基督信徒のなぐさめ [青空文庫]

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  • ユニテリアンについての記述があるので、少し、驚いた。
    もう、この時代には、あったんだ。。。

    「某宣教師は余はユニテリアンなりといえり」

    え?内村鑑三が、ユニテリアンだって???

    余は実に救主《きゅうしゅ》の贖罪を信ぜず自己の善行にのみ頼むユニテリアン[#「ユニテリアン」に傍線]ならざるか、伝道医師として有力なる某教師は余を狂人なりとの診断を下せり、

    余は実に知覚を失いしものなるや、教会全体は危険物として余を遠《とおざ》けたり、余は実に悪鬼の使者として綿羊の皮を蒙《かむ》りながら神の教会を荒すために世に産出《うみいだ》されし有害物なるか、余を悪人視するものは万人《まんにん》にして弁護するものは己《おのれ》一|人《にん》なり、

    -----------------------------------------------------

     余の神学上の思想についても、余の伝道上の方針についても、余の教育上の主義についても、余は余の真理と信ずる所を堅守するがために或は有名博識なる神学者に遠《とおざ》けられ、或は基督教会一般より非常の人望を有する高徳者より無神論者として擯斥《ひんせき》せられ、ついには教会全体より危険なる異端論者、聖書を蔑《ないがしろ》にする不敬人、ユニテリアン(悪しき意味にて)、ヒクサイト、狂人、名誉の跡を逐《お》う野望家、教会の狼、等の名称を付せられ、余の信仰|行蹟《こうせき》を責むるに止《とど》まらずして余の意見も本心もことごとく過酷の批評を蒙《こう》むるに至れり。
     ああ余は大悪人にあらずや、余は人も我も博識と見認《みと》めたる神学者に異端論者と定められたり、余は実に異端論者にあらざるか、余に先《さきん》ずる十数年以前より基督教を信じしかも欧米大家の信用を有し全教会の頭梁《とうりょう》として仰がるる某高徳家は余を無神論者なりといえり、余は実に無神論者にあらざるか、名を宗教社会に轟かし、印度に支那に日本に福音を伝うること十数年、しかも博士の号二三を有する老練なる某宣教師は余はユニテリアン[#「ユニテリアン」に傍線]なりといえり、余は実に救主《きゅうしゅ》の贖罪を信ぜず自己の善行にのみ頼むユニテリアン[#「ユニテリアン」に傍線]ならざるか、伝道医師として有力なる某教師は余を狂人なりとの診断を下せり、余は実に知覚を失いしものなるや、教会全体は危険物として余を遠《とおざ》けたり、余は実に悪鬼の使者として綿羊の皮を蒙《かむ》りながら神の教会を荒すために世に産出《うみいだ》されし有害物なるか、余を悪人視するものは万人《まんにん》にして弁護するものは己《おのれ》一|人《にん》なり、万人の証拠と一人の確信といずれが重きや、しからば余は基督信者にはあらざりしなり、余は自己を欺きつつありしものにして余の真性は悪鬼なりしなり、何ぞ今日《こんにち》よりは基督信徒たるの名を全く脱し普通世人の世涯《せいがい》に帰らざる、否《い》な、ここに留らずして余の今日まで基督教のために尽せし心実と熱心とを以て余を敵視する基督教会を攻撃せざる、何ぞ余の敵《あだ》の神に祈るを得んや、何ぞ余の敵の聖書を尊敬し研究するを得んや、余はユニテリアン[#「ユニテリアン」に傍線]なり、無神論者なり、偽善者なり、神の教会に属すべからざるものなり、狼なり、狂人なり、よし今よりのちはユーム[#「ユーム」に傍線]、ボーリンブローク[#「ボーリンブローク」に傍線]、ギボン[#「ギボン」に傍線]、インガソール[#「インガソール」に傍線]の輩を学び一刀を基督教の上に試みばや。
     この時にあたって余の信仰は実に風前の燈火《とうか》のごとくなりし、余は信仰堕落の最終点に達せんとせり、憤怨は余をして信仰上の自殺を行わしめんとせり、余の同情は今は無神論者の上にありき、ジョン、スチワート、ミル[#「ジョン、スチワート、ミル」に傍線]の死を聞《きき》て神に感謝せし某監督の無情を怒れり、トマス、ペーン[#「トマス、ペーン」に傍線]の臨終の状態を摘要して意気揚々たる神学者の粗暴を歎ぜり、ああ幾干《いくばく》の無神論者は基督教信徒自身の製造に罹《かか》るや、余はかつて聞けり、無病の人をして清潔なる寐床《ねどこ》の上に置きしかして彼は危険なる病に罹れる患者なれば今は病床の上にありと側《かたわら》より絶えず彼に告ぐれば無病健全なる人も直《ただち》に真正の病人となると、人を神より遠《とおざ》からしめ神の教会を攻撃せしむるものは必しも悪鬼とその子供にあらざるなり。


