- 青空文庫 ・電子書籍
感想・レビュー・書評
-
詳細をみるコメント0件をすべて表示
-
小説批評講座の課題で読んだ。イスカリオテのユダがイエスの処刑を訴える独白。遠藤周作氏はイエスの孤独をもっとも理解していたのはユダだと言うが、それが最も感じられる。ユダもまた孤独なのだ。
-
昭和時代の小説家、太宰治により1940年「中央公論2月号」にて出された作品。イスカリオテのユダを主人公とした視点で、イエス・キリストに対してどういう感情を持っていたのかを述べるという形式を取っている。太宰流の一人語りで物語が進む。面白いと思った点が主に3つある。1つ目に、物語が太宰流の1人の視点のみで語られるため、感情の変化や乱れが目まぐるしく見られる。その変化や乱れを追うのが面白い。乱れの一つとして、語り手の感情描写の中に「愛と憎しみ」「期待と失望」「信頼と疑い」のような同じ人間のうちに相反する感情が描かれている。そのアンビバレントが面白い。2つ目に、キリスト教の優しさとユダの卑しさや、悪の対比が面白い。太宰治は「姥捨」において「ユダの悪が強ければ強いほど、キリストのやさしさの光が増す」と記している。その通り、ユダが卑しくなるにつれてキリストの素晴らしさが目立つ。その対比が面白い。語り手の卑しさの一つとして、語り手は主に自分がどう思われているかによって主に対して抱く感情が変わるというのがある。ユダはキリスト教を愛しているといっておきながら、キリスト教に失望されたとき簡単に感情が変わる。主が足を洗ってくれたとき、「あなたはいつでも正しかった、優しかった、貧しい者の味方だった」というのに、その後自分の裏切りがばれ、主に嫌われているとわかった瞬間に主を「意地悪」といって売る。このように主の評価によって主をどう思うかがコロコロ変わる。このような部分でユダの芯のなさや、中途半端な忠誠心、承認欲求などの醜い部分が描かれている。この部分を読んだうえでキリスト教と対比すると違いが露骨で面白い。
3つ目にギリギリで手が届かないようなもどかしさ、予想と異なる展開が面白い。語り手が主に求めている言葉と実際に主がいう言葉にズレがあったり、語り手が完全に改心し上手くいくと思ったら主が語り手を触発するようなことをいってしまったり、「それをいわなかったら上手くいったのに」という部分が多く、ギリギリのところで手が届かないもどかしさを感じた。それと同時に、今度は上手くいくかと思ったらだめでの繰り返しなので何度も自分の予想を外す展開になるのが、読んでいて飽きることがなく面白いと感じた。 -
人間関係のあるあるを感じた。
-
ヨーロッパ文化論の課題で読んだものだが、やはり太宰治の本は難しかった。愛憎に悩むユダのお話なのだが、一回読んだだけでは自分にはよくわからなかった。課題のレポートは大丈夫だろうか。
おすすめ度:
★★★☆☆
あぶらむし(海洋政策文化学科) -
ユダの情緒が不安定