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感想・レビュー・書評
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タイトルのとおり、政治的中立性をキーワードに、表現の自由について判例をあげながら解説しているもの。使われている言葉自体はそこまで難しいものはないが、法解釈、判例解説と、やってることはかなりガチ。大学の法学科(憲法)の講義を受けているようなものだ。
なお、著者は表現の自由の制限については限定的であるべき(自由にさせる必要がなければ制限するのではなく、制限する必要があるときのみ制限するべき)という立場のため、その観点で各判例を解説している。その理由については本著に詳しく書かれているが、端的に言えば表現の萎縮を誘発するからというところである。
こうした法解釈や判例の解釈は主に理論上で行うもの。裁判例の中で、行政側が「ん?」というような行動をしているように見えるものもありがちだが、恐らく法廷では提出・証言すらされなかったような、些細で、些末で、しかし様々な背景が遠くで絡み合って影響したものと推測できる。法・判例解釈はゴールを定めそこに向かって理論を組み立てていけばよく、方向性がシンプルになる。そこが現場とは違う。例えば、著者はとある団体が公園で政治的発言(と見られる)発言をしたからといって、それが行政の発言だと誤解されることはほとんどない、と断言しているが、現場レベルでは実際「ある」(少なくない)と想像できる。普段考えることを仕事としているような人としか交流しない種類の方々には想像できないだろうから仕方がないが、世の中本当に色々な人がいて、色々な考えがあり、想像を超えた方向から色々なアクションがある。地方公共団体は、どんな人でも住民であれば誰でもサービスの対象になるから、色々な人と触れ合う機会がある。そして様々なアクションを真正面から食らうのが現場で、人手も限られている昨今、このまま進めたら何が起きるかわかりきっているものについて事前に排除しておきたいという気持ちは当然沸く。そんな中で、表現の自由は最大限認めて、それに対して反対する人がいても、全部裁判に持ち込めば絶対勝てるから大丈夫!なんてこと言われても、おいおいってなるわな。
でもだからといって、そういうことを全て政治的中立性を理由として制限していくのは公権力の恣意的発動に該当するので当然ダメだ。本当は、行政は住民と対話を重ねて、本当にそれをすべきなのか、もしそうなら別の手段でかなえる方法はないのか、お互い道を探していくのが理想なのだろう。しかし意見を言う側が、段々手段と目的が入れ替わってきて非を認めない行政がオカシイ!と他の手段の話すらできなくなったり、行政側も対話をじっくりできるマンパワーが十分にないということもあってそうはいかなくなっているのかもしれない。
と現場レベルでは色々と難しいところもあるが、もう少し階層を高めての議論をするならば、著者にとっての肝は表現の自由を公権力が制限すると、国民が自由に意見を言えなくなる、そうすると、政治というのは我々で語るべきでない、プロがきちんとした見識を持って語るべきという空気になっていくというもの。
それが、今既に先進国の中でも低い日本の政治参加率に繋がっている。もし表現の自由を行政側が制限することを認めると、今目に見える形で特に問題がなくても、気づいたときには権威主義国家となってしまう可能性はある。なので本当は、理想は、私たちは自分たちの考えを持って・・・という流れにもなりそう。
しかし、考えるのが難しいという人は、やはり誰かに決めてほしいし、道は作ってほしいし、自分が聞いて傷つくような内容の発言を遮断してほしいと思うのはそうだろうなと。いくら表現の自由があれど、ネット上の行き過ぎともとれる言い合いは行政に取り締まってほしいと思うのも、まぁむべなるかなというところで難しいなと思う。
著者はそのあたり、市民任せではなく、仕組みとして機能させるよう提案している。最早スマホがあれば誰でも発信者になれる今日、市民一人一人のリテラシー任せではなく、システムとしての機能に期待をするほうがよいのかもしれない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
まず、表現の自由はなぜ重要か(第1章)が論じられている。
ここは次のようにまとめられる。
表現の自由は、まず第一に、情報をその方法のいかんを問わず、伝達する自由であるが、自己実現と決定参加(自己統治)の機能ないし価値を有しており、民主主義を維持するのに不可欠な自由である。それゆえ、表現の自由が国家権力によって制限される場合、裁判所はその制限が憲法上許されるものか否か、厳密に審査しなければならない。この点は、「非政治的な表現」が制限される場合も、表現内容に中立的な規制がなされる場合も同様である。また、裁判所は、表現の自由の制限の合憲性を判断する際、表現の自由が萎縮的な効果を受けやすい自由であることを踏まえなければならない。そして、表現の自由には、萎縮的効果を与える国家行為によって将来の表現活動を妨害されないという保障が含まれる。
表現の自由は国家によって表現活動を妨害されない権利であり、国家に対して表現活動を援助することを求める権利ではなく、国家は、表現の自由の行使を援助することを憲法上、義務づけられているわけではない。しかし、表現活動の妨害なのか、表現活動への援助の拒否にすぎないのかは、なかなか微妙な問題である。「援助」の拒否のように見えても、それが表現の自由の侵害にあたることもあるのである。
以下で、第2章 公務員と政治的行為、第3章 表現活動への「援助」、第4章 放送の自由と公平性で、具体的事例が取り上げられ、終章で、「政治的中立性」と民主主義について改めて論じられている。
ここでの、「総体として日本において、日本国憲法の下、表現の自由が実効的に保障されていることは確かであるが、表現の自由の保障に関してはなお数々の課題がある。実際、本書で見てきたように、「政治的中立性」や「政治的公平」という概念を介して、規制権限を有する者が表現者に忖度をさせるような形で表現活動をコントロールするという、よりソフトな仕方で表現の自由が制限されることが多くなっているのである。」(230頁)とする指摘は重要である。
こういった視点で、言論空間を見ていくことの重要性を築かされる著書として、意義あるものと思う。
著者プロフィール
市川正人の作品
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