ドグラ・マグラ [青空文庫]

著者 :
  • 青空文庫
  • 新字新仮名
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感想 : 20
  • 青空文庫 ・電子書籍

感想・レビュー・書評

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  • 「私」が精神病棟で目を覚ますところから物語が始まります。序盤から奇怪な造語が多数現れるだけでなく、文章構成が大変複雑で、の詳しい要約はできませんでした。
    日本三大奇書といわれているだけあって、とても不思議で奇妙な作品でした。精神病患者を題材としており、終始「私」が幻覚や幻聴に苦しめられるような描写があります。重度の精神病患者で記憶喪失の「私」の一人称視点で物語が展開しているため、「私」が感じ取る暗すぎる空気や幻聴、幻覚がはっきりと生々しく伝わってくるため読み進めているこちら側までおかしくなってしまいそうになりました。自分は昔精神病を患ったことがあるため少し耐性があったのかある程度正常な状態で読み進めることができたが、そういった異常とも言えるような状態を知らない人は読んでいくうちに精神的に苦しくなってしまうかもしれないので読むことを強く勧めることはしません。ですが、ここからは私の主観的な感想になってしまいますが、造語や常に続く重い雰囲気に圧倒されながらも様々な事件を通して「私」の心の変化を見ることや、事件のことや「私」の精神に起こることを深く理解するために読み返し考察する行為はとても面白く感じました。

  • 校正を担当した一人です。改めて読み返してみると、よくできた作品だと思います。フランス語訳されているそうですが、「チャカポコ、チャカポコ」のところはどうしているのだろう?

  • 初出:1935(昭和10)年

    読んだら精神に異常を来たす?日本小説の『三大奇書』とは?

    人間の細胞は30兆個(現代では一般的には「60兆個」、範囲としては60〜100兆個とされている)、人類20億人とされた時代。←これは事実。
    精神障害者(疾患者を含む)に対する虐待の古今東西の歴史。←これも事実。

    主観的時間こそ絶対、記憶は個々の細胞に宿る、精神遺伝説、夢の原理、・・・。
    「奇書」と銘打っているが、文章そのものは読みやすく、筋が通っている。
    そして、描写が詳細で具体的という、「洗脳文章術」に出てきた手法で、説得力のある物語になっている。
    昭和10年の時代背景から、差別的表現が満載されている。そして「血統」が子孫を精神的に支配して行くという考え方。DNAが遺伝子であり、物理的な遺伝に影響するということが証明されていなかった時代、仏教の輪廻転生を全面に押し出している。「犯罪者の血統は遺伝する」という観点からすれば、「黒死館殺人事件」と共通するものがある。

    さて、ネタバレを以下に。

    ・文章構造
    ブーン→「ドグラ・マグラ」(リカーシブ)→ブーン(リピート)
    M博士の資料開始:19%〜終了:66% (全体の47%を占める)

    ・主人公の名
    これが初めて登場するのは、ページ数でいって全体の42%のところである。もっとも、主人公が実際にその名なのかはまだ本人は疑っている。

    ・二転三転する結末
    最終的には、結局自分自身の過去の生活の記憶が描かれなかったわけだから、最後の「胎児の夢」が結論である。事実、「巻頭歌」にも出てくる。そして先祖の行いや記憶がインプットされていく経過であった。これが「心理遺伝」であり、出生後潜在意識に潜り込んでしまう、という理論(ドグマ)。

    ・文章に出てくる「エロ・グロ・ナンセンス」・・・昭和10年にすでにこの言い回しがあったとは。
    グロ・ナンセンスは出てくるのだが、一通り読んでもエロに該当するものが見当たらない。しかし、実はこの物語の冒頭から始まる描写が「エロ」(アナロジー)であったのだ。童貞であることからくる赤面、牛乳、妊娠中の性交と母体のエクスタシーからくる突然の幸福感。赤く太い腕、W博士の長身と小さな籐椅子・・・。

    ・「ブーン」について
    最初のページに「ボンボン時計」とハッキリ書いてある。普通、時刻を知らせるのなら「ボーン、ボーン」だろう。だからこれは「水中で聞こえる音」を意味しているのだろう。そして、この「夢」が1時間の間に見られたものであることを示す。「前よりもこころもち長いような」ブーンとは、主観的な時間経過が現実の(体外の)時間経過に近づいていることを表わしている。

    ・何番目の「夢」か
    主人公が見ている「胎児の夢」は、前の世代かその前の世代の祖先が経験した記憶である。だから、M博士とのやりとりと出来事、その後また何年もたった後の「遺稿」を確認することになる。Kの血統はGに始まり(ラスト)、代々Kとして引き継がれるが、K.Iの父親はM博士でもあるので、その経験は特に詳しく「心理遺伝」し、物語の大部分を占める。ありありとした「フルカラー3D映像」もそれによっている。
    しかし、主人公本人はまだ生まれていないのだから、名前はまだない。だから、自分についての記憶も名前も空白なのである。