    参照した文献

    https://navymule9.sakura.ne.jp/ellipse_as_human_entity.html

    真理は円形にあらず楕円形である(内村鑑三)
    The Truth is not round but elliptical form (ellipse)

    (1878年)6月2日には、アメリカ・メソジスト 教会のM.C.ハリスから洗礼を受ける。洗礼を受けた若いキリスト者達は、日曜日には自分達で集会(「小さな教会」と内村は呼ぶ)を開き、幼いながらも真 摯な気持ちで信仰と取り組んだ。そして、メソジスト教会から独立した自分達の教会を持つことを目標とするようになる。


    1885年(明治18年)ころ、札幌農学校同期の新渡戸稲造また、佐伯理一郎とともにフィラデルフィア近郊の親日的クエーカー教徒のウィスター・モリスと親交を持つ。……内村はペンシルベニア大学で医学と生物学を学び医者になる道を考えていた。カーリン夫人はユニテリアンでハーヴァード大学で学ぶことを勧めたが、米国滞在中の新島襄の勧めで、9月に新島の母校でもあるマサチューセッツ州アマーストのアマースト大学に選科生として3年に編入し、新島の恩師J・H・シーリー(Julius Hawley Seelye) の下で伝道者になる道を選んだ。在学中、アマースト大学の総長であり牧師でもあるシーリーによる感化を受け、宗教的回心を経験した。1887年(明治20 年)に同大学を卒業し、Bachelor of Science(理学士)の学位を受ける。続けてシーリーの勧めで、コネチカット州のハートフォード神学校(Hartford Seminary)に入学するが、神学教育に失望し、1888年(明治21年)1月まで学業を続けたが退学。神学の学位は得ないまま、5月に帰国。


    ●内村の宇宙観

    「真理は円形にあらず、楕円形(だえんけい)であ る。  一個の中心の周囲に描かるべ きものにあらずして、  二個の中心の周囲に描かるべきものである。 あたかも地球その他の遊星の軌道のごとく、 一個の太陽の周囲に運転するにかかわらず、 中心は二個あ りて、その形は円形にあらずして楕円形である。 有名なるアインシュタインの説によ れば、 宇宙そのものが円体にあらずして楕円形であるという。 人は何事によらず円満と称して円形を要求するが、 天然は人の要求に応ぜずして楕円形を採るはふしぎである。 楕円形は普通にこれをいびつと言う。 曲がった円形である。 決してうるわしきものではない。 しかるに天然は人の理想に反して、 まる形よりも、いびつ形を選ぶという。  ふしぎでないか。 そして真理は曲がり形(なり)のいびつ、 すなわち楕円形であるとわれらは言うのである。 すなわち、その中心は二個であって、一個にあらずと言うのである。 哲学的に言えば、物と霊とがある。 エキステンションとソートである。 万物に二方面があって、一は全く他とその素質を異にする。 もし思想の上より言うならば、 万物ことごとく物なりと言い得るならば、 説明はいたって簡単になり、 円満なる哲学を組み立つることができるが、 しかしながら、事実としての霊の存在を拒むことあたわざるがゆえに、 ここに問題は複雑になるのである。 万物を霊と見るも同じである。 物の存在を否定するあたわざるがゆえに、 いわゆる霊的哲学を組み立つることができない。 デカルトをもって始まり、 スピノザ、ライプニツ、カントを経て今日に至るも、 この根本問題を円満に解決することができない。 古い禅宗の歌に、 「麻糸の長し短しむずかしや有無の二つをいかに判別(わか)たん」 というのがあるが、そのごとくに、 物と霊とを判別し、物をもって霊を説明せんとするは、 霊をもって物を説明せんとするがごとくに難(かた)くある。

