1829(文政12)年─(明治30)年。津和野藩御典医の家系に生まれる。幼名は経太郎。藩校養老館で学ぶも、洋学を志し脱藩。その後津田真道らとオランダへの留学を経て、徳川慶喜の側近になる。王政復古後、沼津兵学校の頭取を務めるが、新政府への出仕を命じられ、官僚として近代軍制の整備にあたった。他方で、福澤諭吉や森有礼らとともに明六社に参加し、思想家としても活躍。「哲学」をはじめとして、多くの学術用語を翻訳したことで知られる。東京学士会院会長、元老院議官、貴族院議員等を歴任。主な著書に『百一新論』、「人生三宝説」。訳書に『万国公法』、『利学』など。
「2019年 『西周 現代語訳セレクション』 で使われていた紹介文から引用しています。」