    産業革命による「唯物資本主義」の時代を否定して、唯心論を説く著者の父親は九州の大物右翼である。「国体を憂う」という文章も出てくる。戦前の昭和時代は心霊現象の研究が流行り、まじめに議論されていた時期がある。

  • 幻惑、幻惑。

    読 み 終 わ っ た ー !
    やっとのことで読み終わった。半年近くかかったなー。
    「読むとキチガイになる」という噂が気になって調子のいい時しか読まないようにしてたのと、祭文のカタカナ文章や正木教授のもったいつけた話しぶりが読みづらいのとで、なかなか前に進めなかった。
    はー、疲れた!

    しかしほんとに奇妙な話だったなあ。

    はじまりはこうだ。
    自分の名前も、過去もなにもわからない青年が鐘の音とともに独房で目を覚ます。
    そこはどうやら精神病院で、青年の婚約者だと名乗る少女の逼迫した声が壁伝いに聞こえてくる。
    一体自分はどういう人間で、なぜこんな所に入っているのだろう?


    ※以下ネタバレ注意





    その謎を追っていこうとページをめくると、『ドグラ・マグラ』という原稿が作中に現れる。
    そしてこの本の仕掛けについて、親切に教えてくれる。
    奇妙キテレツな祭文、談話、論文、遺言書、事件記録、昔話などが挿入されて、一体何が言いたいやらわけもわからぬまま読み進めるが、青年の過去と関係しているらしい怪事件の真相、そして青年の正体を知る段になると、その全てが本筋そのものになっている…そうだ。
    しかも、この作品の終わりに鳴る鐘の音は、最初のものと同一であり得るという。
    私が半年かけてこつこつ読んできたこの本は、一瞬の出来事だったかもしれないのだ。
    それならまだいいが、一瞬の出来事でさえもなかったかもしれない。
    ただの妄想、夢。
    そういう「惑わし」がたくさん詰まった作品である。


    怪事件の真相に至ってもそうだ。
    「犯人は俺だよ…」と正木が自白するが、これは「自分がやったから」ではなく「自分にしかできないから」らしい。
    自分が犯人なら、やったことを淡々と語ればいいのだ。だが彼はそうせずに、WとMの物語を聞かせて「黒幕は誰か?」の判断をこちらに委ねる。どうもはっきりしない。
    そうするうち物語はWとMの非道な行いを紡ぎ出し、ついに青年が声を上げる。

    だが待てよ、と。
    色々と前もって準備ができる正木・若林の言葉や書類を、一体どれだけ信じられるのか。
    もしかして全部よくできた嘘で、かつがれてるんじゃないか?
    そうやって、青年が呉一郎だと思い込ませるつもりじゃないのか?
    こちとら一郎がそこに見えるんだぞ。それを、離魂病だのなんだのと。

    だいたい学術のためとはいえ、「子どもを孕ませてその子が将来狂人となり殺人を犯すよう準備を整える」なんて、そこまでするか?
    呆れた話だ、もしこれが本当なら。学者先生たちまで巻物に取り憑かれてるじゃないか。
    「もし本当なら」、ね。

    ここにくるまで散々脳をかき回された分、こういう疑念がこびりついて離れない。
    青年もこの「幻惑」を映すかのように「アッハッハッハ」と突然笑い出し、犯人なんていなかったんじゃないか、偶然に起きたバラバラの出来事を無理やりつなげてこんがらがってるだけじゃないのかと言い始める。

    そんな疑念にひとまずの終止符を打つのが、巻物の最後の文字だ。
    これで父親が誰か、黒幕が誰かが青年の頭にピン!ときて、ショックから彼は外に飛び出してしまう。だがこんな時でも私の疑念は晴れない。
    本当に見たのだろうか。
    本当にそこに文字があったのか?

    外気に触れて戻ると、さっき見ていた資料にほこりがかぶるほど時間が経過している。
    そのほこりをかぶった資料の中に、さっきまで話をしていた正木の自殺の報。
    解放場の流血沙汰の記事。

    青年は思い出す。謎に対する答えを。
    離魂病、夢遊状態、胎児の夢、被害者の最後の表情…。
    ようやく探偵物語は終焉を迎え…

    そして鐘が鳴り、私たちは夢から覚める/眠りに落ちる。
    また最初に帰るのだ。

    『胎児の夢』でこんなことが書かれていたのは、この時のためだろう。

    - - - -
    一秒のうちに一億年が含まれていると同時に、宇宙の寿命の長さといえども一秒のうちに感ずる事が出来る訳である。

    五十年や、百年の間の出来事を一瞬、一秒の間に描き出すのは何の造作もない事である。

    盧生が夢の五十年。実は粟飯一炊の間……とあるのは事実、何の不思議もない事である。
    - - - -


    さて、ここまで青年の身に起きた出来事は、現実に起きた事なのだろうか。
    「正木との会話」が十月二十日の繰り返しだと考えたように、いつかの出来事を繰り返し夢に見ているというのか。
    それとも全て、夢の創作に過ぎないのか。
    一秒にも満たない、刹那の夢の。