    キリストは神であって、また人である。 ユニテリアン教のように、 キリストは神にあらずして人なりと言えば、 説明は簡単、明瞭であるが、 人は全体にその説明をもって満足しない。 キリストの人たるは疑わないが、 彼にまた神らしきところがある。 彼は同時に人であってまた神である。 説明は円満を欠く。 解するに、いたって難い。 しかし事実なるをいかんせん。 われらは不可解と承知しつつキリストの神人両性を信ずる。 頭脳に彼を受くるは難いが、 心は彼をもって満足する。 しかり、彼ならずば満足しない。

    彼はただの「やさしいイエス様」でなかった。 彼はラザロの墓に涙を流したまえり といえども、また「悪魔よ、後ろに退け」と言いて、 弟子ペテロを叱咤したもうた。 (略)そして主がそうであったから弟子もまた、そうである。(略) 人は使徒ヨハネを特別に「愛の使徒」というが、 しかし12使徒のうちに実はヨハネほど、こわい人はなかった。(略) 愛することと、はなはだしく憎むこと、 はなはだしきがヨハネの特性であった。

    内村鑑三著 『聖書之研究』より:テキスト出典は、https://ameblo.jp/shalom1313/entry-11690021406.html です。
    ●ユニテリアン主義(Unitarianism)

    「キリスト教正統派教義の中心である三位一体(父と 子と聖霊)の教理を否定し、神の唯一性を強調する主義の総称をいう。ユニテリアンはイエス・キリストを宗教指導者としては認めつつも、その神としての超越 性は否定する。キリスト教正統派の中心教義を否定しているため、正統派キリスト教とは区別される。ユニテリアンの思想的先駆者はソッツィーニ派(Socinianism)、およびその 一団でポーランド王国で1556年1月22日に活動を開始し、のちにポーランド・リトアニア共和国で広まったポーランド兄弟団(Polish Brethren) である。彼らはユニテリアンの思想を確立していたが、「ユニテリアン」という用語はしばらくの間使用しなかった。これとは別に、1567年にトランシル ヴァニア(当時はハンガリー王国で現在はルーマニア)で「ユニテリアン」を自称する教団が成立している。ポーランド兄弟団はこのあともしばらく「ユニテリ アン」の用語を使用しなかったが、これは世の中にトランシルヴァニアでの宗教運動と自分たちの運動とを内容的に混同されることを避けたものと推測されてい る」ユニタリアニズム)

    "Unitarianism (from Latin unitas "unity, oneness", from unus "one") is a Christian theological movement named for its belief that the God in Christianity is one person, as opposed to the Trinity (tri- from Latin tres "three") which in many other branches of Christianity defines God as three persons in one being: the Father, Son, and Holy Spirit. Unitarian Christians, therefore, believe that Jesus was inspired by God in his moral teachings, and he is a savior, but he was not a deity or God incarnate. As is typical of dissenters, Unitarianism does not constitute one single Christian denomination, but rather refers to a collection of both extant and extinct Christian groups, whether historically related to each other or not, which share a common theological concept of the oneness nature of God."- Unitarianism.

    ''To make my country as strong as Europe or America," was the prime aim of my life, and I welcomed Christianity as I thought it a great engine for carrying out this design. -Kanzo Uchimura, from his diary Jan. 25,1885
    ●三位一体のイデオロギーは381年の「ニカイア・ コンスタンティノポリス信条」から

