle]

著者 :
  • NHK出版
3.56
  • (9)
  • (4)
  • (6)
  • (4)
  • (2)
本棚登録 : 139
感想 : 12
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・電子書籍 (476ページ)

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 読みにくく最後まで読むのに苦労した。

  • 著者に知性は感じられるが、文体が受け入れられなかった。

  • 子供に話しかけるような文体で分かりやすい。
    「論理的な愚か者になってはいけない。」というのは肝に銘じておきたい。
    似非科学の主張の仕方(屁理屈)について書かれていて勉強になる。
    「反対な論」ではなく「論に反対」すること。
    「集団思考」は怖いな。マルチや宗教にありがちよね。
    オウム真理教の例がほんまに怖い。
    インターネットの検索は、フィルタリングされて自分が欲しいと思っている情報ばかり表示されてることは忘れないようにしたい。

  • 表紙の堅苦しい雰囲気、タイトルのガチ感がとても好みで衝動買い。
    だが、期待ほどではなかった。

    全体的な雰囲気はとても好みだった。上手に考えることの大切さ、学問の素晴らしさを訴えている。それと同時に上手く考えられない現代人の多さについて警鐘を鳴らす。これから生きていく上で勉強する際、力が入りそうだ。

    上手く考えるための練習問題が何問かあるのだが、種類や数が多く、楽しい問題ばかりでその点は良かった。
    なのだが、たまに映画を1本観なければいけない練習問題があったりする。しかもその映画はどの動画配信サービスにも配信されていない作品である。こういった手のかかる練習問題が何問かあったのが気になった。(無論、上記の練習問題はパスした。ごめんなさい。)

    また、普通に真っ当に生きていれば誰でも知っているような情報が大半を占めていて、読むのが苦痛になる場面もしばしば。
    アッと驚くような学びは得ることができなかった。

  • この自己責任論が飛び交い差別や分断がひどくなる一方の社会で、どうやら自分と問題意識を近くする人が書いているみたいだ、という事実でまず安心できる 高校生・大学生向けとあるけど大人が読むにもいいと思う バイアスから解放されて思考するために必要な知識が改めて言語化されていて、かなり有用な本だった

