- 本 ・電子書籍 (182ページ)
感想・レビュー・書評
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最新の科学(らしい)を分かりやすく、情動的な迷信の否定を情動的な文章で解説。ただ脳の仕組みを知るだけでなく、そこから人との付き合い方や組織の振る舞い方が見えてくる、気がした。
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力配分を考量に入れているというのは志向的忘却性において不要な記憶は忘れていくというのと一致していて合点がいった。水を飲む時、すぐに渇きが癒されるというのは脳の間違いであることもわかった。
永井均さんが言うところの複数の脳があって、なぜ私の脳だけが考えるのかということに対しては、そもそも脳は考えないということ。体内の環境を整えているのが脳の仕事であること。
それから、社会が世界を作っていること。特に物理的世界に対して社会的世界があり、それは独りではできないということ。ルーマニアの乳幼児が放置されて脳の機能が働かなかったというように、永井均ベイビーがいて、そのベイビーが放置されていたら、永井均さんにはなれなかったとする。でも、現実の永井均さんはルーマニア人ではないから、この仮定は成り立たない。でも、なぜ、永井均さんという一つの連続体が、いや、永井さんはこれも否定していた。でも、ちょっと考えるに足る時間は連続していないと、そもそも私は存在できないというか、考えるというよりは記憶なのだが。記憶も類似した状況では同じようにすると、敵から逃げることができるとか。そういう能力であって。脳は考えるためではない。でも、抽象化されると、というか、そもそも、脳科学でわかる知識は意外性があって、常識とかけはなれている。実はこういうことだと思っていたことが、実は社会では、すでに知られていた事実ということもあるし、水槽の中の脳のように、この私を操作するというか、個人の先に社会があると考えると、どうなるのか?