地獄変 [青空文庫]

著者 :
  • 青空文庫
  • 新字旧仮名
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感想 : 9
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  • 本書は芥川龍之介の短編小説である。説話集『宇治拾遺物語』の「絵仏師良秀」を基に芸術至上主義を題材にした、芥川が独自に創作したものである。芸術至上主義とは、社会的思想・倫理など世の中の一切のことに縛られず、ただ美を追求するための芸術である。いわば「芸術のための芸術」を理念に掲げている。
    平安時代、絵仏師の良秀は、天才的な腕を持っていた。しかし、気難しい性格と、狂人じみた言動をする老人として知られていた。彼には娘がいて、同じ屋敷にいる。大殿は娘の美しさに惹かれているが、良秀はそれが不服である。娘もまた、殿の気持ちを受け入れられなかった。ある日、良秀は「地獄変」の屏風を描くよう、殿に命じられる。彼は「実際に見たもの」しか描けないので、弟子をフクロウにつつかせるなど、狂人じみたことをしながら制作した。そして、彼はその絵に「燃え上がる牛舎の中で焼け死ぬ女の姿」を描き加えたく、殿にその様子を再現して欲しいと頼む。難しい願いではあったものの、殿は承諾する。後日、良秀の願いが叶えられる日、焼かれる牛車の中にいたのは、溺愛していた良秀の一人娘だった。娘が業火に焼かれるという地獄を見た良秀は、その一ヶ月後に見事な地獄変の屏風を完成させた。そして、その次の夜、自宅で自ら首を吊って死んだ。芸術家としての作者自身の覚悟を表明した作品であり、最後には良秀を自殺させている。良秀とは、まさしく芸術至上主義を体現した存在である。
    本作には、良秀が見た夢と娘を襲った犯人について、2つの謎がある。

    ある時、良秀は悪夢に襲われて、寝言を漏らす。
    「なに、己に来いと云ふのだな。―どこへ―どこへ来いと?
    奈落へ来い。炎熱地獄へ来い。
    ―誰だ。さふ云ふ貴様は。―貴様は誰だ―誰だと思つたら

    1つ目の謎は、「貴様」の正体である。そして、なぜ娘が炎熱地獄で待っているのか。良秀が炎熱地獄の中にいる娘を見たのは、この物語の悲劇的な結末が現実で起こると予期していたと考えられる。つまり、「貴様」とは2人が悲しい運命に引き込まれるきっかけをつくった、大殿であると考える。
    2つ目の謎は、最後の場面での「足音」の正体である。娘が何者かに襲われる場面で、部屋の中で彼女は乱暴され、「私(語り手)」が様子を見に行くと、もうひとりの足音が逃げていった。この足音の正体が明かされていない。この場面で大殿が娘に言い寄っていた。つまり、「足音」とは娘に受け入れてもらえなかった、大殿であると考える。
    本書は、「芸術の完成のためにはどんな犠牲でもはらう」という執念、善悪を通り越した人間の姿が描かれている。魅了されて美しいと感じるか、また良秀を愚かだと思うかを読者に問いかけることで、芥川は芸術至上主義の魅力を私たちに伝えているのだと思う。

    【引用】
    ・海老井英次,日本大百科全書(ニッポニカ) ,Japan Knowledge Lib,https://japanknowledge-com.ezp.seisen-u.ac.jp/lib/display/?lid=1001000103666 (閲覧日:2021年7月11日)
    ・potari,「地獄変の概要」,『『地獄変』に見る芸術至上主義の極致』,https://potari.jp/2020/06/4918/,(閲覧日:2021年7月17日)

    ・「第10章 大正ヌーベルバーグ 3.芥川龍之介と毎日新聞」,『毎日新聞』,[上巻/617ページ],
    https://dbs-g-search-or-jp.ezp.seisen-u.ac.jp/WMAI/syashi/shashi_item.php?id=080211003&keyword=%92n%8D%96%95%CF,毎索,(閲覧日:2021年7月18日)

  • 今まで芥川龍之介の作品は数多く読んできたが、ダントツトップで狂気的な作品だと感じた。恐ろしいとかでは表せないような、なんというか芥川龍之介の世界観に自分がに飲み込まれてしまいそうな気がした。
    サルは良秀の分身のような存在ではないかと感じた。娘が牛舎の中で燃えているその時に良秀が選んだのは自分の絵を描くという芸術家としての存在を選んだが、その後自殺を選んだことからも想像できるがきっと娘を助けたいという気持ち、親としての存在もあったはずだ。良秀は親としての存在を選ばなかったが、サルは良秀の娘を助けようとした。そのため、サルは良秀の親として娘を愛する存在を表す象徴になっていたのだと思う。

    にしても絵を描くために命を犠牲にしようとしたことには変わらないから良秀が良い人だとは到底思えない。自分の父親が良秀のように才能に優れていたとしても自分の娘の命を犠牲にできる人であったら悲しいなんて言葉では表せないくらいの気持ちだ。

  • この『地獄変』は、1918年から大阪毎日新聞で掲載されていた短編小説であり、宇治拾遺物語の「絵仏師良秀」がもとになっている。
    時は平安、天才的な腕前を持っていた絵仏師の良秀は、気難しい性格と狂人じみた言動が知られていた。彼には娘がおり、彼女だけには心を許していた。大殿様は娘の美しさに惚れますが、良秀は不服で、娘も大殿様の気持ちを受け取りはしなかった。ある日良秀は、大殿様から「地獄変」の屏風を描くように命じられる。彼は実際に見たものしか描けないので、弟子をフクロウにつつかせるなど、狂気じみたことをしながら制作した。しかし絵の最後の最後で筆が止まった。「燃え上がる牛舎の中で焼け死ぬ女」が描きたかったのだ。
    その再現を頼まれた大殿様が行ったことが、良秀に大きな衝撃を与える。

