私はこの作品を読んで明治から大正にかけての文化や空気感を多く感じ取れた。まず、鹿鳴館で舞踏会が開かれていることは明治時代を代表するイベントだっただろう。華やかな舞踏会の様子が事細かに描かれているのも特徴的だと思った。主人公の明子が着ているドレスの美しさだったり、上流階級の者たちが集まっている時特有の雰囲気、鹿鳴館の内装や飾りつけの仕方だったりと随所に散りばめられている。私はこれを芥川龍之介作品の特徴の一つだと思った。また、登場人物の心情の変化に沿って上記のものが描かれていることも多い印象だ。主人公が舞踏会の時間を共に過ごす相手である、フランスの海軍将校も異国情緒が本格的に表れてきた明治の世の中の特徴として書かれている。
海軍将校と過ごしていくうちに最初は謙虚に見えていた明子が、実は結構積極的に海軍将校と関わっていく場面がある。その場面の中で「舞踏会は何処でも同じことです。」と彼がいう。私はこの部分に引っ掛かりを覚えた。華やかな舞踏会の中でこのようなことを言うのは珍しいからだ。おそらくここは芥川龍之介の厭世的な要素に相当すると思う。舞踏会の華やかさと相反するような表現方法によって、より厭世的な一面が際立っているようにも感じた。この部分は当時様々な海外の文化を取り入れて勢いを増していた日本に「どこに行っても現実は同じ」と言っているようにも感じた。一種の警告のようなものだったのかもしれない。その後、二人が花火を見る場面に切り替わる。ここでも哀愁漂う雰囲気の将校の一言に引き込まれた。「私は花火の事を考えてゐたのです。我々の生(ヴィ)のような花火の事を」だ。花火は打ち上げられ、綺麗な大輪の花を咲かす。しかし、その後はすぐに消え失せてしまう。これは人間や社会の様相を表しているように思う。当時の世の中は華やかだけれどもそれが廃れるときは必ずやってくる。そのもの悲しさがここではうまく表現されていると感じた。ラストシーンは大正に移り変わるがここでも一貫してどこか悲しげな雰囲気があった。