文芸社の「本を書きたい」人が読むブログの「濃密なショートショートを書く方法」で紹介されていたので、気になって。
→https://www.bungeisha.co.jp/publishing/kakitai/article_195_162.jsp
ショートショートの書き方を調べると「最後に見事などんでん返しが必須」だったり、140字とかの超短編小説は「短い話で読者に満足感を与えるために、強烈なインパクトや奇をてらったオチにするもの」というイメージがあって苦手。最後に読者をびっくりさせればそれでいいのか、作者の独りよがりになっていないか、最後の一文でこれまでの全て(物語も、読者の時間や感情も)を台無しにしてないか、と。
この作品にも、どんでん返しにあたる《真相の暴露》はある。驚きをもたらすものではあるが、「ええ〜っ⁉︎」と思わず大声をあげるようなものではなく、「え……」とこぼすような静かな衝撃。ここまでの文体が綺麗だし丁寧で、このシーンでもそれは変わらなかったし、不快ではないが、素朴で美しい遊びからの裏切りがつらい。《私》がどれだけその遊びや土中の小さな世界が好きかがエピソードとしてしっかり描かれてきたから、《私》の純粋さや健気さも踏みにじられたように感じる。しかし、当の本人は真相を知ってもあっさりした反応(回想だからかもしれないけど)。もう心のどこかでは諦めに傾いていたのだろう。でも「もしかしたら」と思うと、やめられない。ここで真相を知らされることは《私》にとって衝撃ではなく救いになったのだと思う。だからほっとしたんだ。
締めでまた軽い裏切りに遭うが、今度のは自分の勝手な期待だから同情はできない。
きっと《私》が好きなのは「ツルの隠した花」であって、ツル本人じゃなかったのでは? 「ツルが好き」は「花を美しく飾れるツルは性根も美しいに違いない」という思い込みからの錯覚だと思う。
ということは、「ツルの隠した花」は「ツルへの好意」とも読み取れるのかな。本当はないのに、あると思い込んでいるもの。
◆なぜツルは嘘をついたのか
子どものしたことに、真っ当な動機や理由なんてないかもしれない。
・《私》がいじられキャラだった
・林太郎と共謀した
2人でやれば悪事への抵抗感が薄れるから
・《私》に好かれていると知っていて、試した
「私のこと好きなんだから、これくらいしても許されるよね」みたいな傲慢
・《私》が嫌いだった
何日も探し続けるくらい執着が強いから、《私》はこれまでも必死に探してた可能性がある。それがツルにはキモかった。(《私》を男と仮定すると)女子のほうが精神的発達が早いからね、何歳かは知らんけど
◆なぜ林太郎は真相を暴露したのか
「石段に寄りかかってとうもろこしを食べてる」シチュから余裕を感じる(見物されてる感がすごい)から、《私》が花を探していることに前から気づいてたのかもしれない。真相を暴露するときもニヤニヤしてたから、後ろめたさからではないのは明らか。となると、初めて見たとき「もしかしてあいつ、花探してんの? 埋めてないのにウケる〜! 面白いから黙っとこ」→その後「まだ探してんのかよ! しつこ〜」→変化がなくて飽きた「嘘だって知ったらどんな反応するかな」って感じかな? で、リアクション薄かったから、こっちもこっちでがっかりしたかもね。