     以上のあらすじにも感じられるように、この物語は最初から終盤にかけてむごさが増していく。しかし、その予感を感じさせる場面があらかじめあったように私は感じる。作品を書いている途中、良秀は悪夢に襲われて寝言を漏らす。「――だから来い。奈落へ来い。奈落にはー-己の娘が待てゐる。」とある。この時点では、娘がなぜ奈落で待っているのかさっぱりわからない。しかし、物語の最後の最後でこの夢の意味が分かる。彼が見たこの夢は、ストーリーの悲劇的な結末の予知夢や伏線的なものだったのかもしれないと考えた。
     また、この「地獄変」には、芥川の作品に対する特別な思いれがあるように感じる。「地獄変」は芥川の作品の中でも中期に書かれたものであり、このころは芸術至上主義的な作品をよく書いている。また同様に、「地獄変」の主人公である良秀も、作品を書くためならばどんなことでもする、狂気的な性格が描かれている。そして何より、良秀は最後に自殺をする。これらを踏まえると、芥川は良秀にこのころの自分自身を重ねていたのではないかと思う。芥川は中期までは芸術至上主義を目指していたが、後半に入ると、健康や衰え、時代の動向に促されて、現実を描く方向に向かっている。この作品には、中期までの彼の作品に対する芸術感が投影されているのではないだろうか。

  • 私はこの話を読んだ時にまず、衝撃を受けた。元々漫画やアニメを読むのが趣味であり、グロテスクな描写やバットエンドの話は数多く見てきたが、この話はその中でもトップに入るほどの狂気みをかんじた。良秀は絵を描く才能は間違いなくあり、それは大殿も認めるものであった。しかし彼は見たものしか書けない。これは絵師として大きな欠点であるなと感じた。また、大殿はそのことを知っていて良秀に地獄変の絵を描くよう依頼したとしたら本篇では地獄を見るために酷いことをする良秀が狂人扱いをされているが、大殿こそ狂人であると思った。大殿は良秀の娘をとても気に入っていたが、良秀に自身しつこく返すよう言いよられていた。しかし気に入っていた良秀の娘を良秀の目の前で焼き殺すのは自分の願望以上に良秀への恨みつらみが勝ったということであるのか?そこはまた考え深いところである。また、最後の「如何に一芸一能に秀でようとも、人として五常を弁えねば、地獄に堕ちる外はない」という一節についてだが、どんなに才能がある人でも人としてちゃんとしていなければ地獄に堕ちるのだ。という考えがとても興味深く感じた。芥川龍之介の作品の中でも1番狂気じみた作品であると思う。

  • 人から好かれていない画家が主人公の話
    まあまあ面白かった

  • 天才と狂気については、しばしば並べて語られる。それは古代ギリシャの時代から論じられていることであり、アリストテレスは「多少の狂気が混合されていない天才はいない」という言葉を残している。



    では、この『地獄変』の主要人物・良秀はどうだろうか。時は平安、彼は高名な絵仏師で、大殿から「地獄変相図」(以下、「地獄変」)を描くよう命じられる。気難しい性格と狂人じみた言動で知られており、己が見たものしか描けない良秀は、「地獄変」制作にあたっても弟子を鎖で縛る、フクロウに襲わせるなどしていた。



    絵も完成に差し掛かってきた頃、良秀は絵を描くために「牛車が燃えるところが見たい」と大殿に依頼する。大殿は、「美しい女を乗せた牛車を焼く」と応えるが、牛車に乗せられていたのは良秀が尋常では無く可愛がっている娘であったのだ。

    ここからの描写が、良秀を「狂気の天才」たらしめている。彼は娘が炎に悶え苦しむ様に絶望するも、やがてそれは恍惚の表情へと転じていく。芸術の為ならば、一等大切な娘であっても犠牲にしてしまえたのである。数日後、見事な「地獄変」を描ききってみせた彼は首を吊ることを選んだ。



    この良秀の姿に、私は創造性の持つ狂気を感じた。善悪すら超越し、己の中の芸術に向き合う姿を魅力的に思うか、または愚かしいと感じるかは、読者に委ねられている。

  • 地獄変は、芥川龍之介が説話集『宇治拾遺物語』の「絵仏師良秀」を基に、執筆した短編小説である。本編は、平安時代の絵仏詩の良秀が「地獄変」の屏風を書くように命じられて書く話であり、この作品は、多くの人々に親しまれている。

    この小説を読み終わった後は、とてもすっきりしない。良秀は、娘の死と引き換えに「地獄変」を書き上げた後、首を吊って自殺を吊って自殺してしまう。自殺をしてしまうという少し残酷な話になっているが、娘の事を本当に愛していたことが感じられる作品だった。

  • 地獄変の屏風を完成させるためなら、自分の大切な娘さえも見殺しにしてしまう良秀は狂気的だと感じた。

  • 本を読んで、読まなかった方が良かった、
    という後悔をしたことは、滅多になかったが、
    この本に関しては、その思いを強くした。

    恐るべし、芥川龍之介。
    青空文庫で「河童」も読んだが、
    もう異次元のレベルが違い過ぎて、
    読後感は、気分が悪くなるほどだった。

    こういった「作品」を、
    「高尚」と呼びたければ、呼んだらいいだろう。
    私は、芸術だろうがなんだろうが、
    こういった人間の狂気の世界を肯定は出来ない。

    そういった意味では、わたしは「凡人」で、
    結構と思った。

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