    "Πιστεύω εἰς ἕνα Θεόν, Πατέρα, Παντοκράτορα, ποιητὴν οὐρανοῦ καὶ γῆς, ὁρατῶν τε πάντων καὶ ἀοράτων. Καὶ εἰς ἕνα Κύριον Ἰησοῦν Χριστόν, τὸν Υἱὸν τοῦ Θεοῦ τὸν μονογενῆ, τὸν ἐκ τοῦ Πατρὸς γεννηθέντα πρὸ πάντων τῶν αἰώνων• φῶς ἐκ φωτός, Θεὸν ἀληθινὸν ἐκ Θεοῦ ἀληθινοῦ, γεννηθέντα οὐ ποιηθέντα, ὁμοούσιον τῷ Πατρί, δι' οὗ τὰ πάντα ἐγένετο. Τὸν δι' ἡμᾶς τοὺς ἀνθρώπους καὶ διὰ τὴν ἡμετέραν σωτηρίαν κατελθόντα ἐκ τῶν οὐρανῶν καὶ σαρκωθέντα ἐκ Πνεύματος Ἁγίου καὶ Μαρίας τῆς Παρθένου καὶ ἐνανθρωπήσαντα. Σταυρωθέντα τε ὑπὲρ ἡμῶν ἐπὶ Ποντίου Πιλάτου, καὶ παθόντα καὶ ταφέντα. Καὶ ἀναστάντα τῇ τρίτῃ ἡμέρα κατὰ τὰς Γραφάς. Καὶ ἀνελθόντα εἰς τοὺς οὐρανοὺς καὶ καθεζόμενον ἐκ δεξιῶν τοῦ Πατρός. Καὶ πάλιν ἐρχόμενον μετὰ δόξης κρῖναι ζῶντας καὶ νεκρούς, οὗ τῆς βασιλείας οὐκ ἔσται τέλος. Καὶ εἰς τὸ Πνεῦμα τὸ Ἅγιον, τὸ κύριον, τὸ ζωοποιόν, τὸ ἐκ τοῦ Πατρὸς ἐκπορευόμενον, τὸ σὺν Πατρὶ καὶ Υἱῷ συμπροσκυνούμενον καὶ συνδοξαζόμενον, τὸ λαλῆσαν διὰ τῶν προφητῶν. Εἰς μίαν, Ἁγίαν, Καθολικὴν καὶ Ἀποστολικὴν Ἐκκλησίαν. Ὁμολογῶ ἓν βάπτισμα εἰς ἄφεσιν ἁμαρτιῶν. Προσδοκῶ ἀνάστασιν νεκρῶν. Καὶ ζωὴν τοῦ μέλλοντος αἰῶνος. Ἀμήν"- πηγή .
    "Credo in unum Deum, Patrem omnipotentem, factorem caeli et terrae, visibilium omnium et invisibilium. Et in unum Dominum Jesum Christum, Filium Dei unigenitum, et ex Patre natum ante omnia saecula. Deum de Deo, Lumen de Lumine, Deum verum de Deo vero, genitum non factum, consubstantialem Patri; per quem omnia facta sunt. Qui propter nos homines et propter nostram salutem descendit de caelis. Et incarnatus est de Spiritu Sancto ex Maria Virgine, et homo factus est. Crucifixus etiam pro nobis sub Pontio Pilato, passus et sepultus est, et resurrexit tertia die, secundum Scripturas, et ascendit in caelum, sedet ad dexteram Patris. Et iterum venturus est cum gloria, iudicare vivos et mortuos, cuius regni non erit finis. Et in Spiritum Sanctum, Dominum et vivificantem, qui ex Patre (Filioque) procedit. Qui cum Patre et Filio simul adoratur et conglorificatur: qui locutus est per prophetas. Et unam, sanctam, catholicam et apostolicam Ecclesiam. Confiteor unum baptisma in remissionem peccatorum. Et expecto resurrectionem mortuorum, et vitam venturi saeculi. Amen."

    "We believe in one God, the Father, the Almighty, maker of heaven and earth, of all that is, seen and unseen. We believe in one Lord, Jesus Christ, the only Son of God, eternally begotten of the Father, God from God, Light from Light, true God from true God, begotten, not made, of one Being with the Father. Through him all things were made. For us and for our salvation he came down from heaven: by the power of the Holy Spirit he became incarnate from the Virgin Mary, and was made man. For our sake he was crucified under Pontius Pilate; he suffered death and was buried. On the third day he rose again in accordance with the Scriptures; he ascended into heaven and is seated at the right hand of the Father. He will come again in glory to judge the living and the dead, and his kingdom will have no end. We believe in the Holy Spirit, the Lord, the giver of life, who proceeds from the Father and the Son. With the Father and the Son he is worshiped and glorified. He has spoken through the Prophets. We believe in one holy catholic and apostolic Church. We acknowledge one baptism for the forgiveness of sins. We look for the resurrection of the dead, and the life of the world to come. Amen."