  • とにかく考えるとは何かということを考えさせられる本、というか教科書。作者がとてもユニークですらすら読める…が、途中演習も入るので再度読みたい一冊。

  • - 面白い上に賢くしてくれる本。素晴らしい
    - ***
    - 私たちの思考は進化の産物なので、いろんなクセが組みこまれている。まさしく「そういうふうにできている」わけだ。だから「じょうずに考える」ことができるようになるためには、 そのクセをゼロにしようとがんばるのではなく、それをコントロールしながらうまく付き合っていくことが大切 なんだ。これは、本書を最後までつらぬくメッセージだからね。よく覚えておくように。
    - ヒトの考えはどうフクザツなんだろう。三つあるんじゃないかと思うのね。
    - (1)思考と行動の間に「タメ」がある
    - (2)今そこにないものについて考えられる
    - (3)自分の「考え」について考えることができる
    - サポート関係でつながった考え、それが論理的思考だ。そして、 考えと考えをサポート関係でつないで考えていくこと を「論理的に考える」 という。
    - 「論理的観点から見てよく考える・書く・話す」とは、つねに自分の思考・主張にできるだけ強いサポートを与えることに気を配りながら、思考や文をつなげていくことである。
    - 「じょうずな論理的思考」とは、自分がこれまでに知ったり考えたりしたことを超えたことがらを考え、主張しようとすること。しかし、それだとツッコミが入る可能性がある。その可能性を引き受けて、できるかぎり強力なツッコミは阻止できるように、サポート関係をしっかりつくりあげながら考え、主張しなければならない。これが「強いサポート」ということである。
    - 「強いサポート」とは、 (1)主張と証拠の間のサポート関係に、その状況に応じた有効なツッコミを入れることができず、なおかつ、 (2)証拠がそれじたい正しいと考えられる(あるいは合意ができている)ようなサポートのことである。
    - ツッコまれるということは、 新しいことを言おうとしていることの裏返し、ということだ。ツッコまれる危険を 冒さないと新しいことは言えない。/// 自分の考えにはツッコミが入るということを自覚して何かを言ったり考えたりする、これって臆病者にはなかなかできない。 論理的思考には勇気がいるんだ。
    - (1)いまは論理的に考え、語るべきときなのかを見極めることができる。 (2)論理的に考え、語るべきときにはそれができる。 (3)時と場合(相手が誰かも含む)に応じて、どのていど論理的に考え、語ればよいのかの見極めができる。
    - 疑似論理
    - 四種類の疑似論理は、どちらかというと議論とか論争といった場面で出くわすタイプのものだった。だからキミは、誰かがそれをやっているのに出会ったときは、ダマされないぞ、と注意しておけばよい。そのために、「循環論法」「対人論法」「わら人形」「燻製ニシン」といった名前を知っておくことは、けっこう役に立つ。
    - その⑤「ジレンマ」もしくは「強いられた二者択一」選択肢がたくさんあることを隠し、両極端の二つの選択肢しかないかのように思わせて、自分の好みのほうを選ばせる、疑似論理的議論だ。ジレンマが本物であることもある。つまりほんとうに、「いずれにせよ困ったことになる」ことも多々ある。だけど、頭の中だけのジレンマにすぎない場合もけっこう多い。つまり、自分で勝手に二者択一を自分に強いているだけ、ということもある。なので、アドバイスはこうなる。ジレンマに陥りそうになったら、 AとBの他に選択肢が隠れていないかをつねに探したまえ。
    - その⑥──「滑りやすい坂」またの名を「雪だるま」/// ここに出てきた「ならば」が、「しかじかしたならば、かくかくの結果になる」という因果関係の「ならば」のとき、こういう形の議論は滑りやすい坂になってしまうことがある。 因果関係の「AならばB」はたいてい例外があって、100%正しいことはまずない からだ。「滑りやすい坂」論法は心配とか恐れと結びつきやすい。 そして二つが結びついたとき、すごく良くないことが起こる。
    - 判断の間違い傾向
    - (a)典型例(あるある)を使って判断しがち
    - (b)はじめに判断した値に引きずられ調整が十分できない
    - (c)目立つので思い浮かべやすい事例を使って判断しがち
    - 言葉
    - キミの思考を強化してくれるたくさんの適切な言葉をアタマの中に入れておかねばならない。 だから、キミは自由自在に使える言葉を増やそうと努力しなければならないんだ。/// キミが自然に身につけていく言葉は、キミの周りで使われている言葉にかぎられる。つまり、いまのキミと同レベルの人たちが使っている言葉だ。 キミの思考を拡張するために身につけなくてはいけない言葉は、キミよりも先にカシコくなった人たちが使っている言葉でなくてはならない はずだ。だから、自然に語彙が増えていくのに任せていてはダメなんだ。
    - 言葉は思考の担い手なので、キミが使う言葉はキミの思考の質を左右する。ここで批判的に取りあげたような言葉ばかりを使って考えていると、ありていに言って、 キミは愚か者になる。でも、この世の中で暮らしていると、自然にこういう言葉も覚えてしまうだろう。  だとしたら、キミにできるのは次のことしかない。ときどき、自分の語彙を反省してみる。そして、これを使うと自分はアホになると思うような言葉が見つかったら、それを自分からは使わないように心がける。それを平気で口にするような人を 正しく 軽蔑する。語彙の「たなおろし」のときに、不用品を処分しよう、ということだ。
    - 紙に書く
    - 紙とペンで考えるとどうして思考が増強されるのだろう。それはね、紙が上下左右に広がっているから。つまり、 紙が2次元だからだ。前章で、言葉が思考の担い手であることを強調した。でも、残念ながら私たちの言葉は一列に並んでいる。もともとは話し言葉だったからだ。私たちは、いっぺんに一つの音しか出せない。だから音を一列に連ねて語をつくり、語を一列に連ねて文をつくるしかない。
