「当事者」の時代 [パブー]

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  • パブー
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  • パブー ・電子書籍

作品紹介・あらすじ

佐々木俊尚さんの最新作『「当事者」の時代』電子書籍版がブクログのパブーで販売開始!
電子書籍版では、推敲の段階で削られた「なぜゼロリスクは生まれたのか」が1章分追加されています。
表紙のイラストとデザインは、奥様でイラストレーターの松尾たいこさんにご担当いただきました。

書籍では【¥998】のところ、電子書籍版は【¥490】で販売いたします。
「プロローグ 三つの物語」はパブーで無料公開中ですので、ぜひお試しください。

感想・レビュー・書評

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  • 左翼は、運動それ自体を自己目的化した存在であり、主張内容そのものの実現ではなく、絶対正義として他人を批判し続ける状態を維持することが最大の目的である集団と理解していたが、著者はその原因をマイノリティ憑依という言葉で捉え、それが日本で発生した由来を説き明かしている。

    残念ながら自分には思想史等の教養がないので、著者の主張がどの程度まっとうな主張なのか判断はつかないが、素人的な理解では十分説得力があると感じた。

    ただ、このマイノリティ憑依という問題は、明らかに日本だけの現象とは考えにくいので、国によらない人間の心理面での考察が欲しかった。そして、それとともに、当事者意識ゼロの無責任な言動を繰り返す人間(ノイジーマイノリティ)は、果たして対処すべき問題なのか、それとも人間の特性の一つとして、社会的な税金として受け入れなくてはならないのか、という問題も明らかにしてほしかった。

    また、メディアのあり方についても、現状のメディアがポジショントークのエンターテインメント化しているという指摘はもっともだと思うが、であればどうあるべきかが読んでいていまいち明らかにならなかった。

    当事者性を持つことは、マスメディアでも、ブログ等の〝市民"でも、当事者そのものでない限り原理的に不可能であり、それはそもそもの前提として、じゃあどうすればいいのか、あるいはどうあるべきかについて考察してほしかった。

    ノンフィクションをフィクションとして楽しまざるを得ないのは、テレビでもネットでも新聞でも、何らかの媒体を通して間接的にその情報に接する以上避けえない問題であり、これは各人の意識の問題ではない。

    せいぜい想像力をたくましくし、自分の身に置き換えることを常に心がけましょう、という以上の注意しか結論として導けないんじゃ、分厚い(って電子版だから厚さはわからないけど、でも明らかに新書として長いことだけはわかる)、渾身の作品の結末としてはさびしすぎる気がした。

  • インターネットが世界で語られ出した頃、「世界はExposureと化していくだろう」という
    予感に満ちた感覚がブライアン・イーノやロバートフィリップの音楽にあった感性を思い出しました。
    またそのころハードボイルドの作品で、
    「この世を仕切っているのは鵺みたいな正体不明のものなのさ」という捨てぜりふも読んだように思います。

    「夜回り」と「記者会見」の二重構造や「マイノリティ憑依」についてもうすうす感覚的にわかっていた人はこれまでにもいたのだと思います。
    ただここまで細かな腑分け作業がされてこなかったのではないでしょうか。

    ところが今では「鵺はあからさまに鵺として振る舞う故にすでに鵺でなくなっていたのだ」と感じました。
    世界の情報がたちどころに手に出来る時代。いつでもどこでもケータイで通信の出来る時代。
    すでに「憑依」も「身ぶり」も見透かされてしまう世界に生きている私、という認識。

    身も蓋もない時代。

    そしてどう生きるのか。なにをよすがに生きるのか。みずから「当事者」となるかどうか。
    そのことが逃げようもな自分自身に常に問われ続けるのだと思います。
    身の引き締まる思いです。

  • 「補遺 なぜゼロリスク幻想は生まれてきたのか」

    窒息しそうなくらいの共同体の網の目が、逆に安心感を作ってきた。
    それが崩壊したとき、共同体の網の目の代わりに台頭してきたのが「ゼロリスク幻想」

    脅迫的と言えるほど安心を外部に求め、各々自分にその責任があるとは決して考えない。
    自分に害があっても外部が安全といえばそれでよし、本当は安全でも外部が危険といえば騒ぐ。
    当事者として真実を叫ぶ者には、容赦なく攻撃する。

    ジョージ・オーウェル『1984年』、ザミャーチン『われら』、伊藤計劃『ハーモニー』などのデストピア小説を連想せずにはいられない。
    「善」や「安全」を追求しようとするあまり、管理が行き過ぎた社会。

    「ゼロリスク幻想」という社会システムと、それに適応するための「マイノリティ憑依」。これらによって創りだされた「私は痛みを感じない」という嘘。

    しかし、真に当事者としての行動を取るならば、偽善者からの攻撃からの痛みは避けられない。

    それでも、この本を手にした人たちが、保身的に痛みを避けるマイノリティ憑依ではなく、痛み覚悟、負け戦覚悟で当事者であり続けようとすることを願う。

    そして、この感想を書いている私自身、苦しみの中にあっても当事者で在り続けられるようにと。

    私は『当事者の時代』は読み始めた当初から、伊藤計劃の『ハーモニー』がタブった。
    マイノリティ憑依が、自分を管理するために体内にインストールした「WatchMe」の様に思えてならなかったからだ。
    そしてゼロリスク幻想は、人々が管理を委ねた「生府」といったところだろうか。
    『ハーモニー』では、最後、人類は自由意志さえ放棄して安全に管理されることを選んでしまう。

