あまりにもすらすらと、仕組まれたかのように話が進む。もちろん、これは小説なのだから当たり前だと言ってしまえばそれで終わる話ではあるが私はこの仕組まれすぎたストーリーに「……殺しても……いいのよ」とニコニコと笑った彼女を見ては何か見逃してはいないだろうかとゾワゾワとしてしまう。つまりは“私”のとった行動は彼女によって仕組まれたものではないだろうかと考えてしまうのだ。
これは根拠のない一介の読者の感想のような、妄想のような都合のいい考えであるが私の印象に残る『私がこころみた「殺人芸術」に関する漫談を蒼白く緊張しながら聞いていた』彼女はその頃から動物を痛めつけては笑えるような猟奇的な思考を持ち合わせていたのではないだろうか。
物語の後半でキーアイテムになる「鏡」、私にとっての鏡が彼女にとっての漫談だったのではないだろうか。一目や評判を気にする女優である彼女にとって常識とはズレたその思考は完全に隠してしまいたいものであったから、思考をうつす鏡になりかねない漫談に挑むのはのちに彼が鏡のまで立ち止まれなくなるように恐ろしいことであったのではないだろうか。
一見、私によって猟奇思考に目覚め、そのきっかけである私に執着しているかのようにも思える彼女を、このように別の見方をしようとしてみると物語の中で多用される「…」やカタカナ表記の語でさえもその思考を後押しするスパイスのようにすら思えてくる。
夢野久作の作品を読むのは初めての経験だったが隙間を作りながらも物語として成立させる彼の文章をもっと読んでみたいと思わせてくれた一作だった。