資本とイデオロギー [Kindle]

  • みすず書房
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感想・レビュー・書評

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  • これはとんでもない大著だ。

    経済学の本ではあるが、著者の理論を説明するために、歴史、宗教、文明学の分野にまで考察が及ぶ。
    そりゃ930ページもあるのは仕方がないか、でも読了はシンドイよ。縮約して欲しいね。

    しかしそれを補って余りある程に読む価値は高い。特に大学の経済学部生、社会人には必読の書であろう。

    特に中世までは、富が王族、貴族、聖職者(教会)に集中するような仕組みであった。
    その後民主化されても、多くの議員は元貴族であったため、自らに不利な法律は作成されず、公平化は進まなかった。

    この時期において一つの大きな社会問題が、奴隷制度である。
    彼らにとって奴隷は非常に大きな資産であったがために、奴隷解放の議論と具体的な手法は遅遅として進展しなかった。
    論点は奴隷解放に伴う所有者の資産の損失補填、また制度から解放された奴隷自身への補償である。
    そもそも奴隷制度自体、暴力を基にした非人道的な行為であったことであるにも関わらず、前者が損失補填を求めるとは、どのような意味があるのか。
    寧ろ前者は不要であり、後者こそ補償されるべき問題では無いのか。

    本書の根本にある基本理念は「公正」の考察と追求である。
    公正とは何か、何を持って公正というのか、なぜ公正である必要があるのか、「公平」との差異は何か。

    議題は絶えないのである。

  • 2014年の世界的大ベストセラー『21世紀の資本論』の著者による続編。前作を超える大作となって再登場した。
    前作の骨子は、ざっくりいうと「資本主義の富の不均衡は放置しておいても解決できずに格差は広がる。格差解消のために、なんらかの干渉を必要とする」というもの。その根拠として登場した「r>g」という不等式は有名だ。「r」は資本収益率を示し、「g」は経済成長率を示す。
    この意味することは、資産 (資本) によって得られる富、つまり資産運用により得られる富は、労働によって得られる富よりも成長が早いということ。言い換えれば「裕福な人 (資産を持っている人) はより裕福になり、労働でしか富を得られない人は相対的にいつまでも裕福になれない」というわけだ。まさに『金持ち父さん、貧乏父さん』を彷彿とさせる。その理論的バックボーンを提供したのが前作であった。

    本著作は、その「金持ちがより金持ちになり続け、持たざる者は貧しくなる一方でむしろ働き損」な世界線がなぜ収まらないのか、それどころがどこまでも果てしなく格差が肥大し続けているのか、その考察の視点として、社会的・政治的イデオロギーの視座を提供する。
    ざっくりいえば、近代ヨーロッパが生み出した私有財産至上主義がすべての元凶というものだ。

    あらゆる人間社会は、格差を正当化させることに腐心してきたと著者。思うに人の素朴な感覚として「不公正」ほど忌み嫌われるものはない。つまり、自分は不当に損させられている、不利益な取り扱いを受けている、という感覚ほど、人を怒りに駆り立てるものはない。したがって、人を支配したいと目論む社会のあらゆる上層階級は、現に社会に蔓延する格差が必要不可欠なものであることを支配下の下層民に説き伏せねばならなかった。

    そこで、著者は、歴史を遡って、支配層がいかにして格差を肯定し、もっともらしく下層民に説きつけていたのか、すなわち格差イデオロギーの変遷を辿る。最初は三層社会と呼ばれるもので、そこで展開された三機能的格差を紹介する。三層とは、聖職者(=知識人)階層と貴族(=戦士)階層、そして農民階層を指す。聖職者は権威や伝統を守り、社会の知識や教育の役割を一手に引き受ける。対して貴族階級は治安や安全保障を一手に引き受ける。そのコストをその他大勢の一般ピープルが担っている、というわけだ。
    この中世の構図は、ヨーロッパのみならず、インドや中国、日本といったアジアの各地域でも広範に見られた。ある意味、普遍的な格差レジームの言い訳イデオローグだ。

    この三層社会が徐々に解体され、代わって台頭してきたのが、所有権社会だ。これは、財産権を絶対視・神聖視し、その財産を守り抜くために社会のあらゆるリソースが構築され、回っていく社会のこと。この社会は、1789年フランス革命勃発を合図として勃興してきた。それまで、財産は権力と混交一体化していた。王や貴族の下に財産があるのが当たり前だった。しかし、革命は、権力と財産の分離を主張した。革命以後、権力は中央集権国家が独占し、対して、財産権は個人の保有領域だと厳格な線引きがなされた。個人は、財産権を確保するために、これまでの貴族たちがそうしてきたような方法、すなわち私兵を使って自力救済することは許されない。それは国家に属する。国家は、司法制度、立法権を整備して、個人の財産権の保護を図った。これが、私有財産制の絶対化、神聖化の発端となった。

    大航海時代を経て奴隷制を発達させていたヨーロッパは、仏革命以降の人権意識高揚から、もはやその正当性を担保できなくなっていた。しかし、奴隷制廃止にあたっては、国家は奴隷所有者に対して補償を余儀なくされた。奴隷はモノであって人ではない。つまり財産を諦めさせられるのだから、その埋め合わせはしてもらおう、というわけだ。それこそ私有財産絶対のなせる業だといえる。その一方で、長年奴隷とされてきた人々に対する補償といった観念には誰も思い至らなかった。それが時代の限界と言えた。