    wikipediaの説明

    ユニテリアン主義

    出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

    ユニテリアン主義(ユニタリアン主義 、ユニタリアニズム、英語:Unitarianism)とは、

    キリスト教正統派教義の中心である三位一体(父と子と聖霊)の教理を否定し、
    神の唯一性を強調する主義の総称をいう[1]。

    ユニテリアンはイエス・キリストを宗教指導者としては認めつつも、
    その神としての超越性は否定する。

    キリスト教正統派[要検証 – ノート]の中心教義を否定しているため、
    正統派[要検証 – ノート]キリスト教とは区別される[1]。

    概要
    ユニテリアンの思想的先駆者はソッツィーニ派、およびその一団でポーランド王国で1556年1月22日に活動を開始し、のちにポーランド・リトアニア共和国で広まったポーランド兄弟団(英語版)である[2]。彼らはユニテリアンの思想を確立していたが、「ユニテリアン」という用語はしばらくの間使用しなかった。これとは別に、1567年にトランシルヴァニア(当時はハンガリー王国で現在はルーマニア)で「ユニテリアン」を自称する教団が成立している。ポーランド兄弟団はこのあともしばらく「ユニテリアン」の用語を使用しなかったが、これは世の中にトランシルヴァニアでの宗教運動と自分たちの運動とを内容的に混同されることを避けたものと推測されている。

    この宗教思想が流入してきたイギリスではしばらくの間かれらは自由思想家や非国教徒として位置付けられ、また合理主義やヒューマニズムの思想を発展させたという説もある。

    アメリカで1825年に設立されたアメリカ・ユニテリアン協会(英語版)は、南北戦争など奴隷廃止運動の中では、穏健派と超絶主義者の対立がありつつもリンカーン大統領の推進する奴隷解放を支援した。一方、明治維新後に来日した宣教師たちは、教育勅語については受容的であった[3]。

    1920年代のイギリスでは、マンチェスターでユニテリアン主義者が人口の大半を占めていた[4]。

    ユニテリアン主義の諸形式
    ユニテリアン主義には4つの派がある。

    聖書的ユニテリアン派(Biblical Unitarianism)

    伝統的に用いられてきた三位一体の神学に反し、『神は唯一の位格のみをもつ父なる一体の存在であり、イエスはメシアであり神の子であるが、神その人ではない』と主張するユニテリアン派閥。神の子の解釈は宗派によって異なり、先在する存在(アリウス派)、神のロゴスとイエスという人間の交わりの賜物(セルヴェ派)、イエスが聖霊によって満たされることで神の子となった(ソチニアニスム)などと理解される。聖書的ユニテリアン派はトランシルヴァニアで発生した。ルーマニアのトランシルヴァニア地方、ハンガリー、フランス、一部のアフリカの国々におけるユニテリアンの主たる神学である。著名な聖書的ユニテリアンにはミシェル・セルヴェ、ファウスト・ソッチニ、アイザック・ニュートンがいる。1840年代から、キリスト・アデルフィアン派がこの伝統の近代的な相続人となった[要出典]。

    合理的ユニテリアン派(Rational Unitarianism)

    伝統的に用いられてきた三位一体の神学に反し、『神は唯一の位格のみをもつ父なる一体の存在であり、イエスは神の子ではなく、他者をよりよい生を生きることができるように導いた善良で賢明な人に過ぎない』と主張するユニテリアン派閥。合理的ユニテリアン派の思想は、ポーランド兄弟団による自由主義的な神学から発生した。この説を唱えた人々は、宗教に対しても極めて合理的なアプローチを行い、聖書に記される奇跡の多く(処女降誕も含めて)に関し否定的ないし懐疑的立場をとった。彼らは社会の段階的変革を奉じ、性善説を唱え、ローマ・カトリック教会によって定められたキリスト教の教義の多くを捨てた。合理的ユニテリアン派は、神が創造を行う人格的存在である、と考える点において、神を非人格的存在と考える理神論とは一線を画する。著名な合理的ユニテリアンには、聖職者にラルフ・ワルド・エマーソン、科学者にジョゼフ・プリーストリーやライナス・ポーリング、人道主義者にスーザン・B・アンソニー、フローレンス・ナイチンゲール 、文学にチャールズ・ディケンズ、芸術にフランク・ロイド・ライトなどがいる。ハンガリーのユニテリアン派にも合理的ユニテリアン主義を唱える者がいる。また、世界で唯一のユニテリアン派高校である、ルーマニア・コロジュヴァールのヤーノシュ・ジグモンド・ユニテリアン高等学校(ヤーノシュ・ジグモンド・ウニターリウシュ・コッレーギウム János Zsigmond Unitárius Kollégium)は、合理的ユニテリアン主義によって教育を行っている。