    マイノリティ憑依とゼロリスク幻想を選んだ人間がそうなる前に、「当事者性を取り戻せ」と佐々木俊尚氏が言っているかのようである。

  • これ以前の「キュレーションの時代」や「グーグル」などはとても素晴らしい本だったので、期待して電子書籍版で購入。
    端的に感想を言うと、この本に関しては若干がっかりした。

    前半の警察の夜回りや在日を巡る話などは、私自身が在日であり、新聞記者だった経験もあることからとても面白かったり、納得したり、いろいろと思うところがあったりして楽しく読めた。
    ただ、中盤からの話の展開は、過去の事例を引くことに注力しすぎていて中だるみした感があり、挫折しそうになった。

    そして、<マイノリティ憑依>といった現象は、今のネットの状況を見たりマスメディアの報道を考えると、実際にあるといえるのだろうけれど、それを受けての最終的な結論が「自分の視座でとにかく戦い続けるしかない」というのは何ともさびしい限り。
    これでは、文中で本人が否定的に取り上げていたはずの、高田昌幸さんの、「足元の世界とそこから見える社会と世界のありようを活写する」という引用がそのまま結論になってしまう。

    本書に書かれている、これまでのマスメディアに対する、特定の弱者にスポットを強くあてることで社会のひずみを取り上げるような記事の作り方に対する批判は、とても当たっているし、そうした「注目を集めればよい」的な手法は直されるべきところだとは思う。けれど、「当事者が当事者の立場でしか発言できない」となると、職業ジャーナリストは存在しえなくなってしまうし、様々な理由で自分で言葉を発信することが難しい人たちは何も発言できなくなってしまう。

    個人的には、マイノリティの人たちに憑依するのではなく、マイノリティの人たちに寄り添ってその考え方や生活をすくい上げて広く知らせるような、世の中の様々な出来事を取材して第三者的な視点で発信する職業ジャーナリストはまだまだ必要だと思う。
    これまでの本のように、もう少し、しっかりとした未来像を描いてもらいたかったという点で、残念だった。

  • やっと読み終えた。

    言いたいことはわかるし、賛同する、それどころか俺も同じようなことを言いたい。俺は心理学者なので、言葉が違ってくるだろうけど。

    いずれにせよ、多くの人に読んで考えてもらいたい。
    特に、今ネットでマイノリティ憑依しまくっている人たちに。

  • まだ読み始めたばかり。期待を込めて(^_^)

  • 本書から『当事者に光を当て、理解する』ことの大切さを感じた、。

    アイヌの人達や在日の歩んできた試練と苦難。
    そして、アメリカにおける人種差別の歴史。
    (アメリカの歴史上、人種差別は黒人だけが受けていたものではなかった。)

    差別や偏見も含め、それらの苦難は、経験した者にしか分からない、
    ―つまり、当事者の苦しみは当事者にしか分からない―
    当事者でない人は、彼らの気持ちを理解したいと願い、その願いを叶えた人達の中には、そこから得た事柄を自分の人生の糧にする、または、ミッションにする人もいる。

    でも、実際に経験した人に学んだり調べたりしても、学んだ事は経験に勝らない。

    著者は、映画『ジャズシンガー』の主演俳優の生い立ちや、アメリカの歴史を通して、アングロサクソン以外の白人達も差別される可能性があった事、アイルランド系やユダヤ系の移民が自分達を守るため(差別を免れるため)、黒人を利用した事を記し、そうした『マイノリティー憑依』について説明する。

    スクープを得るために当事者を利用してきたメディア、自己防衛するために黒人を利用した白人達、自分達のキャンペーンや革命のために弱者を利用した革命家達。
    そして当事者の苦悩を理解せず、利用したメディアやエンターテイメントの歴史と社会…。

    当事者には自身の被った経験を伝える力を持っている。
    それは、アウトサイダーに出来て、インサイダーには出来ない事かも知れない。

    『キュレーションの時代』ではアウトサイダーやマイノリティーの活動に光を当て、彼らの幸福を願う事、その希望と必要性も説明していた。そのためには援助者や支援も必要だが、当事者も自分達にしか出来ない事を社会に伝える必要もあるとの著者の旨を理解できる。

    著者は社会で話題にされにくい人達とその存在を世に紹介したい―その思いが『電子書籍の衝撃』にも伺える気がする。

    アウトサイダーはインサイダーにはなれないかもしれない。
    でも、彼らを知り、理解する事は大切。
    佐々木氏の著書を読まれた方達は彼の気持ちを行動に移す責任がsるのではないだろうか。

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著者プロフィール

佐々木 俊尚(ささき としなお)
1961年生まれ、兵庫県出身。早稲田大学政治経済学部政治学科中退後、1988年毎日新聞社入社。記者として勤めたあと、1999年『月刊アスキー』の編集部デスクに転身。2003年退職後、主にIT分野やメディア業界に関わるフリージャーナリストとして活躍。大学非常勤講師なども担当している。
代表作として、2010年度大川出版賞を受賞した『電子書籍の衝撃 -本はいかに崩壊し、いかに復活するか?』、『キュレーションの時代』など。近年は『家めしこそ、最高のごちそうである。』といった自宅料理についての著作もある。

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