    - 「紙に絵と文字」で考えることにはもう一つの大事な意義がある。 思考のスキマを目に見えるようにしてくれる ということだ。
    - 証明というのは、前からちょっと埋めたり、後ろからちょっと埋めたりを繰り返して、真ん中でつながる、という トンネル工事みたいな作業 だ(あ、トンネルは埋めるんじゃなくて掘るんだった)。そして、字の書いていないところ、つまりスキマが、ここはまだ考えなくてはいけませんよ、つながりがついていませんよ、ここにまだ飛躍がありますよということを表してくれている。 空白が何を考えねばならないかを教えて、思考を促してくれる んだ。
    - 話題が何であれ、およそ「議論を組み立てる」ということがしたいなら、このトンネル方式が役に立つ。  右下に、主張したいことを書いておく。左上に、それのサポートに使えそうな、キミの知識を書いておく。そうして、キミの主張したいことを言うためには、どんなサポート(証拠・根拠)が必要かを考える。これを言うためには、何が成り立ってないといけないかな。それを思いついたら、そのサポートに根拠があるかどうかを考え、思いつかないなら探す。これを繰り返していく。もちろん、最初にサポートに使えそうと思ったことがらは、結局主張に関係ないことがわかったりもする。  大事なのは、このように書きながら考えることによって、 何をさらに考えなければならないか、何を調べなければならないかがスキマという形で見えてくる ということだ。ここにはまだスキマがあるな、ここを埋めるものは何だ、と考えることができる。
    - ①自分の考えを伝えるために文章をどうつくったらよいか  ②相手の考えを学ぶために文章とどう付き合ったらよいか  ③文章をやりとりしながらみんなでいっしょに考えるためには、どうすればよいか  ①は「文章設計術」、②はいわゆる「CR(クリティカル・リーディング)」、③は「議論術」 ということになる。
    - みんなで考えることによって、人類は一人ひとりの愚かさを克服してきた。科学はそれをすごくうまく利用して発展してきた。 だからキミもそうしなさい、と言いたいわけだ。一匹ずつをとるとたいしてカシコくはないが、集団になると一匹にはないカシコさが現れる。こういう現象を 集合知 とか 群知能 という。
    - でもね、結局のところ、どんな方法を学んだにせよ、 書いてみて、失敗して、反省して、直す。これを繰り返すしかないんじゃないのかと思うんだ。宿題の提出が遅れた言い訳を先生にメールしたら、よけい怒られたとか。でも、「失敗→反省→直す」をちゃんとやっている人ってあまり見たことがない。失敗しっぱなし。で、いろんな「文章法」を渡り歩くことになる。
    - というわけで、一つは内容じたいの複雑さのせい、一つは書き手の能力不足のせい、もう一つは書き手のサービス精神のせい、そしてたいていの場合はすべてがあいまって、現実に書かれている文章は基本パターン通りにはならない。
    - じゃあ、クリティカル・リーディングをどのようにやったらいいのか。それを考えるためには、なぜ基本パターンからズレてしまうのか、ではなくて、 どのようにズレるのかを理解しておく必要がある。
    - (1)主張が最初に一カ所にかたまって書かれているとはかぎらない
    - (2)主張が一つとはかぎらない
    - (3)サポート関係は何重にも「入れ子」になることが多い
    - (4)「根拠に見えないけど根拠」という場合がある
    - (5)オマケですらない飾りも付いている
    - クリティカル・リーディングは何の役に立つ、どんな利点のある読みかたなんだろう。一言で言ってしまえば、 自分がもっているさまざまなバイアスから自由になって文章を読むために役立つ んだ。
    - 「みんなで考える」をやっているとき、そこでおこなわれる批判と反論は、相手をつぶすためのものではない。 みんなで知恵を出し合ってちょっとでも真理に近づくための、ましな案を考え出すための共同作業の一部 なんだ。/// こういう幼稚なプライドが論理的思考の最大の敵なんじゃないかと私は思っている。だから、 自分の間違いを指摘してもらって直すために議論に加わるんだ、という心構えで議論に臨む必要がある。「相手の論が正しければいつでも自分のほうを変えますよ」という態度を「 闊達 さ」という。「議論に負けない私」ではなく「議論に負けても平気で受け入れる闊達な私」にこそ誇りをもとう。
    - もう一つ大切な心構えがある。 人の意見とその人をごっちゃにしない ということだ。自分の意見と自分とは別だ。キミの意見が批判されたとしても、キミという人間が批判されたわけではない。逆に、相手の意見への批判と、相手の人格への批判とは区別しないといけない。相手の意見をちゃんとまともに扱って、適切に批判すべきところを批判することは、むしろ 相手の人格を尊重している ことなんだから。
    - 考えなきゃいけないのは、 どういう批判や反論なら生産的なのか、ということだ。逆に、 どんな批判が不毛な批判になってしまうのだろうか。  まず、 反論には二種類ある ということに注意してもらおう。「反論」って、「反対な論」 とも「論に反対」 ともとれるよね。これらがここでいう「二種類の反論」のそれぞれに相当する。/// こういう「反対な論」って、正解(この場合は、著作権をどうしていくのがいちばん良いか)を目指した共同作業という観点からすると、ちょっと足りない。というのも、相手の論とキミの論は嚙み合っていないからだ。それぞれまるで独立の根拠を使っている。  だから、キミの論は相手の主張と対立するだけで、相手の主張を崩すことができない。そうすると、相手に主張を取り下げさせることも修正させることもできない。 議論の参加者が、「反対な論」ばかりを戦わせていると、議論は先に進まなくなる。/// そこで、議論を前に進めるためにキミは相手の論そのものに何か言わないといけなくなる。つまり、 相手の論にツッコミを入れるんだ。
