花をうめる [青空文庫]

  • 青空文庫 (2004年3月1日発売)
  • 新字新仮名
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感想・レビュー・書評

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  • 文芸社の「本を書きたい」人が読むブログの「濃密なショートショートを書く方法」で紹介されていたので、気になって。
    https://www.bungeisha.co.jp/publishing/kakitai/article_195_162.jsp
    ショートショートの書き方を調べると「最後に見事などんでん返しが必須」だったり、140字とかの超短編小説は「短い話で読者に満足感を与えるために、強烈なインパクトや奇をてらったオチにするもの」というイメージがあって苦手。最後に読者をびっくりさせればそれでいいのか、作者の独りよがりになっていないか、最後の一文でこれまでの全て(物語も、読者の時間や感情も)を台無しにしてないか、と。

    この作品にも、どんでん返しにあたる《真相の暴露》はある。驚きをもたらすものではあるが、「ええ〜っ⁉︎」と思わず大声をあげるようなものではなく、「え……」とこぼすような静かな衝撃。ここまでの文体が綺麗だし丁寧で、このシーンでもそれは変わらなかったし、不快ではないが、素朴で美しい遊びからの裏切りがつらい。《私》がどれだけその遊びや土中の小さな世界が好きかがエピソードとしてしっかり描かれてきたから、《私》の純粋さや健気さも踏みにじられたように感じる。しかし、当の本人は真相を知ってもあっさりした反応(回想だからかもしれないけど)。もう心のどこかでは諦めに傾いていたのだろう。でも「もしかしたら」と思うと、やめられない。ここで真相を知らされることは《私》にとって衝撃ではなく救いになったのだと思う。だからほっとしたんだ。

    締めでまた軽い裏切りに遭うが、今度のは自分の勝手な期待だから同情はできない。
    きっと《私》が好きなのは「ツルの隠した花」であって、ツル本人じゃなかったのでは? 「ツルが好き」は「花を美しく飾れるツルは性根も美しいに違いない」という思い込みからの錯覚だと思う。
    ということは、「ツルの隠した花」は「ツルへの好意」とも読み取れるのかな。本当はないのに、あると思い込んでいるもの。

    ◆なぜツルは嘘をついたのか
    子どものしたことに、真っ当な動機や理由なんてないかもしれない。
    ・《私》がいじられキャラだった
    ・林太郎と共謀した
    2人でやれば悪事への抵抗感が薄れるから
    ・《私》に好かれていると知っていて、試した
    「私のこと好きなんだから、これくらいしても許されるよね」みたいな傲慢
    ・《私》が嫌いだった
    何日も探し続けるくらい執着が強いから、《私》はこれまでも必死に探してた可能性がある。それがツルにはキモかった。(《私》を男と仮定すると)女子のほうが精神的発達が早いからね、何歳かは知らんけど

    ◆なぜ林太郎は真相を暴露したのか
    「石段に寄りかかってとうもろこしを食べてる」シチュから余裕を感じる(見物されてる感がすごい)から、《私》が花を探していることに前から気づいてたのかもしれない。真相を暴露するときもニヤニヤしてたから、後ろめたさからではないのは明らか。となると、初めて見たとき「もしかしてあいつ、花探してんの? 埋めてないのにウケる〜! 面白いから黙っとこ」→その後「まだ探してんのかよ! しつこ〜」→変化がなくて飽きた「嘘だって知ったらどんな反応するかな」って感じかな? で、リアクション薄かったから、こっちもこっちでがっかりしたかもね。

  • 随筆風.花をうめる幼い遊びと,新美らしい機微な感情の描写

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著者プロフィール

1913年、愛知県知多郡半田町(現・半田市)に生まれる。中学時代から童話を書き始め、『赤い鳥』『チチノキ』などに投稿。東京外国語学校在学中に病を得、20代後半の5年間は安城高等女学校(現・県立安城高等学校)で教師をしながら創作活動を続けた。1943年、29歳の生涯を終える。代表作に「ごんぎつね」「おじいさんのランプ」「手袋を買いに」「でんでんむしの悲しみ」を始めとして、多くの童話・小説・詩などの作品を残す。

「2024年 『だれのかげ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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