    ユニテリアン・ユニヴァーサリズム(Unitarian Universalism)

    ユニテリアン・ユニヴァーサリズムの組織に入るために要求される公的に定められた信条や信仰規定は存在しない。これはUUが1961年にアメリカ合衆国にてユニテリアン派とユニヴァーサリズム派が合併することで成立しているためである。アメリカ合衆国では、このことをうけて、多くの信徒が「ユニテリアン・ユニヴァーサリスト」(UU)を自認している。今日では、UUの多くは自分がキリスト教徒ではないと考えている(ただし、教義上はキリスト教主流派と重なる部分も少なくない)。[5]キリスト教徒を自認する者についても、どのような教義を信じるかは各信徒の自由に任せられているが、多くの場合、三位一体についてはこれをドグマであるとして拒否されている。UUは彼らを束ねるものとして、教義ではなく、一連の行動原理を奨励するのである。著名なユニテリアン・ユニヴァーサリストにはティム・バーナーズ=リー(WWWの開発者)、ピート・シーガー、カート・ヴォネガットやクリストファー・リーヴがあげられる。

    福音ユニテリアン派(Evangelical Unitarians)

    19世紀以来、福音主義運動や、信仰復興運動の一部でユニテリアン派の神学が利用された。福音ユニテリアン派の神学はかなり多様であり、ソチニアニスム(イエスは受胎・出産以前には存在していなかった死すべき人間であり、聖霊に満たされることによって、初めて不死となり、神性をもったとする)的な考え方もあれば、サベリウス主義(イエスは神が具現した者であり、神の代弁者であるが、三位一体の位格の一ではないとする)的な考え方もある。しかし福音ユニテリアンはみな「聖書の唯一性」(Sola Scriptura)への強い信念、そして聖書は神の言葉であり、間違っていないという考えにおいては共通している。キリストアデルフィアン派などは福音ユニテリアン派のいくつかの特性を持っている。他の現代の三位一体を否定する教会、例えばフィリピンに本拠をおくイグレシア・ニ・クリスト(Iglesia ni Cristo)も思想的には福音ユニテリアン派に分類しうるが、これらの教会は、混乱を避けるために「ユニテリアン」を称することを拒否している。エホバの証人も、独特の形であるが、ユニテリアン的(非三位一体)な神学をもつ。
    ユニテリアン主義のそれぞれの派は、互いに関連しあいながら発展してきている。歴史的にはアリウス派をその先駆とする聖書的ユニテリアン思想が最も古く、次にポーランド兄弟団を先駆とする合理的ユニテリアン思想である。UUは最も新しい。地理的には、ヨーロッパにおける現代のユニテリアン派の多くは聖書的ユニテリアンか、合理的ユニテリアンであり、アメリカ合衆国とカナダではユニテリアン・ユニヴァーサリズムが主流である。福音ユニテリアン派は福音派の一部分でありユニテリアンの自意識は弱く、大半はアメリカ合衆国かイギリスにある。現在、福音ユニテリアン派を除き、世界のユニテリアン主義の組織・団体の多くは、1995年に創設された、国際ユニテリアン・ユニヴァーサリスト協会(ICUU: International Council of Unitarians and Universalists)に所属している。

    日本での歴史

    ユニテリアン
    日本でユニテリアン教が一般に紹介されたのは、1886年(明治19年)年ごろで、翌1887年(明治20年)12月には福澤諭吉や金子堅太郎らの招聘により、アメリカ・ユニテリアン協会からアーサー・メイ・ナップ牧師が来日し、ユニテリアン・ミッションのための調査活動を開始した[6]。

