燃ゆる頬 [青空文庫]

  • 青空文庫
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  • 主人公の「私」は17歳の少年である。この話は「少年から大人への脱皮」がテーマになっている。
    「少年から大人への脱皮」は4段階に分けられていると考える。
    1つ目は性的なことへの嫌悪感である。ある日花壇の中を歩いていた私は蜜蜂を介して受粉する花を見つけるが、自分の掌でもみくちゃにしてしまう。また、同日に私の倍もある大男である魚住という男に"誘われる"が逃げてしまう。この2つの描写からこの時点での「私」は他者も自分も含め性的なことに嫌悪感を感じていると推測できる。
    2つ目は同性愛である。寄宿舎の同室に三枝という美しい少年が入ってくる。私と三枝の関係はいつしか「友情の限界を超え出した」ようなものになっていた。夏休み、私と三枝は2人で旅行をした。その寝床で私は三枝の背中の脊椎カリエスの跡を見つけ、何度も撫でた。この場面では「私」が三枝に対して性的な感情を覚えていることが分かる。
    3つ目は異性愛である。旅先で私と三枝は5、6人の娘と出会う。私はその中の1人のことが気になるが、話せない。一方、三枝は少女に馬車のことを尋ねる。私はそんな三枝に「一種の敵意のようなもの」を感じるのである。この敵意は嫉妬だと考えられる。翌日、2人は東京に戻るが、その別れは単なる別れではなく、2人の関係性の終わりも示していたと推測できる。その後、三枝は脊椎カリエスを再発し、亡くなる。
    4つ目は過ちの気づきである。数年後、私は肺結核を患い、入院する。その病棟で脊椎カリエスを患っている三枝に似た少年と出会う。ある朝、私が窓際まで行くと向かいのベランダで素っ裸の少年が前屈みになって自身のある部分をじっと見入っているのを発見する。その姿を見て私は「大きな打撃」を与えられる。恐らく、少年が見ていたのは己の性器だろう。そして「私」はそれを見て三枝の姿を重ね、三枝も「男」であったと思い知らされ、自分が同性と恋愛をしていたという過去を思い出したと考えられる。
    以上の4段階を経て、「私」は少年から大人へ脱皮したのである。
    また、「私」は三枝のことを同性であるということは関係なしにただ純粋に性的な感情を抱いていたが、三枝はその前にも男性との関係をほのめかすような描写があることから同性同士ということを分かっている上で関係を持っていたということも考えられる。
    そして、題名に含まれている「頬」だが、この話は頬の様子について描かれている文が多く、頬の様子が少年から大人へ変わる様子を表している。少年の頬は「薔薇いろの頬」と表されている。つまり、少年の頬こそが「燃ゆる頬」なのだ。

  • 蝋燭の火で浮かび上がる様子が美しい。
    男子校の寮における同性愛の様子を肯定的に描いているが、そのような作品が一般的となった現在には、特別際立ったものは感じられなかった。

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    (2020年11月26日 追記)
    再読して評価を3→5に変更。
    詳細は再読記録にて(ネタばれを多分に含みます)。

  • ヰタ・セクスアリスでもそうだけど‥‥この時代の男子校寮生ってやばい‥‥それが当たり前でやばい‥‥

  • 思春期の少年同士の友愛というか、わたしは少年じゃないからよくわからないが。
    どうなのかなあ……友情と愛情の幅をセックスの有無で固定するような浅い感情はもちたくない。あらゆる若者がするように少女に声をかけて、友達から敵意を感じる。一緒にいることが、できるだけ相手を苦しめないようにと気遣い合うようになる。友達から手紙が来るが、少女によって彼への気持ちは変わってしまった。彼が死んでも、変わってしまった自分にとって彼は未知の人であった……。という構図がいいなあ。
    彼女らのために苦しむことをあまりにも愛していた、という表現が好き。置いてきてしまったものへの未練。そして、サナトリウムでの再会、今度は彼に置いて行かれる。短い話だけど、面白い構図だなあと思いました。

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著者プロフィール

東京生まれ。第一高等学校時代、生涯親交の深かった神西清(ロシア文学者・小説家)と出会う。このころ、ツルゲーネフやハウプトマンの小説や戯曲、ショーペンハウアー、ニーチェなどの哲学書に接する。1923年、19歳のころに荻原朔太郎『青猫』を耽読し、大きな影響を受ける。同時期に室生犀星を知り、犀星の紹介で師・芥川龍之介と出会う。以後、軽井沢にいた芥川を訪ね、芥川の死後も度々軽井沢へ赴く。
1925年、東京帝国大学へ入学。田端にいた萩原朔太郎を訪問。翌年に中野重治、窪川鶴次郎らと雑誌『驢馬』を創刊。同誌に堀はアポリネールやコクトーの詩を訳して掲載し、自作の小品を発表。1927年に芥川が自殺し、翌年には自身も肋膜炎を患い、生死の境をさまよう。1930年、最初の作品集『不器用な天使』を改造社より刊行。同年「聖家族」を「改造」に発表。その後は病を患い入院と静養をくり返しながらも、「美しい村」「風立ちぬ」「菜穂子」と数々の名作をうみだす。その間、詩人・立原道造との出会い、また加藤多恵との結婚があった。1940年、前年に死去した立原が戯れに編んだ『堀辰雄詩集』を山本書店よりそのまま刊行し、墓前に捧げる。1953年、春先より喀血が続き、5月28日逝去。

「2022年 『木の十字架』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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