日本改造法案大綱 [青空文庫]

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  • Wikipediaより

    北は、国家社会主義者として、1906年(明治39年)23才の時、千ページにおよぶ処女作「国体論及び純正社会主義」を刊行し、明治憲法における天皇制を激しく批判した。
    この中で、明治維新を革命とし『維新革命の本義は実に民主主義にあり』と説いた。すなわち、天皇の国家、天皇の国民ではなく、国民の天皇であり、天皇が一国民として、一般の国民と共に国家のために行動する『公民国家』こそが、『維新革命』(明治維新)の本来の理想ではなかったのか、との主張を展開した。

    内務省はこれを”危険思想”と見なし、直ちに発売禁止処分とし、北は要注意人物として特高警察の監視対象となった。 (参考 内務省による検閲)

    日本国内での発言と行動の場を奪われた北は、宮崎滔天に誘われ、孫文らの中国同盟会に入り、1911年(明治44年)中国の辛亥革命に宋教仁らとともに身を投じることとなった。

    1920年(大正9年)12月31日、北は、中国から帰国したが、このころから第一次世界大戦の戦後恐慌による経済悪化など社会が不安定化し、そうした中で1923年(大正12年)に「日本改造法案大綱」を刊行し『国家改造』を主張した。
    その内容は、言論の自由の保障、基本的人権尊重、華族制廃止(貴族院も廃止)、農地改革(農地解放)、普通選挙実施、財閥解体、私有財産の制限(累進課税の強化・強調)、皇室財産削減、等々、軍国主義に突き進んだ日本を倒した連合国による日本の戦後改革を先取りする内容が含まれる。

    その後、これら改革実現に向け二・二六事件を引き起こした青年将校達は、「日本改造法案大綱」そして『国家改造』に感化され事件を実行したとして、北自身は事件に直接関与していないが、当時の軍部や政府は、北を、事件の理論的指導者の内の一人であるとして、事件の翌年1937年(昭和12年)8月14日に、民間人にもかかわらず、特設軍法会議にかけ、非公開・弁護人なし・一審制の上告不可のもと、叛乱罪の首魁(しゅかい)として死刑判決を出した。

    死刑判決の5日後、事件の首謀者の一人とされた陸軍少尉の西田税らとともに、東京陸軍刑務所で、北は銃殺刑に処された。この事件に指揮・先導といった関与をしていない”北の死刑判決”は、極めて重い処分となった。

    これ以降、梅津美治郎や石原莞爾など陸軍首脳部は、内閣組閣にも影響力を持つなど、軍の発言力を強めていった。

    しかし、「国体論及び純正社会主義」「日本改造法案大綱」での『維新革命』『国家改造』の北の主張の多くが、第二次大戦後、GHQによる戦後日本の改革で実行に移された。

    なお、北は、辛亥革命の直接体験をもとに、大正4(1915)年から大正5年にかけて「支那革命外史」を執筆、送稿し、日本の対中外交の転換を促したことでも知られる。大隈総理や政府要人たちへの入説の書として書き上げた。また、日蓮宗の熱狂的信者としても有名である。

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