貝に続く場所にて [Kindle]

著者 :
  • 講談社
3.12
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感想・レビュー・書評

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  • 東日本大震災とコロナ、西洋の文化を絡めた作品で、
    洗練された作品。

    ドイツに太陽系のモニュメントがあるのかわからないが、
    それを時の流れに比喩しているのかなと感じた。
    戦争の悲惨さを東日本大震災で表現しているところも、死という一致で繋げている。
    また、どこから現実でどこから幻想なのかわからない点は予期せぬ死を体験した人にはよくあると思っている。
    突然亡くなった人が30年経っても、当時の姿で現れる夢をみることがある。

    本は薄いが、どう理解してよいか考えるので、読むのに時間がかかること、解釈があっているのかと思いながら読むとなかなか進まない。

    正解はないと思うが、「東日本大震災」の映像を見るよりは体に負担がかからない気がする。

  • 記憶は水に垂らした1滴のインクの様に時間と共に薄れてしまう。しかし無くなる事はない。インク溶液となった水が純水に戻らないのと同じように身体の奥深くに残り続ける。光に透かした時に水に色がついていると判るように、何かの拍子に気が付く。それが歓喜を伴うものでも、どうしようもない哀しみを伴うものでも…。いつかは向き合わなければならない自分自身の一部なのだ。しかし、生死が曖昧だからこそ向き合えない。この物語は震災の記憶。失われたものと、残された者の折り合いの付け方を美しく精細な文章で綴っている。終盤の惑星のモニュメントを巡る遠足の記述は、もう素晴らしいとしか言いようがない。時間の遠近が崩れてゆく中、蜃気楼のように時を超えて目の前に現れる情景の描写は脳の奥に刻み込まれるようだ。溢れる様な美しい文章や浸みてくる言い回しは、この作家さんの奥の深さが窺えるようである。本当に素晴らしい読書体験が出来ました。

  • 【資料ID】91210821
    【請求記号】913.6||I

  • 東日本の大震災で亡くなった野宮の幽霊と出会い死に向き合う話。ちょっと難しかった

  • 大学図書館で表紙に惹かれて借りた「貝に続く場所にて」

    装飾に装飾を重ねた表現や、コロナや3.11、第二次世界大戦など多様な要素を詰め込んだ内容に怖気づきながらも昨日読み切った

    この作品の時間軸や空間軸はすごく曖昧に重なり合っていてそれが読者を困惑させる。けれどもその奇妙な世界観は現実そのものの表れだと思う。

    過去との距離感が空いて忘れることができたとしても、過去をなかったことにすることは不可能だ

    過去は多くの人が忘れ去ったとしても、一部の人や一部の街がそれを記憶する。

    街はただの風景ではない
    街には過去・現在・未来が入交り、そこに生きる人たちの想いが反映されている。つまり肖像であると、主人公は言った

    石巻は3.11を、ゲッティンゲンは第二次世界大戦の過去とコロナ禍の現在と。

    時に過去は人々にとって痛みを伴う。その記憶を抱えた人は頑張って忘れようとしたり考えないようにしようとする。ウルスラに家に保管された母親の乳房に向き合えないアガータとか、野宮に会いたがらない晶紀子とか

    街は過去を記憶し続ける。街を頼りに、ゆっくりでいいから向き合うことだ大事なんだと思う
    その痛みには尊い命があるのだから

    主人公みたいに、過去にどういった距離感で向き合えばいいのか悩みながら少しずつ

    私はこれからたくさんのまちに出向きたい
    その時はまちの過去に向き合い、痛みや死を弔い、まち全体に深い敬意を表したい

    作品の舞台であるゲッティンゲンにも、石巻市にも20代のうちに足を運びたいし、直接でなくても多くのまちに向き合うような読書をしていきたい

  • 静かなきもちじゃないと読みたくなくて、時間をかけてよんだ~
    最近は傷にむきあうこと、時間をかけることに意識が向いてきている

    ドイツの森歩き文化、きになる

  • 形容詞が多く、頭のなかで絵にならない。時間も空間もストーリーがつながらない。聴くのに向かない本かも。

  • 死者が生者と対話する。
    そこにファンタジーの影はなく、誰も過剰に反応することもない。戸惑いながらも、それが自然に思えることに、この物語の独特の雰囲気が確立されている。

