- Amazon.co.jp ・電子書籍 (137ページ)
感想・レビュー・書評
-
東日本大震災とコロナ、西洋の文化を絡めた作品で、
洗練された作品。
ドイツに太陽系のモニュメントがあるのかわからないが、
それを時の流れに比喩しているのかなと感じた。
戦争の悲惨さを東日本大震災で表現しているところも、死という一致で繋げている。
また、どこから現実でどこから幻想なのかわからない点は予期せぬ死を体験した人にはよくあると思っている。
突然亡くなった人が30年経っても、当時の姿で現れる夢をみることがある。
本は薄いが、どう理解してよいか考えるので、読むのに時間がかかること、解釈があっているのかと思いながら読むとなかなか進まない。
正解はないと思うが、「東日本大震災」の映像を見るよりは体に負担がかからない気がする。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
記憶は水に垂らした1滴のインクの様に時間と共に薄れてしまう。しかし無くなる事はない。インク溶液となった水が純水に戻らないのと同じように身体の奥深くに残り続ける。光に透かした時に水に色がついていると判るように、何かの拍子に気が付く。それが歓喜を伴うものでも、どうしようもない哀しみを伴うものでも…。いつかは向き合わなければならない自分自身の一部なのだ。しかし、生死が曖昧だからこそ向き合えない。この物語は震災の記憶。失われたものと、残された者の折り合いの付け方を美しく精細な文章で綴っている。終盤の惑星のモニュメントを巡る遠足の記述は、もう素晴らしいとしか言いようがない。時間の遠近が崩れてゆく中、蜃気楼のように時を超えて目の前に現れる情景の描写は脳の奥に刻み込まれるようだ。溢れる様な美しい文章や浸みてくる言い回しは、この作家さんの奥の深さが窺えるようである。本当に素晴らしい読書体験が出来ました。
-
【資料ID】91210821
【請求記号】913.6||I -
東日本の大震災で亡くなった野宮の幽霊と出会い死に向き合う話。ちょっと難しかった
-
大学図書館で表紙に惹かれて借りた「貝に続く場所にて」
装飾に装飾を重ねた表現や、コロナや3.11、第二次世界大戦など多様な要素を詰め込んだ内容に怖気づきながらも昨日読み切った
この作品の時間軸や空間軸はすごく曖昧に重なり合っていてそれが読者を困惑させる。けれどもその奇妙な世界観は現実そのものの表れだと思う。
過去との距離感が空いて忘れることができたとしても、過去をなかったことにすることは不可能だ
過去は多くの人が忘れ去ったとしても、一部の人や一部の街がそれを記憶する。
街はただの風景ではない
街には過去・現在・未来が入交り、そこに生きる人たちの想いが反映されている。つまり肖像であると、主人公は言った
石巻は3.11を、ゲッティンゲンは第二次世界大戦の過去とコロナ禍の現在と。
時に過去は人々にとって痛みを伴う。その記憶を抱えた人は頑張って忘れようとしたり考えないようにしようとする。ウルスラに家に保管された母親の乳房に向き合えないアガータとか、野宮に会いたがらない晶紀子とか
街は過去を記憶し続ける。街を頼りに、ゆっくりでいいから向き合うことだ大事なんだと思う
その痛みには尊い命があるのだから
主人公みたいに、過去にどういった距離感で向き合えばいいのか悩みながら少しずつ
私はこれからたくさんのまちに出向きたい
その時はまちの過去に向き合い、痛みや死を弔い、まち全体に深い敬意を表したい
作品の舞台であるゲッティンゲンにも、石巻市にも20代のうちに足を運びたいし、直接でなくても多くのまちに向き合うような読書をしていきたい -
静かなきもちじゃないと読みたくなくて、時間をかけてよんだ~
最近は傷にむきあうこと、時間をかけることに意識が向いてきている
ドイツの森歩き文化、きになる -
形容詞が多く、頭のなかで絵にならない。時間も空間もストーリーがつながらない。聴くのに向かない本かも。
-
死者が生者と対話する。
そこにファンタジーの影はなく、誰も過剰に反応することもない。戸惑いながらも、それが自然に思えることに、この物語の独特の雰囲気が確立されている。
物語の舞台は真夏のドイツだが、その真っ白な陽射しと装丁の重さは対象的で、人々の向き合う過去と心の色とを思わせる。
この物語を読むことで、「記憶」というものについて、静かに考えを深めていくような時間を過ごせたと思う。
余談:「寺田氏」が出てきたときに、すぐ「寺田寅彦だ!」と思えたのは嬉しかった。中谷宇吉郎に出会っていなければ知らなかっただろう。 -
残念ながら没入できず、途中から字を追いかけることになってしまった。
震災経験者+ドイツ、という組み合わせでどう自分の気持ちを表現すれば良いのか。そんな気持ちがひしひしと伝わってきた。