風の又三郎 [青空文庫]

  • 青空文庫 (1998年11月5日発売)
  • 新字新仮名
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感想・レビュー・書評

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  • 又三郎との出会いは夢の中の出来事か、それとも実際か?と読み進めた。
    どうやら、又三郎はリアルだったよう。
    岩手の田舎の素朴な少年たちの日常。

  • 9月1日の朝、山奥の小学校分教場にやってきた転校生高田三郎を、村童たちは風の神の子供「風の又三郎」ではないかと疑い恐れる。
    授業風景や、日曜に上の野原へ遊びに行き、逃げた馬を追って道に迷う冒険、放課後のブドウ取りや水泳と、日を追ってエピソードが進行する。
    そのうちに、子供たちの気持ちは、高田三郎を又三郎とみる嘉助と、そうでないとみる一郎の間で揺れ動くが、三郎はまもなく去ってしまう。
    本書では方言が多用されており、それが作品の味になっている。
    主人公の三郎は、他の子どもから「風の神の子」ではないかと言われているが、そうした背景がありつつも、本書では主人公は高田三郎という子どもであり、明らかに風の神であるという描写はない。
    このどちらか分からないという状況が、村の子どもたちに不思議な印象を与えているのだろうか。
    はたまた、どちらとも取りがたい揺らぐ存在を通して、民話の芽を作り上げているのだろうか。
    自然とともに息づくような表現によって地方色豊かに造型された少年文学の傑作である。

  • 転校生の高田三郎が、ほんの少しの期間、学校の仲間と遊んだ様子を描いた作品。偶然だろうが、彼は風と縁があるところから「風の又三郎」なんていうあだ名をつけられてしまう。こども世界も厳しい。仲間に入ろうとする三郎のぎこちなさや、違和感をぬぐい切れない子どもたちの様子に、時として切なさを感じた。まるで異邦人のように描かれている三郎が、ちょっと気の毒になる。ほとんど土地の者の視線で描かれた物語。三郎目線で描いたらどういう描写になっただろう。よそ者というのは本当に大変だ…と実感してしまった。

  • 子供の頃は見向きもしなかった宮沢賢治の世界に、大人になってから興味を持ち始めました。
    忙しい現代社会を生きる私にとって、自然の中でのびのびと生きている子供たちの物語が、ひと時の癒しになりました。

  • 子どもの頃、田舎で遊んだ様子が思い出され、懐かしい気持ち。
     この作品は有名だし、ずいぶん前に読んだことがあると思っていたものの、KOBOの無料配布で改めて読んでみたが、全く新しく読んだという印象です。
     ある日突然教室にやってきた少年。その子が何かやったら雨風が起こると言うことから、「風の又三郎」と呼ばれるようになった。お父さんの転勤で田舎の学校に転校してきたのです。やがてみんなに溶け込んでいくが何をやっても格好良い子のようです。
     描かれた学校は生徒数も少なく、一つのクラスに全学年が一緒だ。先生が各学年の生徒に課題を示していく様子が描かれている。今では考えられないような牧歌的ではあるが暖かい教室の風景だ。川遊びの様子、牧場で馬追をして道を見失い途方に暮れる様子など、昔の田舎の子ども達を取り巻く自然や人間関係を無邪気なはじけるような子どもの目線で描写されているようで、やっぱりすばらしい作品です。

  • なるほど、こんな話だったのか。訛りのある会話がいい。

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著者プロフィール

1896年(明治29年)岩手県生まれの詩人、童話作家。花巻農学校の教師をするかたわら、1924年(大正13年)詩集『春と修羅』、童話集『注文の多い料理店』を出版するが、生前は理解されることがなかった。また、生涯を通して熱心な仏教の信者でもあった。他に『オツベルと象』『グスグープドリの伝記』『風の又三郎』『銀河鉄道の夜』『セロ弾きのゴーシュ』など、たくさんの童話を書いた。

「2021年 『版画絵本 宮沢賢治 全6巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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