    所有権絶対社会がピークを迎えたのは、1914年、第1次世界大戦前夜だった。植民地帝国主義によって世界中から搾り取り、しこたま儲けてきた結果だった。平等、博愛を説いたフランス革命期よりもはるかにぶっ飛んだ貧富の格差が世界中に広がっていた。だが時代は、二つの大戦と共産革命による大国の出現によって、一気に変化を余儀なくされていく。
    所有権絶対主義に歯止めをかけ、超富裕層に目玉が飛び出るほどの累進課税をし、累進相続税で世代間格差に制限を設けることで、戦後の欧米は社会の格差縮減に成功。その財源を使って医療、教育、福祉といった分野を手厚くし、大衆を底上げした時代が戦後しばらく続いた。それもこれも、すべては、ソ連をはじめとする東欧諸国の共産圏に対する恐怖からだったといえよう。革命ですべての財産が奪われるくらいなら、資本主義国家によって適切に取られ、運営されるほうがまだましだ、というわけだ。貧乏人を貧乏人のままに放置すれば、いつか逆襲され、すべてを奪われかねない、と真剣に恐れられたのだ。そして現実に、冷戦構造が世界を支配していた。
    しかし、ソ連解体とともに共産主義の脅威が拭い去られると、とたんに資本主義の大勝利とばかりに富裕層は破廉恥に振舞いだし、調子こぎ出した。資本主義各国におけるそれまでの累進課税は悉く廃止され、法人税率は低減する一方。そのツケは、一般ピープルすなわち資産を持たない者にほとんど振り当てられた。大富豪や大企業から適切に徴税できなくなった国家は、医療や福祉、教育や産業育成等々に回していた分を引き上げざるを得ず、国民を疲弊させ、その底力を奪わせる要因となっていった。
    なりふり構わぬ振る舞いは、資本主義諸国ばかりではない。中露でも目立つ。それまでの全体主義体制下であまりに押さえつけられていた反動でか、国営の資産があれよあれよという間にタダ同然で新興富豪のオリガルヒに持っていかれた。無論、その他大勢の民衆が取り残され、貧困を余儀なくされていく。
    このようにして、洋の東西を問わず世界に貧富の格差が蔓延した。そして、その格差はとどまるところを知らない。資本主義は大衆と自然資本を搾取しつくすことでしか回っていかないので、いつか、自然環境を破壊し尽くすところまで行くだろう。そうなると、人類はこの地球で住む場所すら失いかねない。それ以前に、疲弊しきり、怨嗟で爆発寸前の一般大衆が暴発し、世界を巻き込んだ大騒乱に発展するとも限らぬ。現に世界はテロや紛争、難民であふれ、混沌の極みに達している。
    この悲惨な状況を座視していては、人類に未来がないのは明らかだ。そこで著者は、脱資本主義の道筋を提案している。それは、参加型社会主義の構築だ。そこでは、累進所得税と累進相続税の復活に加え、累進財産税、すなわち富裕層の懐に直接リーチする大胆な試みもある。もちろん大企業に対し累進法人税を課す一方で、その経営権に株主のみならず労働者代表や一定数の労働者が参加できる共同経営の仕組みを導入することが提案される。この共同経営権の仕組みは、ドイツや北欧で実際に実行されており、成果を上げ続けている経営方針だ。加えて、そこに、大型株主の議決権行使の制限を加えることも忘れない。このようにして、企業の利益の適切な分配を図り、経営者、企業所有者と労働者との間の格差、力関係を可能な限り平等に保つのだ。

    そもそも累進法人税が次々廃止されていった背景には、各国が繰り広げる法人税のダンピング競争がある。つまり、弱小国が自国に資本を呼び込むために、法人税を限りなくゼロに近くしていく手法だ。その競争に巻き込まれないためには、どの国でも自国の法人税を下げざるを得ない。そうしないと、次々と自国企業が他所の安い法人税の国に逃げられていってしまうからだ。
    したがって、実効性ある累進法人税の復活には、一国に縛られない、世界連邦的な法人税に関する国際協約を締結する必要がある。EUが現況、様々な面において失敗し続けている理由の一つが、まさに、その連邦的法人税引き下げ規制の協約締結に至っていないからだが、それも、EU連邦議会の全会一致でないと何事も決められない、という制度的足枷による。

    思うに、すべては私的所有権絶対という近代革命以後に確立されてしまった悪しき人類の観念による。大富豪には願ったり叶ったりの数百年だっただろうが、このままいけば、大衆の怨嗟で世界規模の紛争が勃発し、終いには地球上に人類が住まう場所すらなくなる。つまり、大富豪自身すら生き延びられずして、いかならんか、だ。
    それゆえ、今は地球人類史上始まって以来の大転換期を迎えているといえる。私的所有権に対する永遠視、絶対視をやめ、一時的所有権、社会的所有権への移行を果たして、この地球上から怨嗟の声をなくす方向にシフトするのか、それとも圧倒的多数の怨嗟の声に飲まれて地球そのものを滅ぼしてしまうのか。今やその瀬戸際にいると覚悟し、公正さをこの地球に取り戻すべきではないか、というのが本著作のメッセージだと私は受け取った。

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著者プロフィール

フランス国立社会科学高等研究院の研究所長、パリ経済学校の教授、ならびにグローバル不平等研究所の共同主宰者。とくにLe capital au XXIe siècle (2013)(山形浩生・守岡桜・森本正史訳『21世紀の資本』みすず書房、2014年)、Capital et Idéologie (2019)、Une brève histoire de l’égalité (2021)の著者として知られる。

「2023年 『差別と資本主義』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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