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感想・レビュー・書評
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一人の女性を書くのにどれだけのページを割いているのだろう。その人「葉子」は一人称の「私」として書くこともできそうだ。そんな彼女の容姿、考え方、人生観に特化して展開する物語で、読む側としては退屈である。登場人物もすべて彼女のフィルターを通して描かれたキャラクターで、魅力に欠ける。そもそも私はこの「葉子」が嫌いである。わざわざ人を試すようなことをして陰で笑う、その品のなさにあきれてしまう。身近にこんな人物がいたら疲れそうだ。
登場人物にはモデルもいるとのことで、この小説を発表したときに物議をかもさなかったのだろうかと、今更ながら思ってしまう。登場人物たちについて魅力に欠ける、なんて言っておきながら先が読みたくなるのは、この先それぞれがどんな人生を歩むのかに興味津々だからだ。スキャンダラスな展開に興味を持つ者がいるのは今も昔も同じなのかもしれない。後編も楽しみ!詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
明治・大正時代の作品を読んでいると、ほんとにこんな人いるのかな・・・と思うことが多々あります。本作の主人公お葉さんもその一人です。女には大体こういう面があることはあるけども、ちょっと極端すぎる気がします(笑)。
彼女は26歳にして経験豊富でありますが、そこからは学ばない。瞬間瞬間に生きる人です。ボーダーラインと言われればそうかもしれません。けれども書いてあることだけでボーダーラインという診断をつけることもできない。それだけではないような、複雑なキャラクターだと思います。複数のモデルがいるのかもわからないですね。
彼女の癖のある人格を丸ごと受け止められる男に一瞬でもめぐり合えたことも羨ましいことです。なかなかそう包容力のある男性も実際にはいませんので。
どなたの人生も、どうすれば正しいっていうことはない。自分が正しいと思うことを、思う通りに進んでいかなくてはならない。転んだら、膝の砂を自分で払って起き上らなくてはならない。これは、時代が進んだ今になってもその通りではないかと思います。 -
私は本当にぐうたらで、名作と呼ばれる古典の数々をほとんど読んでいない。昔の本は読んでて疲れるんだもん。森鴎外の「舞姫」(高校の教科書に載ってた)、与謝野晶子翻訳の「源氏物語」(なぜか家にあった)、あとは「小僧の神様」by志賀直哉くらいしか覚えてない。夏目漱石はとりわけ駄目で、読んでいると息が詰まってイライラしてしまう。後は三島由紀夫の軽いエンタメものがいけるくらい→夜会服はいいけど金閣寺は嫌っていう。つまり、甚だ不勉強なのであります。
そんな私なのに、最も愛する小説はこの『或る女』なのだ。初めて読んだとき、有島武郎ってゲイだったのかしら?と思った(実際は人妻とのドロドロ情死で亡くなっています)。それくらい、女という生きものについて、裏表きっぱりと描き切っている。「一房の葡萄」を書いた人とは、なかなか思えないくらい。
主人公・葉子は万事について要領が良く、頭の回転が速く、人心を把握する魅力(チャーミング)を備えた女である。かつ超絶美人なのである。彼女は軽蔑せずに済む、自分より優れている(と感じる)男をいつでも探している。見つければ全力でとりこにする。しかし相手が自分に夢中になると、またはみっともない面を目にすると、すぐ嫌になって逃げ出す。その逃げ出し方もエキセントリックで毎回大事になるのだが(他に男作るやら何やら)、美貌と恐ろしいほどの要領の良さで、何とか世を渡っていってしまう。そこが葉子のすごい所で、最も悲しい面でもある。
どんな男に愛されても何人子どもを産んでも、葉子は学習できない。自分以外の人間も傷つき、苦しみ、精一杯生きているんだということを。彼女は自分をかつぐ(もしくは叩き落す)人形達としてしか、他者を認識しないのだ。だから一生悲劇のヒロインだし、年をとって表面的な美しさが減ってくると、どうどう巡りの袋小路から出られなくなる。そうした愚かな不遜さがカワイらしい、女として素晴らしいと言われれば、まあそれまでなのだけれど。
どのような方向であれ女性が賢さを極めていくと、「他者を軽蔑する」傾向に向かう気がする。男性をかどかわし踏み台にしていける女なら尚更そうで、女性の魅力って、結局『女王様』に行き着くんでしょうか…?としみじみしてしまう。逆に才覚のある男性は、突き詰めると「他者に無関心」となるような。
著者プロフィール
有島武郎の作品