    - 「反対な論」とは異なり、これが成功すれば相手の論証に修正を促すことができる。もちろん、相手もキミの論に「論に反対」をぶつけてくるだろう。そうしたらキミも修正する。これを互いに繰り返すことによって、もしかしたら正解に近づけるかもしれない。  相手の論に反論する(ツッコミを入れる)仕方については、じつはすでに述べてある。相手が使っている根拠が間違っていることを示すか、根拠から主張は出てこない(根拠は主張を十分にサポートしていない)ことを示すか
    - どちらも認めているチョー重要な前提だからこそ、わざわざ言わずにおいてあることにツッコんじゃうと、議論は実りをもたらすはるか前に終わってしまう。まさに「それを言っちゃあおしめえよ」なのである。
    - 「燻製ニシン」と「それを言っちゃあおしめえよ」は、一方はどうでもよいところにツッコむ、他方はツッコんじゃいけない重要なところにツッコむというわけで、すごく対照的に見える。だけど、この二つには共通するところがある。それは 議論に勝つことだけが目的になっちゃって、いっしょに考えて正解を探すというほんらいの目的を忘れてしまった、ということだよね。だから、何のために反論・批判するのかという心構えが大事だ、と言ったんだ。
    - どういうグループが集団思考にハマりやすいのだろう。ジャニスの見解を私なりにまとめると、次のようなグループだ。 「均質性と凝集性が高く、規範の欠如やコミュニケーション不全などの構造的欠陥を抱え、外部からの批判・脅威などストレスの高い状況に置かれているグループ」
    - 集合愚・集団思考に陥りやすいのは、均質性と凝集性の高いグループだった。だから、集合愚を避けたいなら、この二つを弱めてあげればよい。  均質性を弱めるにはどうすればよいか。答えは簡単、 ちょっと違う意見の持ち主に入ってもらえばいいんだ。
    - 主張をみんなで吟味して、批判し合って、より良いサポートを求め合って……真理に少しでも近づこうとするグループの一員の言うことなら、とりあえず信頼してよい。
    - 第6章で、私たちの思考を拡張する最も大切な人工物として「言葉」の役割を強調した。言葉は、何かを表す働きをもったもの、つまり表象の代表選手だ。そして表象のもう一つの代表例が絵とか図なのである。言葉は思考能力を増強する。同じくらい、 図も思考能力を増強してくれる。
    - どうでもいい細かいことをあえて見えなくする。そして異なる系が隠しもっていた共通の構造・パターンを見えるようにする。これがガクモンの方法の一つの大事な特徴なんだ。われわれの脳みそはこれがあまり得意ではない、というかほとんどできない。それをできるように思考を拡張してくれるのがガクモンの意義だ。
    - 数学以外のガクモンは、基本的には「この世にあるもの」を研究している。生物学はユニコーンやドラゴンを調べたりしない。数学は別だ。 この世にあるかないかなんてお構いなしに、どんな構造だって調べてしまう、すごく自由なもの なんだ。そのために、いろんな構造をうまく記述できるように数学の言葉はどんどん拡張されてきた。数学は記述できる構造のレパートリーがものすごくたくさんある。だからこそ、数学は他のガクモンにもものすごく役に立つんだ。/// 数学を勉強することにどんな意味があるかがわかったろう。数学は苦手という人は多い。天体とか生きものとか化学物質とか歴史上の事件みたいに、この世にあるもの、起きていることについての勉強じゃないからね。具体的でないので、何のために学ぶのかがわかりにくい。むしろ、 数学は国語に似ている。新しい言葉を身につけて、これまで考えられなかったことを考えられるようにするために学ぶんだ。思考のレパートリーを広げる、ということをやっているんだ。
    - 結果的に正しいかどうかは、 私たちの努力だけでは決まらない。結局この世がじっさいにどうなっているかで決まる。 原子が原子核と電子でできていなかったら、そう思うことにどんなに良いサポートがあったとしても、私たちの思っていたことは間違いになってしまう。そしてこの世がどうなっているかは、私たちにどうすることもできない。  というわけで、私たちにどうにかなるのは、 できるだけよくサポートされたことがらを信じるようにすることだけだ。
    - この世の真理をじかに手に入れることのできない人間が、真理の代わりに大切にしているもの、それが「サポートされた思考」 なのである。
    - 善い目的のために、がんばって論理的に考え、語るべきときって、いったいどういうときなんだろう?  おそらく、答えは二つあると思うのね。
    - 一つは、 この世がほんとうのところどうなっているかをなるべく正しく知りたいとき。もう一つは、 そうやって知ったことがらに基づいて、みんなの幸せにかかわることがらについてみんなで議論してどうするかを決めようとしているとき。  第一の活動がプロっぽくなって、専門家がやるようになったものを「科学」 とか「学問」 という。///
    - もう一つの答えは「政治をするとき」/// みんなに関係することを決める、二人から国際レベルまで、これをひっくるめて「政治」 という。/// みんなに関係することはみんなで議論して決めよう、という政治のやりかたもあって、これをちゃんとやるためには論理的思考が必要だ。なぜなら、 みんなで決めるためには、みんなが納得しないといけないから。みんなを納得させるためには、主張がちゃんとサポートされていなくてはいけないし、ツッコミに耐えられるものでなくてはならない。///
    - とりあえずここでは、 論理的思考には科学(ガクモン)と民主主義を支えるという大切な働きがある ということをわかってもらえたらうれしい。
    - ガクモンを身につけるのは、ちゃんと考えられる人になるため。そしてちゃんと考えるのは、より良い世の中をつくり、自分たちの幸せな生存をはかるためだ。