    物語の舞台は真夏のドイツだが、その真っ白な陽射しと装丁の重さは対象的で、人々の向き合う過去と心の色とを思わせる。

    この物語を読むことで、「記憶」というものについて、静かに考えを深めていくような時間を過ごせたと思う。

    余談:「寺田氏」が出てきたときに、すぐ「寺田寅彦だ!」と思えたのは嬉しかった。中谷宇吉郎に出会っていなければ知らなかっただろう。

  • 貝に続く場所にて

    著者:石沢麻依
    文藝春秋2021年9月号
    初出:群像2021年6月号
    第165回(2021年上半期)芥川賞受賞作

    「時間」の対義語は「空間」だと学校で習う(らしい)。その理由がピンとこない人は意外と多いみたい。この小説を読むと、なるほどと思える。

    ドイツのゲッティンゲンという街で暮らす主人公は若い女性で、仙台出身、留学中で博士論文を書いている。同じ西洋美術史を専攻する石巻出身の野宮という男性は歳も同じぐらい。2人は知り合いで、9年ぶりにこの街で再会する。しかし、野宮は幽霊。9年前の震災(2020年が舞台)で津波に飲まれて行方不明、死亡とされているようだ。主人公は海から離れたところで暮らしていたので無事だった。

    野宮の幽霊がこの街に来たころから、かつてあった海王星の模型が現れることがあると噂になりはじめた。ゲッティンゲンには、「惑星の小径」と呼ばれる太陽系の縮尺模型が設置されていて、太陽の模型(ブロンズ板の中に小さな模型が組み込まれている)を起点に、距離を置いて惑星のブロンズ板(模型つき)が順に並んでいる(実際にあるらしい)。2003年に設置された時には冥王星まであったが、2006年に冥王星が準惑星とされた時に外されていた。それが、時々また設置されていると噂になっている。それだけでなくセピア調の昔の人々の姿も現れることも。

    話の中で、寺田寅彦も来ていることが分かってくる。寺田は、実際、明治時代にこの街に数ヶ月いたらしい。そして、会話の中で、自分の時代にはこの街にあった風景が云々というようなことを言う。私の世界のゲッティンゲンにはあるが、今のあなたたちのゲッティンゲンにはない(見えない)、というわけである。同じ空間ではあるが、時間を超えるというのは、こういうことかと実感する。時間を超えるというより、異なる時間が同じ空間に同時に存在する、という方が適切かもしれない。冥王星のブロンズも2006年以前の時間には存在しているわけで、それが同時に存在しているということになれば理解できる。明治時代のゲッティンゲンと今のゲッティンゲンが重なれば、同じ空間なので寺田寅彦とも会え、会話もできる。

    空間を超えるという感覚は分かりやすい。でも、結局は時間も空間も、超越して(あるいは重なって)邂逅するものであれば同じと感じられるし、方法論という意味での対義語であるとも感じられる。ただし、主人公と野宮が再会したのがよく分からない。小説の中で、津波も原発も遠い自分と、野宮がいた場所は、全く別だということを繰り返す。つまり、2人の再会は時空を超えたものということになる。

    著者へのインタビュー記事中に、主人公と野宮は知っている程度の関係と説明されている。小説の中には、2人の関係に詳しい説明はない。しかし、なぜ野宮だけは時間だけでなく空間も超えてきたのか。僕には、2人が実は恋人同士であったように読めてしまうのだ。

    著者も、今、ドイツにいて西洋美術史を学んでいるそうだ。恐らく、文学についても精通し、どちらかというと文学エリートなのだろう。ところが、この小説はちっとも面白くない。純文学としては恐らく価値の高い作品なのだろうが、いくつも出てくるそれぞれの逸話で概念を語るのはうまいが、状況描写が極端に下手くそなのである。読んでいてちっとも情景が浮かんでこない。そして、逸話ごとに見ている主人公の視界について難しい表現を含めて説明するが、たぶんそれは西洋美術史という学術において絵画を解説する論文のような表現方法なのではないだろうか。だから、小説を読む読者には伝わりにくいのかもしれない。

    選評を読むと、吉田修一氏のような人ですら完成度が高いと書いている。一方で、山田詠美氏は(その稚拙で)意味不明な表現に笑ってしまうというような酷評も書いている。玄人受けする作品かもしれないが、小説ファンには、いくら純文学とはいえ、物語性を期待する向きも少なくない。なぜなら、そこに少しでも人としての成長が欲しいから。主人公が高尚に語るだけでは、そちらにいかない。

  • 残念ながら没入できず、途中から字を追いかけることになってしまった。
    震災経験者+ドイツ、という組み合わせでどう自分の気持ちを表現すれば良いのか。そんな気持ちがひしひしと伝わってきた。

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著者プロフィール

1980年、宮城県生まれ。東北大学大学院文学研究科修士課程修了。現在、ドイツ在住。2021年、「貝に続く場所にて」で第64回群像新人文学賞を受賞してデビュー。同作で第165回芥川賞を受賞。

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