- Amazon.co.jp ・電子書籍 (332ページ)
感想・レビュー・書評
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古風な漢字と言葉遣い、「だなあ」「なのよ」といった体温ある結語が軽快な会話文、親友の自殺に慌てながら踏み倒した家賃が気になる勝手加減(=ユーモア)、金や性に対する潔いまでの貪欲さ、夢想の大胆さと実際の小心の対照、恋人がブスであることにまつわる心理描写などの諧謔、こうしたものはなるほど西村賢太に影響を与えたのも分かる。
岡田が連日全く同じ言葉と涙でもって現れ、清造の言葉に決まって勇を得て帰るのも笑える。直ぐと怒りをぶちまけ、また直ぐと泣かんばかりに謝る貫太のようだ。
ただ、岡田兄との自殺をめぐる問答などは妙にくどく、内面描写が執拗。そういう箇所はリズムよく話が流れて行かない。これは当時の私小説からすれば自然のことかもしれないが、西村賢太のように読ませるサービス精神は感じない。逆に言えば、私小説は西村賢太をもって現代風に変化を遂げているのだ。
物語としてはまとまっておらず、スジというようなスジもないが、結末の救われぬ貧困あたりはかなりの迫力。かけた袷に岡田の幻覚を見るあたり、また脚の疼痛と膿汁、鐘がリンクするあたり。
好きな場面。
宮部が清造の陰口を叩いていたと告げられ、云う。
「糞でも喰らえだ。そんな憎まれ口を利いてる暇があったら、たまにゃてめいの了簡へ、ちったあヤスリでも当てたほうが身のためだろうぜって(略)憚りながらこう見えたって、おいらあまだ、あんな垣覗き野郎に見破られるほど耄碌してねえんだからなあ。」
独創的な悪口は確かに師匠格だ。
女の腐ったような岡田に対し、「彼自らの死ぬのを待たずに、一思いに蹴り殺してしまってやろうかと思って」というのも良い。蹴り殺すというチョイスが的確。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
今更なのだがある日突然、西村賢太氏の訃報がストンと鮮明になり強烈に寂しくなって彼の足跡を追いたくて読んだ。
ダメな人間がダメな人間を愛する、正しくで私も藤澤清造氏のことが好きになった。(途中) -
あと何回か読まないとジョークのところ理解できないかも
ただ重い
重さが違う