「津軽」は、太宰治が津軽半島を3週間ほどかけて旅をする旅行記だ。
序編では津軽半島を旅するきっかけと目的が書かれている。太宰は出版社から風土記執筆を提案され、自分が生まれ育った場所である津軽を旅することに決めた。その旅の中で主に人と人との心の触れ合いである愛を追求すること、自分の生き方の手本となるような津軽人を探すことを目的とした。
本編では太宰が訪れた地域での出来事が書かれている。東京から青森へ向かった太宰は旧友のT君に出迎えてもらい、蟹田へ行くバスを待つ間T君の家に上がって酒を飲みながら思い出話に花を咲かせた。
翌日は蟹田へ向かい、太宰の作品「思い出」にも登場する中学時代の友人N君の家に行く。この作品、「津軽」で私の印象に残ったのは太宰がとにかく酒を飲むということだ。この蟹田の地でも太宰は多くの知り合いに会うのだが、その度に家や旅館で酒を飲む。戦時中にもかかわらず、かなり余裕がある様子だったので驚いた。
蟹田を出た後、太宰はN君と共に龍飛へ向かった。途中で寒さが厳しくなり、やっとの思いでたどり着いた集落は小さく固まっており、それを見た太宰は鶏小屋のようだと思った。
その後N君と別れた太宰は自身の生家がある金木町へ向かった。太宰の実家は裕福な名家で、その長男である兄とはあまり価値観が合わず太宰は居心地の悪さを感じる。その理由には太宰の育ちも関係している。幼少期は病床に伏していた母の代わりに、たけという乳母と過ごしたのだった。たけは太宰が8歳の頃にいなくなり、その後1度会ったものの口はきかなかったので、太宰は津軽に行くならどうしても会いたいと思っていた人物であった。生家を後にした太宰はたけを探しに小泊へ向かう。苦労はしたが無事たけに会うことが出来た太宰は彼女と接しているうちに無遠慮ながらも強く愛を感じる津軽人の気質を自分の中にも発見する。この旅で太宰は友人やたけから自分にも通づる津軽人の気質を見つけることができたのだった。
私は太宰といえば「人間失格」や「斜陽」といった、憂鬱さや救われなさを描くイメージを持っていたが、「津軽」ではそのような薄暗い描写は無く、人との温かい交流、地元愛が綴られていて太宰のイメージを覆す作品であった。