作品は、『因果応報は、人の恐怖心から生まれる』というような作者の考え方を提示することから始まるが、
「どんなことを考えた上でこれからの話を始めるか?」を最初に示すような書き方は面白いなと思う。テレビドラマや現代の小説にはあまりないような・・・パッと思い出したのは、テレビドラマ「世にも奇妙な物語」のタモリさん辺りか。。
あと、お芝居の舞台作品だとこういうスタイルもあるだろうか。
人が恐怖心から、自ら恐怖を得るような事態を起こすというのは、興味深い。そしてその過程で起きた出来事が偶然ではなく「必然である」とするのも。
そして、その後の事件の話を読み終わったときの第一の感想は、
『おそろしい』『無念』『救いのない』というものだ。
良雄の悪疾(性感染症かなにかだろうか?)によって盲目になってしまったあさ子・・・見えていたものが見えなくなる恐怖は如何様なものか、我が身なら恐ろしくて、精神を病んでしまう。
その後、精神を病んでいく中であさ子が起こす、みるに堪えない様々な異常行動と、「すべて自分の人生の報いだ」と、自責と恐怖に失望する旦七。
ここで『因果応報の恐怖』がハッキリと顔を出すわけか。ふむふむ。
その後、良雄とその花嫁があさ子の怨みによって殺されるような形になったが、
「脳脊髄膜炎」とか「交感性眼炎」とか、病状悪化した原因や過程など急に明晰な語り口になり、『お、おぉぅ』と少し笑ってしまった自分は不謹慎だろうか。
「四谷怪談」を連想させた一方、また違う『怨念』『因果応報』の形を見せて頂いた。
また、作品冒頭で示された「複雑な必然」も、その意味がよく分かり尚更恐ろしくなるような形で作品終盤に表れる。
恐ろしくも、呪いや因果応報について底深い闇を垣間見た名作である。
しかしながら、あさ子の葬儀後に行方をくらました旦七の、なんと無念なことか・・・