今回私が読んだのは、平林初之輔の『或る探訪記者の話』である。
主題の通りこの作品は、記者である「僕」が、とある事件を取材した体験談を語る小説である。事件の発端は大学の教授であり、婦人科の医者である博士が「胎教」についての新学説を発表したことにはじまる。その博士の学説をまとめるとこうである。妊婦がある人物を崇拝したり、その人の思考に感化されるとおなかにいる胎児にそれが影響して、生まれてくる子供がその人物に似てくる。しかも、考え方などの精神的な面だけでなく容貌や体質などの肉体的にも似てくるという。この学説は素人には関心され、信じ込む者も多かったが、専門家たちはそうやすやすとは騙されまいと、博士の説をやっきになって否定した。そんな対立に折合はつかず、まもなく博士は教授の職を辞した。しかし世間では博士を信じるものが多く、彼のことを激励し大学側には罵倒の声があがった。この騒ぎが収まったころ、記者である「僕」はある違和感を感じる。あの名の知れた博士がでたらめな学説を堂々と発表するのはおかしい、何か裏があるのではないか。このことを部長に話すと「探れば何か出てくるかもしれない。これをしらべて特別記事にしたらどうだ。」と熱心に言われる。この特別記事というのは採用されると賞金が出ることになっている。「僕」は浅ましいと思いながらも賞金欲しさにこのことをしらべることにした。
この「僕」という男は探訪記者という仕事に特別誇りを持っているわけではない。むしろ、この職業だけは孫の代までさせたくないとまで言っている。探訪記者というのは、ただでさえ不快な世の中に、隠れている不幸までも明るみにしてますます暗黒にしていく職業だと語っている。しかしこの「僕」はこの仕事を辞める気は毛頭ない。なぜなら、「僕」がこの仕事をやめようとも誰かが自分の後釜にすわって自分と同じことをする。この仕事をやめて変わることといえば「僕」が仕事を失い路頭に迷うことくらいで社会にはなにも影響はないからだという。
この物語はそんな男の手帳にざらにある事件のうちの一つについてである。