『花燭』は、なにもせず、同じような境遇の仲間を家に招き酒を交わしている主人公の「男爵」と呼ばれる男が、かつて田舎の自分の家で女中をしていた「とみ」と出会い、心境が変化していく物語である。
物語序盤、男爵について「北国の地主のせがれに過ぎない。ここの男は、その学生時代、二、三の目立った事業を為した。恋愛と、酒と、それから或る種の政治運動。」と紹介される。ここより、家族構成や生まれ、経歴などから、男爵は太宰自身を非常に強く反映したキャラクターであることが推察できる。
また、男爵は自分自身について「多人数の大家族の間に育った子供にありがちな、自分ひとりを余計者と思い込み、もっぱら自分を軽んじて、甲斐ない命の捨てどころを大あわてにあわてて捜しまわっているというような傾向」があるとも語る。これは、太宰の他作品や多くに語られる太宰の人となりと重なることから、太宰が自身を非常に客観視し、男爵に反映させていると捉えられるだろう。
私が最も惹かれたのは、物語終盤、男爵がとみの弟に言われたセリフの中にある、次の一節だ。
「ひとのことより、まずご自分の救済をして下さい。そうして僕たちに見せて下さい。目立たないことであっても、僕たちは尊敬します。」
自分を顧みず、無意識に蔑ろにしてしまう男爵は、とみへの思いすらも自分基準に語ることは出来無いのであった。そんな男爵に対して、自分を救うように語りかける弟の姿はとても力強く感じた。とみのためを思い男爵をけしかける弟は非常に心強く、また、すれ違いつつもお互いへの思いを自覚しているとみと男爵は大変に愛らしい。
男爵が、太宰自身を客観視し、かつ人柄を色濃く反映した作品であると考えたうえで、このセリフに着目することで、わたしは太宰の当時の心境について考察したくなった。恐らく、彼自身も己の鬱屈とした心境を救うには、「自分の救済」を「自分で」しなくてはならないことを理解していたのではないだろうか。しかし太宰は、この作品を発表した9年後に愛人と入水自殺をしてしまう。『花燭』は非常に読みやすい短編であり、太宰の作品の中では非常に爽やかな読後感を味わえる作品である上に、男爵というキャラクターの在り方より太宰治を知る上での入門編的な立ち位置としても勧められるのではないかとも思う。しかし太宰の人生の顛末を想起すると、その爽やかさとは相反して非常に切なく、苦い思いが重なる。比較的マイナーな短編であるが、太宰への知識の有無を問わず、多くの人に読んでほしいと感じられる作品だった。