感想・レビュー・書評
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普通の衒ひで、二次消費者がちゃんと地獄を見ると言ふか、かっこうにはあんなんだし、意地の悪いふくろうまで、ゴーシュの家といふ癒しスポットへ行って治療を受けてゐる。
彼はたぬきのいろいろを聞いて「はっとし」てゐる。
そして、映画館でのソレで、あんなんなる。
うーん。 -
この作品は、音楽団で周りの足を引っ張っていたためいつも楽長怒られてばかりいたチェロ奏者であるゴーシュがわずか10日間の動物たちとの触れ合いの中で成長し、音楽団からも賞賛される奏者になる物語である。私は最初に読んだとき、少し違和感を感じた。わずか10日間の間で、こんなに見違えるほどチェロは上手になるのだろうか?しかし、ゴーシュは演奏の技術が劣っていたのではなく、感情のコントロールが苦手な事がチェロの演奏に悪い影響を与えていたのではないかと思った。そして動物たちによってそのコントロールが出来るようになり、賞賛される奏者になれたのではないかと思った。動物たちは、それぞれ個性があり、ゴーシュのことを惑わせる。それによってゴーシュの音楽に感情が乗り、素晴らしい音楽になる。動物と音楽、全く関係なさそうな二つの繋がりが感じられてすごく素敵な作品だった。
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作品名から分かるようにこの作品の主人公であるゴーシュはセロ奏者だ。ですが仲間の楽手の中で一番下手でいつも楽長からいじめを受けていました。この楽団は町の音楽会へ出す第六交響曲の練習を行っている真っ最中でした。この音楽会には砂糖屋など音楽を専門職としていないいわゆる素人集団も参加するため音楽団が演奏において負けるわけにはいかないというプレッシャーが楽長、楽団を襲っており緊張が漂っていました。楽団のなかで一番下手なゴーシュ。楽長から目を付けられ厳しく指導を受けます。楽団での練習が終わるまで上手く演奏することが出来なかったゴーシュは解散した後、夜遅くまで、夜中も練習を続けます。これがゴーシュの凄いところです。彼は常に一生懸命なのです。ですが厭味ったらしい一面もあります。練習を終えて帰宅したゴーシュのもとに三毛猫がやってきます。猫はゴーシュに「トロメライ」という落ち着いた曲を弾いてくれるようお願いします。そこでゴーシュが弾いたのは重低音が響く早く激しい「印度の虎狩り」だったのです。三毛猫はのたうち回り苦しみました。ゴーシュにやめるようお願いするも、ゴーシュはそんな猫を見ているうちに面白おかしくなりさらに勢いよく演奏を続けます。猫は我慢ならず家から走って逃げていきます。ゴーシュは残酷なのです。しかし、猫がゴーシュの家を訪れたあと鳥のかっこうがゴーシュのもとを訪れます。三毛猫に行ったようにかっこうにも残酷な仕打ちをするゴーシュ。ですがかっこうの話に耳を傾けることでゴーシュの中で何かが変わり始めるのです。このお話の最初の部分で楽団長はゴーシュに「表情ということがまるでできていない。起こるも喜ぶも感情というものがさっぱり出ないんだ。」と言っています。まさに音楽的なことを除いてみてもゴーシュに足りない部分はこのことなのです。かっこうの話に耳を傾け受け入れるとゴーシュの乱暴な部分が抑えられ、また演奏が上達します。続いて狸がゴーシュのもとに訪れ交流すると今度は楽器の欠陥に気が付きます。話に耳を傾け動物たちと交流を深めることで冷静さや優しさを得ると同時に演奏も格段に上達しついにはいじめを行っていた楽長から演奏技術を褒められるのです。自覚しているのに思うようにことが進まないじれったさ、歯がゆさ。他人にとって当たり前でも自分においては当たり前ではなく難しいというような現代人も共感できる葛藤が描かれています。この作品はそのような困難を克服する成長物語です。
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子供の時に読んだ話を大人になって再読すると、あの頃の感覚がよみがえってきます。例えば、セロを「ごうごう」弾くという表現。ゴーシュの音色は「ごうごう」なのかと、その独特のオノマトペが頭の中に残っているのです。また、かっこうがガラスにぶつかってケガをしながら去るのですが、当時なんてかわいそうな、と思ったものです。再読すると、うっぷん晴らしのイジメです。
実はラストは覚えていませんでした。今回、あれだけ動物を虐めたのだから報復を受けて当然ではないか、なんて思ってしまいました。けれどもゴーシュの荒れ方は、現代に置き換えれば、仕事でプレッシャーを受けた会社人間の発露、と見ることもできて、興味深かったです。 -
タイトルは知っていたけれど、こんな話だったとは。
2014/8/16 -
動物のおかげでチェロが上手になったお話し
著者プロフィール
宮沢賢治の作品