    狐につままれたような心持ちで、今はいる。


    読書メモ:
    http://haiiro-canvas.blogspot.jp/2013/05/blog-post_14.html

  • 「……これは何ですか……この『ドグラ・マグラ』というのは……」
    「それは、精神病者の心理状態の不可思議さを表現した珍奇な、面白い製作の一つです。この内容と申しますのは、一種の超常識的な科学物語とでも申しましょうか」
    「……超常識的な科学物語……」
    「実に奇怪極まる文章で、科学趣味、猟奇趣味、エロチシズム、探偵趣味、ノンセンス味、神秘趣味なぞというものが隅々まで重なり合っているという極めて眩惑的な構想で、気味の悪い妖気が全篇に横溢しております」
    「……どういう意味なんですか……このドグラ・マグラという言葉のホントウの意味は……日本語なのですか、それとも……」
    「……このドグラ・マグラという言葉は……」

     …………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。
     …………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。

     どこか近くで、ボンボン時計が鳴っている――。

    ---------------------------------------------------------

     コンクリートで囲まれた部屋で目を覚ました“私”。だが“私”には一切の記憶がなかった。記憶を取り戻すために、訪れた法医学教授により外に出された“私”だったが――。

     記憶を取り戻すため、教授から様々な情報を与えられ、手渡された書類に目を通していく内に、戸惑い、面食らい、虚と実、現と幻が綯い交ぜになり、やがて冒頭へと回帰していく。円環するウロボロスの理で構築された、無限地獄のような、循環する物語。
     その緻密で理知的ながらも常軌を逸した内容に、日本探偵小説史上における「三大奇書」に選ばれた推理小説。これはぜひ“私”に感情移入して、“私”に自分を重ね合わせて読んでほしい。

  • やっと読み終えた

  • 青空文庫で読んだ。

    映画で観たことあるから、雰囲気は分かるんだけど。
    文字で読むと、また、違う、ヒリヒリするような感覚がある。

  •  この作品は、「精神」とは何かについて考えさせられるものである。読み終わると、自身の「精神」や「意識」に目を向けて、物事を考えるようになるので、見える世界が変わるだろう。

    ※以下ネタバレ注意




    主人公の男は、目が覚めると、見知らぬ部屋にいた。自分の顔を撫でまわしてみるが、自分が誰なのかわからない。過去の記憶ものこっていない。コンクリートの壁を挟んだ隣の部屋からは少女の叫び声が聞こえる。夜が明けると、部屋に一人の紳士がやってくる。その紳士は九州帝国大学法医学部の教授である、若林というものであった。そして、自分がいる場所が、九州大学の精神病科であることを知らされる。そして、自分が「狂人解放」の実験台であり、それが一か月前に亡くなった正木教授という人によるものであることを知る。男は部屋の外に連れ出され、かつての自分の服らしきものを着せられ、隣の部屋の少女についての話しを聞かされる。そして、記憶を取り戻すことを望まれていると分かっていても、一向に思い出せない。男は、若林博士に連れられ、正木先生の教授室にいく。そこで、斎藤博士の存在を知ったり、狂人焚殺の絵をみたり、論文を読んでいく中で過去を知っていく。

    本書では、物語を通して、人間の精神の根本的なものを伝えている。いくつかの論文が登場するが、正木博士の論文「脳髄は物を考える処に非ず」では、脳髄を人体の中の「怪物」と称している。脳髄で考えることにより、私たちは意識と行動ができる。しかし、脳髄が故障すると、他の意識との連絡を失ってしまう。そして、元始以来遺伝してきている反射交換の機能が動きだし、全身を支配してしまうというのだ。本書は、「物語」と「読み手」を区別せず、読み手を引き込み、読み手自身に体験させている。
    物語中の「胎児の夢」では、人間は、他の生物の特徴を集めて、それを進化させたものだと述べられている、皮を一枚剥ぐと、禽獣の性格、虫の心理、原生動物の心理があらわれる、と表現されている。このような、今まで触れたことないような独特な世界観に考えさせられるものがある。そして、読み進めるうちに、自身の肉体の細部にまで注意を向け、自分の「意識」がどのように存在するのか考えさせられるだろう。
    私たちは、記憶を持っていて、自身がどんな経験をしたか、どんな思考を持っているかを知っている。しかし、記憶を失った途端に、身体はおなじでも、自分が誰であるかわからず、同一人物なのか疑ってしまうであろう。この物語を通して、自分が記憶喪失の状態からはじまり、「自分」とは誰なのかを知っていく体験をできるだろう。

