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感想・レビュー・書評
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ドグラ・マグラがきつかったので。
「何でもない」「殺人リレー」「火星の女」の三つの短編から成る怪奇ものといってもいいのだろうか。
一見独立した話のように見えるがどうもそうには見えない。
「何でもない」の少女は虚構の天才。そんな彼女が書く遺書は果たして真実か。「火星の女」に登場する、嘘にまみれた生活をしてきた優等生、行方不明の愛子のように思える。彼女の遺書と思われるものを届けた謎の紳士。それは、背格好からして「殺人リレー」の新高のようにも見えるし、字の汚さからして焼身自殺をしたとされる火星の女であるとも思える。彼女の歯形は’少年’と鑑定されている。
最初の話が虚構である以上、「火星の女」の大部分を占める遺書も、二人の創り上げた大いなる虚構かもしれない。当事者が自殺・行方不明・発狂している以上、真実はもうわからない。
いや、それ以上に、虚構を生きる少女たちの実在は果たして真実なのか。語られているのが、手紙という言葉の形式である以上、もうすでに真実から遠のいている。
そうすると、死んだのは誰なのか。手紙を書いたのは誰なのか。当事者たちが接してきたのはいったい誰なのか。
虚構と現実の間を融かした夢野久作さんのテクニックが畏ろしい。
だが実際には、虚構と現実に区別はもとからないのだと思える。夢か現実か、区別を与えているのは他でもない、この’自分自身’に他ならない。胡蝶の夢の故事はその辺のことをうまく表していると思う。
何かを’語る’ということは、この’自分自身’が紡ぎだす、物語に他ならない。この自分を超えることなしには、夢か現か、誰にも問えない。そういう意味で、物語に関して、それが本当かどうかなんて、問うことは意味をなさないのだと気づく。
最近、とある人がブログで、次のようなことを述べていた。
「歴史に学ぶ」とは、事実のみを正確に学び、過ちを繰り返さないように自らを律し、将来への糧とすること。
だけど、歴史が歴史家による物語である以上、事実かどうかなんて誰にも判断できやしない。’事実’のみを正確に学び取ることなどできない。だから、この人が述べる歴史から学ぶということと、韓国や中国で取り上げられる誤った歴史観の教育との違いはどこにもない。
歴史とは作り事であるということに気づくとき、今・ここになぜだかこの自分が存在してしまっていることがなんだか奇妙で仕方ない。 -
若い女性の狂気的不幸が三編。淡々と綴られる文章には恐怖に震撼するけれど、ほんの僅かな共感が残るの何故だろう。
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「何んでも無い」
医師・臼杵の前に可憐な19歳の少女、優秀な看護婦の姫草ユリ子が現れた。しかし、彼女には虚言癖があり、それが周囲の者にばれると姿を消した…。
「殺人リレー」
バスガイドになった智恵子に、幼なじみのツヤ子から手紙が届く。それは「私の夫、バス運転士・新高は結婚詐欺師で殺人者だ」というものであり、その1週間後、ツヤ子は不審な事故死を遂げる。その後、智恵子の職場に新高が配属される。智恵子はツヤ子の仇を討とうとし結婚するのだが…。
「火星の女」
生徒が焼身自殺した県立女学校で、その後立て続けに校長の失踪や発狂、女教師の自殺や書記の大金拐帯などが起こる。その記録簿。
どれも女にまつわる悲しい話。「嘘」「固執」「恨み」「復習」、…まさに「少女地獄」。実は青空文庫でDLしたものを風呂で読んでいたのですが、のぼせるまで手が離せなかったです。真に迫る何かがあります。 -
少女(女性)を主題とした短編3つ。嘘つき女が破滅する話と、『火星の女』は山岸凉子の漫画に出てきそうな話だった。特に後者。山の中を走りながら「キエェェェェ」とか叫んでそう。
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ドグラ・マグラのイメージが強い作者だったので「また訳分かんないのがくるぞ」と構えてましたが、以外にあっさりフツーのこと書いてたので驚き。なーんだ!フツーの小説も書けるじゃーん!的な。
嘘をついて虚構に浸るのも、身を滅ぼす恋愛に投じてしまうのも、女なら共感しやすい題材なのでは?と思いました。