1876年(明治9)愛媛県松山生まれ。本名方存。日本キリスト教界の元老押川方義の長男。東京専門学校(早稲田大学の前身)在学中の1900年(明治33)、冒険科学小説『海底軍艦』(文武堂)を発表。多くの作品を残し、日本SFの祖と称される。また、雑誌『冒険世界』や『武侠世界』の主筆を務め、後進の作家や画家の育成に尽力。スポーツ社交団体「天狗倶楽部」を結成するなど、スポーツ振興活動も行った。過度の飲酒により、1914年(大正3)死去。
「2023年 『押川春浪幽霊小説集』 で使われていた紹介文から引用しています。」