余と万年筆 [青空文庫]

  • 青空文庫
  • 新字新仮名
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感想・レビュー・書評

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  •  万年筆好きにとっては、「おい馬鹿やめろー!」と思わず叫んでしまうトコロもありつつ。自分も漱石と同じような事を思ったけれど、収集癖のある人にしか分からない魅力がやっぱりあるんだろうなあ。

  • 万年筆に関するエッセイ。小説よりちょっと文体が難しいような気がする……読みやすさを考えていないというか。

    丸善で最上等の万年筆が300円って、ちょっと前のプレピーやないか! 「一般の需要が10円内外の低廉」とされているから、カクノと考えると高価な万年筆は0を2〜3つつけたくらい?

    「餞別にもらった万年筆を、器械体操の真似をして壊してしまった」って、どういうこと!? それよりも、何してんの!? オモロイ人なの!?
    →調べてみると、「長い船旅で運動不足になるから体を動かそうと、得意な機械運動で鉄棒をしているときにポケットに入れたままだったため折ってしまった」とのこと。万年筆をくれた親戚というのは妻の妹で、妻宛の手紙で謝罪している。

    万年筆にインクを入れることを「飲ませる」と今でも言う(一部)けど、漱石は万年筆ではなく「ペリカン」と書いているから、鳥にインクを飲ませたり、鳥と仲違いをしているみたいで面白い。狙ったのかな?

  • 夏目漱石の万年筆に関するごく短い随筆。
    ペリカンの万年筆に様々な種類のインクを突っ込んでメンテもしない様は万年筆愛好家として『やめんかぁぁぁっ!』と叫びたくなるが、後に改心してオノトの使いやすさを喜んでいる辺りは非常に微笑ましかった。

  • 漱石は初めはペリカンを使っていたが万年筆のブルーブラックが嫌いだったし使いづらかったので辞めた。オノトを使ってみたら書きやすかった。以上メモ。
    パイプを蒐集している人たちを「煙管気狂」(と書いてパイプきちがいと読む)とさしているのに笑った。丸善では一日100本万年筆が売れるというが、万年筆は何年使えるのか?とかつらつら書かれていて面白い。

  • 明治時代の小説家はいったい何で原稿を書いてたんだ?
    筆と墨?鉛筆っていつから日本にあるの?万年筆は?
    と疑問を持って「夏目漱石 鉛筆」で検索して辿りついたのがこの随筆。
    さっと読んで、ふーんやっぱりもう万年筆があったのかと納得しながら、「じゃあこの、彼岸過迄を書くのに使ったペンっていうのはどんなペン?」と新たな疑問が。
    きりがないのでダメモトで父に訊いてみたら、「こういう細い竹の先に一個10円程度で売ってるペン先をつけてだな、いちいちインク壷に突っ込んで補充しながら書くんだよ。俺も小学生の頃は使ってた」と意外にもきちんとした返答があり、随筆の内容とも合致してようやく満足。
    しかし、夏目漱石ともあろう方がセピヤ色のインクがいいという他には特に道具に拘りなく、買った万年筆はきちんと洗わないしもらった万年筆は「器械体操の真似をしてすぐ壊して仕舞った」だし、随分不器用かつ大雑把に扱っていたのだなあとちょっと呆れて笑ってしまった。
    ペリカンの扱いづらさを「随分持主を虐待した」なんて表現したり、「其決心の底には何うしても多少の負惜しみが籠っていた様である」なんて万年筆への未練を渋々認めたり、漱石のユーモアには本当に楽しくなる。可愛い。(笑)
    そしてあまり関係ないけど、男のひとの収集癖というものは子供の頃からいまいち理解できないもののひとつだ…と煙管気狂のくだりを読みながらつくづく。

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著者プロフィール

1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)にて誕生。帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、『吾輩は猫である』を発表。翌年、『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表。1907年、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。

「2021年 『夏目漱石大活字本シリーズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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