一房の葡萄 [青空文庫]

  • 青空文庫 (1999年2月13日発売)
  • 新字新仮名
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青空文庫 ・電子書籍

感想・レビュー・書評

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  • この作品を読み、自身が小学生ころのまだ自分の欲望にとても正直に生きていて、しかしその分大人に叱られながら育ってきたなという思い出がよみがえりました。この作品の主人公は絵を描くことが好きな今でいう小学生位の少年です。本編の各所に思春期特有の心情や気持ちの浮き沈みが見られ、どんな人が見ても自身も一度は経験した覚えがあるものではないかと思います。明治・大正時代の作者で舞台が横浜ということもあり、軍艦や外国の製品を主人公がもの珍しく感じている描写や外国の方を西洋人と描写するなど歴史を感じさせる部分がありそういった箇所から今との感覚の違いも楽しめるポイントです。主人公の行動に対する担任の先生の反省に促す流れがとても綺麗で、主人公が元々先生を慕っていたこともあり、自身の行動を振り返り反省するまでにこの先生は大声で叱るなどはせず主人公に自身の行動についてどう思っているかを聞くだけで叱り強制的に反省させるのではなく、主人公自身で反省するようにしていることがとても良い先生に映りました。

  • 有島武郎による初の童話作品。

    この作品は、幼少期にありがちな嫉妬心や劣等感、罪を犯してしまったことへの恐怖・罪悪感が非常によく表現されている作品だと思います。
    特に「僕」が四面楚歌状態になってしまうシーンでは、読んでいる私までもが断罪されているような気分になりました。

    また、私がかなり驚かされたのは「もう先生に抱かれたまま死んでしまいたいような心持ちになってしまいました。」という僕のセリフ。子供とは思えないセリフに少しゾクッとしました。この作品は有島武郎の子供時代に基づくものであるとのことでしたが、有島武郎は子供時代このようなことを思っていたのでしょうか…。気になりました。

    そして、女性教師対応は「赦すこと」について深く考えさせられました。「僕」や「ジム」への対応は非常に素敵だな・すごいなと感じる部分が多くありました。

    また、人のものを盗んだ「僕」という生徒を「怒る」のではなく「諭している」と感じました。
    私であれば、「どうして盗んでしまったのか」といった「理由」を聞いてしまうと思うのですが、この先生は「絵具を返したのか」「自分がしたことは嫌なことであったと思っているのか」といった諭すような発言をしていました。
    加えて、「僕」が「そんないやな奴やつだということをどうしても僕の好きな先生に知られるのがつらかった」と思っていたところから、この先生が理由を聞かなかったおかげで、「僕」の心が守られたように感じました。

    奥が深い素敵な作品であり、ちょっとした空き時間で読めるため、お勧めです。

  • 1. 作者有島武郎
    生年、没年:1878~1923年
    本名:有島武郎
    経歴:学習院中等科卒業後、農学者を志して北海道の札幌農学校に進学、洗礼を受ける。 1903年に渡米。 ハバフォード大学大学院を経て、ハーバード大学で1年ほど歴史、経済学を学ぶ。 帰国後、志賀直哉や武者小路実篤らと共に同人「白樺」に参加する。
    ほかの作品:カインの末裔、生まれ出づる悩み、或る女
    特徴:文章からは繊細な人物描写や優しさ、読んだだけで情景が浮かび上がるような言い回しが特徴
    ●作品の
    「一房の葡萄」は、有島が書いた最初の創作童話、横浜英和学校(現横浜英和学院)での自身の体験に基づいている
    単行本『一房の葡萄』は、有島が生前に残した唯一の創作童話集であり、全4篇中、本作を含む3篇が有島の幼少期の体験に基づくものである。有島が自ら装幀、挿画を手がけ、自分の3人の子供達に献辞が捧げられている。
    ●主な登場人物
    僕 絵を描くことが好きな少年
    先生 僕のあこがれの若い女の先生
    ジム 僕の2個上の西洋人の友達
         
    2. この作品のキーワードの一つとして「赦し」があると思う。絵具絵を持ちだし後ろめたさでいっぱいの僕にとってきっと学校に行くことはきっと負の気持ちであふれていたと想像する。しかし、そこで先生に「明日はどんなことがあっても学校に来なければいけませんよ」と言われることによっていきやすくなり、そしてジムと二人で駆け寄ってきてくれたことで僕は安心感と同時に赦された気になったのだろうと考察する。起きてしまったことは良くも悪くもなかったことにはならない。難しくても受け入れて生きていくしか他ならないのだ。そんな時、赦され寄り添われることは失敗から立ち直るための唯一の正攻法なのかもしれない。
     そして興味深い点について最後先生から僕に渡された「粉をふいた葡萄」がある。私が想像する葡萄ははちはちとした皮を持つみずみずしい果物で、ぱさぱさした粉を被ったイメージは無縁である。これは有島武郎の持つ描写の美しさの特徴だと考える。ぱさぱさした葡萄は身近なものではないが、容易に想像することができた。この独特な言い回しも物語を楽しむひとつなのだと思う。

  • 先生はいったい、ジムにどんな話をしたのでしょうか。あの子は盗みをはたらいてしまったけれどどうか許してあげて、なんて単純な話では納得しないでしょうね。主人公は良心の呵責はあるにせよ、苦労もなくすんなり受け入れられるとは、まるで魔法の世界みたいです。非現実的な話ですが、こんな世界があったらいいなあ、なんて一瞬考えてしまいました。

  •  ここに登場する人々はみんないい人です。語り手はクラスメイトの絵の具を取ったことについて良心の呵責を感じ、それを発見したクラスメイト達は乱暴もせず暴言も吐かずに許してくれます。そして先生は性善説に立って問題を解決します。ファンタジーの世界です。
     私も幼い頃からこんな善男善女ばかり登場するファンタジーな読み物ばかり読んで無菌状態のすっかり甘いスイートちゃんになっていました。
     そして現実の学校の雑菌やばい菌がウヨウヨする汚れた人間関係に対応できず、精神を病んで人生から転落してしまったのです。あまり美しい物語ばかり読むのも考えものです。

      
     しかし善男善女ばかり通っている学校らしく、先生は個室を持っているようです。まるで大学の教授並みの待遇ですね。一般庶民が通う学校のような職員室ではありません。個室でなく職員室だったら、もっと展開が違っていたでしょう。
     窓から葡萄が取れるとはなかなか優雅ですが、葡萄とはそんなに簡単になるものでしょうか。かなり手間がかかって農薬も使うというイメージなのですが。

     
     そして先生やジムのその後はどうなったのでしょうか。
       http://d.hatena.ne.jp/nazegaku/20171107/p1

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著者プロフィール

1878年、東京生まれ。札幌農学校卒業。アメリカ留学を経て、東北帝国大学農科大学(札幌)で教鞭をとるほか、勤労青少年への教育など社会活動にも取り組む。この時期、雑誌『白樺』同人となり、小説や美術評論などを発表。
大学退職後、東京を拠点に執筆活動に専念。1917年、北海道ニセコを舞台とした小説『カインの末裔』が出世作となる。以降、『生れ出づる悩み』『或る女』などで大正期の文壇において人気作家となる。
1922年、現在のニセコに所有した農場を「相互扶助」の精神に基づき無償解放。1923年、軽井沢で自ら命を絶つ。

「2024年 『一房の葡萄』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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