李陵 [青空文庫]

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  • 青空文庫
  • 新字新仮名
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  • 国家と個人の契りを問う名作である。李陵は自ら大言したことと奸策により手勢僅か五千の歩兵にて長駆匈奴に遠征に赴くことになった。相手方からの単于の勢力がその10倍以上であることからして如何にこの遠征が無謀であり、大言を吐いた以上、単于の首を持ち帰らなければ帰国も罷りならんという不帰の誓いを立てた上での遠征であったと言えよう。かなり奥地まで進軍したところから単于は兵站を断ちながら包囲戦で攻めかかる。李陵は善戦するも遂には単于の帷幕に堕ちることとなる。しかし、当時の匈奴では豪傑は敵と言えども処遇する習わしで、スキあらば単うの首を取らん思いで胡属の客人となる。漢の都では、破れて虜囚の辱めを受けた李陵とその一族に対して評定が行われ、武皇帝の顔色を伺う宦官に対して、司馬遷が一人で正論を吐くが、皇帝の不興をかい、腐刑(去勢手術)に処される。司馬遷は理不尽な刑を嘆きその後史記の完成のみを生きる糧として一切を封印した。一方、李陵はその後、胡族とも心通わせることとなって幾星霜、胡族の将軍の任を受けたが、韓の遠征軍が来たおりの出征にはやはり馬わ並べることが出来ないでいる。しかし、運命とは因果なもので別人の李将軍が胡族の兵を鍛錬したことが誤って漢に伝わり、司馬遷のとりなしで一難を免れた李陵一族はこぞって斬首された。これを聞くにつけ李陵は帰るべき国がなくなってしまったと感じるのである。一方、李陵の幼馴染の蘇武という将軍も胡の国に使として赴き、捕らえられた後に自害を試みるも胡族の技にて蘇生され、単于により採算口説かれるもこれを固辞し、辺境の地にて飢餓、寒さに打ちひしがれることなく泰然と孤高に暮らしていた。李陵は蘇武を口説くべく辺境の地に赴くが国家への忠誠を頑なに守る蘇武と自分との彼我にある漢への忠義の心の違いに愕然としてしまう。勿論、国家により一族諸共抹殺された自分とそうでない蘇武の間には自ずと想いや行動な違いが出ることは分かっていながらやはり漢への忠義を貫けなかった自分と蘇武の間の高潔さに違いを見出さずにはいられなかった。
    李陵、司馬遷、蘇武と三人の不慮を囲った人物電気を通して中島敦は忠義の有り様を描きたかったのではなかろうか。初版の1968年は遺稿であり、作家は1942年に没している。軍事国家真っ只中の日本にあり、国家や組織と人との関わりに疑問を呈した作者が、多様な関係を世に問うたようなきがしてならない。

  • 中島敦は、漢の時代の人々の姿を借りて、自分が生きている時代と社会の人々を描きたかったんだろうな。これが、あの時代にできる精一杯の社会批判だったのかも。

  • 中学生以来、何度読んだことやら。多分、文庫でも十回近く買っている。

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著者プロフィール

中島敦

一九〇九年(明治四二)、東京・四谷に生まれる。三〇年、東京大学国文学科入学。三三年に卒業し、横浜高等女学校に国語科教師として就職。職の傍ら執筆活動に取り組み、「中央公論」の公募に応じた『虎狩』(一九三四)で作家としての地位を確立。四一年七月、パラオ南洋庁国語編修書記として赴任。持病の喘息と闘いつつ『山月記』『文字禍』『光と風と夢』等の傑作を書き上げる。四二年(昭和十七)、職を辞して作家生活に入ろうとしたが、喘息が重篤となり、同年十二月に夭折。

「2019年 『南洋通信 増補新版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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