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本 ・電子書籍 (130ページ)
感想・レビュー・書評
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何コレ?
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土地の記憶についての物語であった。
しかし、あくまで人のスケールの記憶であって
恐竜が出てきたりするわけでもない。
要するに言葉として聞くことが可能だが、
耳を澄まさなければ届かない程度の言葉を著者は拾ってきている。
おおむね3世代前程度の話。人が大体20〜30年で次の世代を作って行くなら
100年前後というのはおおむね人のスケール感の中で、
見過ごされるとしても注意して聞けば聞こえてくる海鳴りのようなものだ。
このことを土地を矮小化するはたらきと見る人もいるかもしれないけれど、
とはいえ、それが意味あるものとして伝わるためには
人のスケールであることに意義はあるだろう。
この家の草刈りをなんでしてるの?という問いは最後まで宙に浮いたままだが
それでもなお、人の範疇の出来事として、草刈りがあるのだということが確かな疲れをともなって描かれている。
こうした大きな枠組みの中で挿入されたカヌーでの少年の冒険は
一方でその疲れ、我々の微細な力を持って何ができるかの実践を示しているようであり、悪くない。
決然たる意思を持って書かれた良作だと思います。
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「ああ、もう当分は生えんやろ。来年まではすっきりしとるとよ」と哲雄は満足そうに言った。
「ええ、たったの一年?」と奈美の方は不満げに、どうして伯父がそれで満足していられるのか理解しかねて、「じゃあまた一年経って草茫々やったら?」ーー
そう重ねて訊かずにはいられなかった。
「そりゃ、また来て刈らなたい」と、哲雄は事もなげに言った。
(p.156)
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人が生きているのだから草も生えるものだし、
人は生きているのだから草も刈るものだ。
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