泉鏡花の観念小説の代表作の一つである。観念小説とは作者が社会に対して感じた疑問や批判を作中で具現化させたものである。
この作品の場合、最後に語り手が「ああはたして仁なりや」ということで主人公である八田巡査の行動が正しいものであったのかを問うことで観念小説として成り立っている。
そしてその疑問は読み手である私たちにも問いかけている。
八田巡査は真面目で規則のためなら慈悲すら与えない男である。貧しい老車夫を見苦しいと叱責したり、他人の軒先で寒さを凌いでいる親子を追い出したりするほどである。
そんな規則、仕事に真面目な八田はあるとき、自身と恋人との仲を引き裂こうとする恋人の伯父が川で溺れてしまう。仕事だからと助けに行くが、泳げない八田は一緒に溺れてしまう。世間は八田の行為を仁のある人だと、評価した。しかし男を助ける行為は正しいかもしれないが、その行動は恋人にとっては正しいと判断できない行為でる。恋人が八田を引き留める際に八田自身、男のことを「殺したいほどの親父」と言っている。そんな男を恋人より優先する行為は果たして仁ある人の行動なのか。普段から規則と言い慈悲すらない男は、一回の行動で仁ある人間といていいのか。それらをよく考えさせられる内容になっている。
規則を守ることは大切である。しかし規則に縛られ規則のために生きている八田の行動は仁と言えないのではないかと私は思った。
ぜひ読む際は八田の行動を許せるのかどうか考えて読んでみてはどうだろうか。この作品の見方が変わってくるかもしれない。