  • 「本書を読破した者は、必ず一度は精神に異常を来たす」と言われている本作を読んだ私がまず最初に思ったのは「とにかく意味が分からない。」でした。とにかく長く、そして複雑で私にとって作者が伝えたいことがわかりにくい物語だと感じました。難しいことはわかりませんでしたが、私の単純な感想としては、時折混ざる擬音の表現の仕方や、理解できない「キチガイ地獄外道祭文」という、入れられたら死ぬまで出られない精神病院の恐ろしさを表したもののなんともいえない気味の悪さがありました。なんだか見てはいけないものを見ているような、思わず目をそむけたくなるような、そんな感覚になりました。しかしその気味の悪さがさすがにそこは「黒死館殺人事件」、「虚無への供物」が名を連ねる「日本探偵小説三大奇書」のうちの一つといった完成度でした。最近はこのような薄気味悪さを楽しむサイコスリラーの要素を芸術作品やエンターテイメントに求める人が多いので、そういった方にはこの作品を強くおすすめしたいと思います。
    話は逸れましたが、最初に私が「意味が分からなかった」と書いていますが、それは主人公も同じ気持ちです。なぜならこの本の特徴として私たち読者が主人公とリンクしていると思わせるような書き方がされているところがあるからです。
    そのため、思わず主人公に感情移入してしまい、私は自分の身に置き換えて考えてしまった瞬間がありました。おそらく実際に私がこんな目にあったとしたら主人公のように考察なんてできないと思いますが、なんとか必死に理解しようとしても最後に結局正解を誰も教えてくれないところがモヤモヤします。
    そしてもう一つ気になるのが、この本のタイトルにもなっている「ドグラ・マグラ」の存在です。私のこの本を読む前の予想は地名や人名などの固有名詞でした。しかし予想とは大きく異なり、「ドグラ・マグラ」とはこの本の中に登場する書物の名前でした。しかも本書の中の「ドグラ・マグラ」は今後の大体のあらすじを予告したもので、さらに結末までそれとなく暗示しているものでした。つまり本書にはいわゆる「メタフィクション」の要素が組み込まれています。私は以前この「メタフィクション」という言葉の意味を知った時、三面鏡の両側の鏡を立てて、そこに無限に映っている自分を見ていた幼い時の記憶を思い出しました。私たちが単なる作品だと思っているもののなかにさらに同じような作品がある。私にはこの事実さえも鳥肌が立つような気味の悪さを感じました。この「ドグラ・マグラ」という作品は文章の中の表現だけではなく、構成にさえも不気味さを感じさせてくれるとてもよいものだと思います。

  • 昭和十年に書き下ろし自費出版された「ドグラ・マグラ」。夢野久作の代表作であり、日本探偵小説三大奇書の一つとされていて、完成までに十年もの月日を費やしたまさに夢野久作の人生をかけて書かれた小説である。



    物語は、主人公である「私」がとある精神病棟で目が覚めるところから始まる。私は精神病棟に隔離されているが自分が何者なのか、自分の過去はどのようなものなのか、そして自分の名前さえも忘れてしまっている状態であった。「私」は法医学者である若林教授からとある事件に関わっているということを伝えられ、自分の名前さえ思い出せれば全てが解決すると言われるが自分の事に関して何も思い出すことができない。そこで正木教授の文書を読んでいくうちに、「私」の目には正木教授が見えるようになる。その中で正木教授の逸脱した言動に「私」はさらに混乱していき、、果たして「私」は本当の自分を思い出す事ができるのだろうか。



    この小説では夢野久作の巧みな表現力で物語を読み進めていけばいくほど主人公と読み手の心情が合わさっていくように感じる作品である。決して今日のミステリー小説にあるような最後に謎が次々と解けていくような快感はあまりないが、終盤にいくにつれて混乱に陥っていく主人公の思考や感情に飲まれていってしまいそうになり、さすが読むと発狂してしまうと呼ばれる作品だなと感じた。じわじわと追い詰められていくような、それでいて主人公の「私」の正体に着実に迫っていくような物語になっている。是非、主人公の「私」に寄り添いながら見てほしい小説である。

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著者プロフィール

明治22年(1889年)福岡県生まれ。慶應義塾大学中退。様々な職業を転々としたあと、37歳のときに「あやかしの鼓」を発表。主な著書に、『ドグラ・マグラ』、『少女地獄』などがある。「乙女の本棚」シリーズでは本作のほかに、『瓶詰地獄』(夢野久作+ホノジロトヲジ)がある。

「2023年 『ルルとミミ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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