- 青空文庫 ・電子書籍
感想・レビュー・書評
-
「吉記」安元二年(高倉天皇朝)四月二十二日条に、賀茂祭の行列の状を記して、
右府生紀 兼康(駕鹿毛馬) 下部(虫襖上下、赤地錦衣付金銅鶴喰松)
左府生大江経弘(駕仁毛馬) 下部(蒲染打、付金銅洲浜葵等)
右志 中原重成(駕仁毛馬) 下部(白唐綾上下、紺衣付鶴)
左志 安倍資成(駕黒馬) 下部(虫襖上下、付小弓袋張皮度立等)
清原季光(駕仁毛馬) 下部(褐反上下、付金銅椋上具等)
中原清重(駕黒馬) 下部(花田打上下、付錦織機具等)
中原広基(駕仁毛馬) 下部(青地錦上下、鰭袖替赤地錦股立、同錦纐纈衣、有菊閉)
右尉 平兼隆 (不差剣尻鞘駕黒馬)御廏舎人(著赤色上下、山吹衣) 私舎人(著浅沓、相副、居飼如常) 童(濃香花田衣) 雑色(槿白衣)
下部(花田打紅衣、付金銅枇杷) 調度懸火長(如レ件)
左尉 平成清 (鹿毛馬) 舎人(香) 童(槿) 雑色(白襖) 下部(褐反上下、付金銅鷹並犬錦鷹犬飼等)
左尉 惟宗信房(黒鹿毛馬) 舎人(香) 童(槿) 雑色(白襖) 下部(葡萄染打上下、付棹懸色々衣)
左尉 平扶行 (栗毛馬) 舎人(香) 童(槿) 雑色(白襖花田衣) 下部(青打上下、付金銀板師子)
右大夫尉 康綱(栗毛馬) 舎人(香) 童(槿) 雑色(白襖花田衣) 下部(花田上下、付棹懸生衣、並帷大口)
とある。この記事によると所従の放免には一定の型はなく、各その主人の好みによって、華美と意匠とを闘わしたものであったらしい。この頃の祭にはひとり庁の下部ばかりでなく、他の舎人・童・雑色・口取なども、往々種々の付物を着けておった。同条に、
院の御牛の童(朽葉上下、青打出衣生単付杜若)
別の院の御牛の下部童(赤色上下、款冬打衣出之、生単付金銅葵)
院の御飾馬の御廏舎人時廉(二藍上下、款冬打衣生単、付金銅葵)
同口取右近将曹秦兼国(襖袴如常、付柏鉾棹舞装束等)
同 左近府生下毛野敦助(襖袴如常付護袋等)
引馬の御廏舎人国次(朽葉上下、葡萄染打衣、生単、付同葵)
同口取殿下右府生下毛野敦景(褐反上下、紅打衣、付結政所硯金銅筆墨等)
同 右番長秦兼長(二藍上下、紅打衣出、付透市女笠)((以下略))
具体的にどのような恰好をしていたか参考になる。
この時代、紀氏、大江氏、中原氏、清原氏、惟宗氏など大学寮で紀伝道、明経道、明法道の家系とおぼしき人々が多いのが注目される。詳細をみるコメント0件をすべて表示