杜子春 [青空文庫]

著者 :
  • 青空文庫
  • 新字新仮名
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感想 : 6
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  • 舞台は、唐の洛陽、没落した金持ちの子、杜子春と、峨眉山の仙人、鉄冠子との不思議な話

    いくら財産が有っても空しく、真面目に生きることが、人生の成功の近道であることを、鉄冠子は語っています。

    新字新仮名というのと、新字旧仮名というのがあって、新字新仮名を載せてあります。

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    目次








    底本データ
    底本: 蜘蛛の糸・杜子春
    出版社: 新潮文庫、新潮社
    初版発行日: 1968(昭和43)年11月15日
    入力に使用: 1989(平成元)年5月30日46刷
    校正に使用: 2004(平成16)年6月5日67刷

    53頁

  • 中国、唐代の伝奇小説「杜子春伝」が元ネタの翻案作品。
    主人公である杜子春は、仙人の鉄冠子によって何度も巨万の富を与えられるが、そのたびに浪費して使い果たし、元の貧乏生活に戻ってしまう。この繰り返しでお金のある生活の空虚さや人間の薄情さに気が付いた杜子春は、鉄冠子に弟子入りをする。その後杜子春は鉄冠子に何があっても声を発さないように、一度でも声を発したら仙人になることはできないと言われて山に取り残された。猛虎や神将に襲われたり、果ては地獄でエンマ大王に拷問されても何も言わずに耐えた杜子春だったが、自分の両親が無惨にも馬に変えられて痛めつけられ、その時母親の愛情に触れた杜子春は一言「お母さん」と口にしてしまう。

    現代文の教科書に載るぐらいの短さでさっさか読める。
    古い作品ながらも引き込まれるところはさすが。
    児童文学雑誌「赤い鳥」に掲載された童話なだけあって非常に教訓めいている。
    元ネタである杜子春伝では、声を出してしまい、愛を超越して俗世から抜けることが出来なかった杜子春を鉄冠子は嘆いているが、芥川版杜子春で鉄冠子は「もしお前が黙っていたら、おれはお前の命を絶ってしまおうと思っていたのだ。」などと言い、ここの双方の違いに芥川の明確なメッセージを感じる。
    人生とは…と考えさせられるし読みやすいので学生におすすめ。

  • 人間にとっての本当の幸福とは何だろうか。

    自由な生活、大金持ちになる、結婚するなど様々だろう。そんな「本当の幸福」について考えさせてくれるのが、この『杜子春』である。
     この物語は語りおり、主人公の杜子春と仙人と閻魔大王の登場人物達で構成されている。この小説の形式は語りが一貫していてるので、児童などでも読みやすい作品になっている。また、話自体も童話に似ているため、大人も子どもも楽しめるだろう。
     貧乏な杜子春が仙人に助けられ、お金を手に入れるが、数回繰り返しているうちに「人間に愛想が尽きた」といいお金を拒否し、弟子入りをしたいと頼む。お金によって一時的な幸せは得ることができる。だが、お金がなくなると同時に友人達も離れていくことをみて、人間の薄情さと結局お金持ちになっても本質的に幸せにはなっていないことに気がつく。これによって、お金に執着する人間の醜さを表しているのだろう。人間はお金に振り回されながら生きているのである。現代でもこれは通ずるものがあるのではないだろうか。
     場面は変わり、杜子春の修行が始まる。「決して言葉を発さない」という修行だが、色々な幻覚が杜子春を襲う。そして、杜子春は地獄に落ちる。ここまで、色々な苦悩に耐えていた杜子春であったが、馬に姿を変えられた両親の登場により耐えられなくなってしまう。閻魔大王が命令に従わない杜子春に腹を立て、馬の姿である両親を鉄の鞭で痛めつけるのだ。そこで杜子春は「おまえさえ幸せなら、それでいい。」という母親の声を聞く。母親はこんな苦しみにも耐え、恨むことなどせず、息子を思いやっているのだ。ここでは、前の場面で表されていた「金に溺れる人間の醜さ」と「母親の有り難い志」の対比が効果的に描写されている。杜子春は周りの人間の薄情さに失望していたが、母親の自分への思いやりに心を動かされる。そして、「お母さん」と一言叫ぶのである。
     杜子春は仙人にはなれなかったが、晴れ晴れとした表情を浮かべる。なぜ仙人になれなかったのに嬉しそうであったのか。それは、杜子春が「本当の幸せ」に気づいたからであろう。人間らしい、正直な暮らしをすることこそが本当の幸せであり、人の思いやりの温かさも知ることができたのである。現代でも、「金が全て」といったような言葉がある。しかし、大金持ちになることだけが本当の幸せなのだろうか。このような問いをこの作品を通して読者に投げかけているのだ。大切なことは、人を思いやり、お金に執着しない正直な暮らしをすることではないだろうか。

  • 他の方の感想文から元ネタがある作品であること、また元ネタとは異なる芥川氏のオチのつけかたであったことを知りました。
    それまではこの話は、あまりに描写がひどいので、杜子春が本来持っていた人間性を引き出し、本人に気づかせるための仙人の「しわざ」を描いたものだと感じていました。
    最後に、仙人が泰山の南の麓ふもとにあるという一軒の家をくれ、愉快そうに笑っていたのも、杜子春がまたやらかすのではないかと半ば楽しそうにした様子を描いたもので、結論としては、仙人とは決して高尚なものではないという話だと感じ、とても不穏な気持ちになりました。

  • 中国の「杜子春伝」とかいう古典を童話にした話とのこと。丁寧な文体で内容もスリムで短くて読みやすい。あとでオリジナルの方も読んでおこう。
    仙人に何度か金持ちにして貰った男が人間不信になり、もう金は要らないから仙人にしろと言う。仙人になるにはこれこれと約束させられるが、途中で母の愛に気づいて人間性を取り戻し禁を破ってしまう。道徳、美徳なオチが強引でちょっと残念かな。

  • ・中国の古典、鄭還古の『杜子春伝』を童話化したもの。
    ・法華七喩の衣裏繋珠に通ずる話ではある、
    ・浪費癖のある女房に使い切れないほどのお金を渡し、使うよりも金利で増える方が多いことをわからせると、彼女はケチになるという。金持ちがケチだというのも同じ理由からだ。
    ・先日、大金持ちの夫婦が殺された。また、お二人の大資産家(江副 浩正氏、鳩山 安子氏)がお亡くなりになった。
    ・いくらお金があっても、あの世にまで持っていけない。
    ・とはいえ、一生のうち、一度は使い切れないほどのお金を持つ苦しみを味わいたかったものだ。
    ・畑には桃の花ならぬ梅の花が咲き出した。

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