魂を撮ろう ユージン・スミスとアイリーンの水俣 (文春e-book) [Kindle]

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  • 著者 石井妙子は、『女帝 小池百合子』で、第52回大宅賞を受賞した。そして、ユージンスミスとアイリーンの物語を紡ぐ。時代のトピックスにうまくあわせるライターだと思って、読んでみた。
    物語の構成力と編集力に優れている。そして、読みやすい。ライターテクニックが卓越している。いやはや、素敵なノンフィクションライターだ。
    アイリーンという女性史。ユージンというカメラマンとしての歴史。そして、MINAMATAの歴史。
    3つの歴史が、絡み合って、現代を切り取っていく。
    まずは、ユージンスミスというカメラマンについて、整理してみよう。
    アイリーンはいう「彼は写真に全てを捧げていて、自分のなし得る最上の作品を仕上げようと、もがき続けていた。一切、妥協しなかった」
    ユージンスミスは「自分の仕事は写真や言葉によって、単なる記録以上のことをすることだ」という。1918年12月30日にアメリカの中央部、カンザス州に生まれた。海から遠く離れ、太陽が容赦なく降り注ぐ赤土の地。父親は裕福な穀物商人。母親はドイツから移住してきた一族で、農地を広く持つ資産家の出だった。兄ポールは脊髄性小児麻痺という重い障害を持っていた。ユージンは次男だった。母親は美術学校で学び、写真を趣味としていた。家でプリントしていた。ユージンは飛行機が好きだった。飛行機の写真集が欲しいと言ったら、母親から自分で取りなさいと言われカメラを渡され、11歳の時には自分でプリントしていたという。高校生になると新聞社に写真を売り込みに行くほどになった。ユージンスミスが18歳の時に父親は会社経営に失敗して、自殺した。そのことが売り込んだ新聞社で報じられた。ユージンは「自分はジャーナリストに憧れていたけれど、もうやめる。こんなに汚い仕事だと思わなかった」と新聞記者に言ったら、「ジャーナリズムという仕事自体が汚いわけじゃない。どういうジャーナリズムにするかは、たずさわる本人次第だ。質の高いものになるのか、インチキなものになるのかは、ジャーナリズム個人の問題で、ジャーナリズムそのものではない」と言われ、写真を続けることにした。母親は、ユージンをノートルダム大学報道学科に進ませた。ユージンの中には、常に母親の強力なサポートがあった。ユージンは、母親依存症だった。
    ユージンは、17歳の時に、写真を撮ることの意味を「世界はすでに嘘とニセモノが溢れている。ありのままの人生。ポーズを取らない、現実のままの、真実の写真を撮ることだ」と考えた。ロバートキャパのスペイン内戦の写真に感激した。ライフ誌に入ろうとするもできず、ライフ誌のライバル会社のニューズウィークの専属カメラマンとなった。上司と喧嘩して、解雇され、ライフのフリーランスとなる。写真には一切妥協せず、悶え苦しみながら、完璧なものを作ろうとした。自分の頭の中にあるイメージが表せていないと拳で暗室の壁を叩いていた。世界は第2時世界対戦に突入する。ユージンは、戦争カメラマンを志望して、1943年25歳の時にラバウルの戦場にたどり着く。そして、レイテ島、硫黄島と従軍カメラマンとし随行する。日本兵の玉砕作戦に対するアメリカ兵のやり方を目の当たりに見て、「戦争なんて糞食らえだ」と憤った。日本人も人間なのだと思った。
    ユージンは、写真で人間を描こうとした。相手への想像力、共感力を得られるような写真を撮りたかった。ユージンは日本兵への共感もあり、戦争を高揚させる写真などとれなかった。戦争では、悪人だけが死ぬのでなく、善人も、女性も、赤ちゃんも死ぬという現実に直面する。
    ユージンは結婚して子供もいた。戦争で死ぬかもしれないという覚悟で家族への手紙には「君たちは、父さんの人生に輝く星々です。そんな君たちには、どんな男性であれ、女性であれ、子供であれ、その人に対して人種や肌の色、信条のせいで不寛容な感情を抱くことは絶対しないで欲しい」と書き送る。不寛容すべきでないことを強く訴える。
    ユージンが、なぜMINAMATAに向かったのか。そして胎児性水俣病の子供達にたやすく溶け込めたかも、兄の障害、そして、戦争体験が大きく影響していた。
    また、母親依存症が母親が亡くなってから、気に入った女性にすぐに結婚しようと取り入るのも、ユージンスミスの才能でもあった。51歳のユージンと20歳のアイリーンの結婚も、水俣で共にしながら、結果として破綻するのだった。そして、新しい若い嫁を探すのだった。
    写真には厳しく、女性には優しくするが、生活は破綻していた。
    智子の写真には、水俣の怒りがあらわせたが、実子の写真は何枚撮っても、水俣への怒りを表現できないと言って悩む。ユージンの写真は、必ず強いメッセージがある。ユージンの揺らぎない写真への希望が、なんとも言えず尊いと思う。
    ユージンスミスが言った。
    「客観なんてない。人間は主観でしか物を見られない。だからジャーナリストが目指すべきことは、客観的であろうとするのではなく、自分の主観に責任を持つことだ」
    という言葉に、ひどく励まされた。客観的に主張することなんてできない。写真であっても、そこには主観が混じる。まして、書こうとしている文章に主観が常にあるのだ。

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著者プロフィール

太田・石井法律事務所。昭和61年4月弁護士登録(第一東京弁護士会)。平成30年経営法曹会議事務局長。専門分野は人事・労務管理の法律実務。

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