「あやかし」という言葉を聞いて、どのようなものを想像するだろうか。この作品での「あやかし」は人間を不思議な力に引き込み、溺れさせ心を支配していく、そのような強い力を持つものであるととらえることができる。そのような人々が想像しえない不思議な力によって不可解な事件が引き起こされる。人間が人ならざるものである鼓に魅了され堕落していく様子、性格さえも変わり果て狂っていく様子は読んでいてゾクリとする。
時は明治時代の京都。鼓づくりの名手久能は綾姫という美女に恋するも恋破れ、輿入れに鼓を献上する。その後その鼓に触れた綾姫は自害、夫も病死、鼓を取り返そうとした久能も斬死されてしまう。以後その鼓は「あやかしの鼓」と呼ばれ、噂だけ伝承される。そして時は大正となり、綾姫の血を引くツル子と久能の孫の久禄・久弥兄弟、その兄弟の養父とが「あやかしの鼓」を巡って複雑に絡み合う。結果としてツル子と久禄が焼死、養父も自殺、そして久弥は三人の殺害を疑われ自ら死を選んでいく。
私が注目したのは「あやかしの鼓」の音色の力だ。作中では「恐ろしく陰気な、けれども静かな美しい音」「初めは低く暗い余韻のない—お寺の森の暗に啼く梟の声に似た音色が出た。喜びも悲しみもない……只淋しく低く……ポ……ポ……と。」と表現される。読者もどのような音色か想像して読むことが可能であるのも興味深い。作中人物はいずれも鼓の音色を聞いたり触れたりしたことにより、鼓の呪いに操られてとらわれ続けるのである。「あやかしの鼓」が触ってはならない、音を鳴らしてはならないものと頭ではわかっていながらも、本能にあらがえず手を出してしまう。そして呪いから解放されてもなお鼓の音色を忘れられず、求め続けるのである。この「あやかしの鼓」の音色に読了後には読者さえも魅了されてしまう。読んだ後に脳内で「……ポ……ポ……ポ……」という鼓の音が耳から離れないかもしれない。