- 本 ・雑誌
- / ISBN・EAN: 4910032010617
感想・レビュー・書評
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『それにしても、声というのはどうしてその人のことがわかってしまうのだろう。電話会社の窓口の女性は恩着せがましくて権威ぶっていて、生身の人間ですらない。ケーブルテレビのセールスマンは、弊社はお客さまを大切にしております、お客さまの満足を第一に考えております、と言うその声の中に、小馬鹿にした調子が混じっている』―『B・Fとわたし』
普段「群像」に限らず文芸誌を定期的に読んでいる訳ではないのだけれど、ルシア・ベルリンの新訳を読みたくて注文する。プレミアムを払ってはいないけれど、入荷待ちとなる。同じ理由で購入する人が思いの外多いらしいことを知り驚く。あっという間に読み終わってしまう。ああ、読み足りない。もういっそオリジナルの私家集を買って読むか。それとも岸本さんが翻訳してくれるのを待つか。悩む。
「小説より奇」な「事実」を「小説」にしたらこんな感じなのかな、と余計なことをまた考える。残酷なまでに具体的で、話の元になったかも知れない「事実」を探りながら読んでしまう誘惑に駆られるけれど、それはきっとつまらない読み方。でも、例えば堀江敏幸の本当にあったことのような虚構には漂わない臭気と湿気が、ルシア・ベルリンの短篇には充満している。あるいは、ポール・オースターの、そんな偶然ある筈ないだろう、と思わせるような、実際にあった偶然の話とも違って嘘臭さがない、と言うべきか(つまり堀江敏幸の話はどこまでもクリーンで、オースターのトゥルーストリーはちょっと嘘臭い)。もちろん、堀江敏幸もポール・オースターも結構好きで面白く読んでいるけれど、ルシア・ベルリンには単純に面白いと言ってしまってはいけない「切実さ」があるような気がする。
切実さは往々にして危うさと紙一重。若い作家が書きそうな、そういう小説も沢山あるとは思うけれど、この作家の危うさにはどこか大陸的な長閑さ(胆が据わっている、と言ったらよいのか)が感じられる。安心して読める、というのではないけれど、普遍的なものを感じ取れる。だからこそ、文芸誌が本屋の棚から一斉に消えてしまう位、広範囲の読者を惹きつけるのだろう。
でもね、語れば語る程に野暮になる、そう思う。所詮、死ぬときゃ死ぬんだし、てね。
ところで、同じ号に掲載されていて、期せずして読んだ川上弘美の短篇があまりに生々しい感じなので、うひゃあ、となった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
芥川賞受賞 石沢麻衣 貝に続く場所にて
惑星の途径があるゲッティンゲンで東日本大震災で行方不明の野宮を出迎えるところから始まる。覚寺のトラウマ、犬が掘り起こす遺物、震災の記憶、ホロコースト、
ドイツ東北の街で重層に描かれる幻想世界。
筆者のプロフィールを見ると私は筆者自身か。
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講談社の作品