  • 元来考えることを苦手とする人間が、じょうずに考えるための手法がギッシリ詰まっている。
    対象は学生なので分かりやすいにもかかわらず、大人が読んでもいかに自分が上手く考えられていなかったのかに気付かされる内容なのではないでしょうか?

    学生時代にこの本に出会ってたら確実に人生変わったんじゃないかと思う。

  • 環太平洋大学附属図書館の所蔵情報はこちら⇒

  • 岡野幸夫先生 おすすめ
    12【教養】141.5-T

    ★ブックリストのコメント
    論理的思考とは、語彙力強化の秘伝、文章設計のコツ、クリティカル・リーディング、ディベート術など、考えるためのすべてを網羅した「知の教典」決定版、練習問題42問付き!

全12件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1958年生まれ
1989年 東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学
現 在 名古屋大学大学院情報学研究科教授
著 書 『論理学をつくる』(名古屋大学出版会、2000年)
    『誇り高い技術者になろう』(共編、名古屋大学出版会、2004、第2版2012)
    『科学哲学の冒険』(日本放送出版協会、2005)
    『「科学的思考」のレッスン』(NHK出版、2011)
    『科学技術をよく考える』(共編、名古屋大学出版会、2013)
    『哲学入門』(筑摩書房、2014)
    『科学的実在論を擁護する』(名古屋大学出版会、2015)
    『〈概念工学〉宣言!』(共編、名古屋大学出版会、2019)
    『教養の書』(筑摩書房、2020)他

「2020年 『自由の余地』 で使われていた紹介文から引用しています。」

戸田山和久の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×