    日本では、月刊誌『ゆにてりあん』が発行された。また、かつて薩摩藩邸のあった東京都港区芝2丁目の土地に、ジョサイア・コンドルの設計になる「唯一館」が建てられ、講演会を開催するなど盛んに宣伝を行った。社会主義者の村井知至や安部磯雄らを通して、日本の社会運動に影響を与えた[7]。一方、福沢諭吉は日本でしか通用しない教育勅語に変わる道徳の啓蒙団体としてユニテリアンを支持していたが、その思いは通じずに晩年にはむしろ裏切られたという[3]。

    1924年(大正13年)ごろ、アメリカ・ユニテリアン協会は日本から撤退し、惟一館は日本労働総同盟が買収した。その資金はカンパの3.7万円や、安部磯雄、賀川豊彦、新渡戸稲造、吉野作造が参加する日本労働会館建設後援会からの寄付金9907円であった[注釈 1]。惟一館は1931年には管理会社として設立された財団法人日本労働会館が管理するようになった。

    戦後は日本自由宗教連盟・東京帰一教会やユニテリアン友の会、ユニテリアン友の集いなどが結成され、今岡信一良などが中心となって活動した。惟一館の名称はのちに「三田会館」、現在は「友愛会館」またはホテル「ローズステイ東京芝公園」となり、日本労働会館も入居している。

    ユニヴァーサリスト
    1890年(明治23年)にアメリカ合衆国のユニテリアン・ユニバーサリストの宣教師G・L・ペリンが来日する[9]。ペリンは東京飯田町に中央会堂を建設した。中村正直らの勧告により「宇宙神教」の訳語が採用された。1909年(明治42年)に「日本同仁教会」と改称された。1941年に日本基督教団に合流する。戦後に再び分離し、現在は基督教同仁社団・同仁キリスト教会として活動し、幼稚園なども運営している。明治時代には星野久成、吉村秀蔵、赤司繁太郎など、戦後は千代崎幸弘らが牧師であった。[10]

    アメリカでは1961年にユニテリアンとユニヴァーサリストが合同してユニテリアン・ユニヴァーサリスト協会(Unitarian Universalist Association)を結成した。それ以来ユニテリアンとユニヴァーサリストの境目はあまり強調されなくなっている[11]。


    ユニテリアン・ユニヴァーサリズム

    出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

    ユニテリアン・ユニヴァーサリズム(Unitarian Universalism:通称UU) は
    「真理と意味の追求を自由にかつ責任を持って行うこと」を特徴としたリベラルな宗教で
    本拠地はアメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン。

    1961年にユニテリアンとユニヴァーサリストが合同してユニテリアン・ユニヴァーサリスト協会(Unitarian Universalist Association)が結成された。

    キリスト教から派生し、キリスト教正統派教義である三位一体を否定する。
    彼らはキリスト教徒を自認せず、
    米国の国勢調査ではキリスト教に含まれず
    「その他の宗教」に分類されている[1]。

    概要
    UUは共通の教義を持たず、むしろスピリチュアルな成長に向け助け合い追求すること、個人の思想信仰は権威への服従からではなく追求の結果から生じるという信条によって団結している。ユニテリアン等のプロテスタントの各派から派生したが、現在は仏教など様々な宗教や思想も取り入れている。礼拝では賛美歌を歌ったりするなどキリスト教の一面も持つが思想信仰は各教会やメンバー個人に任され、教会やメンバーは必ずしもキリスト教徒を自認していない。グループによっては教会と名乗らないこともあり、神を信じる事の有無にかかわらず参加している。

    ユニテリアン・ユニヴァーサリスト協会(英語版) (UUA)は、1961年にアメリカ・ユニテリアン協会(AUA)とUniversalist Church in America(UCA)の合併により成立し、北米の教会と緩やかに連帯している。UUA は1,000 以上の教会(congregation)と217,000 人の信者を持つ。コングリゲーショナル方式により各教会を緩やかにまとめ、各々の教会の自治権が大きいのが特徴である。教義を始め日々の教会運営から牧師の選定まで各支部(教会)の運営委員会の判断に委ねられている。運営委員会は一般信者と牧師で構成され毎週の礼拝、各種のグループ、ボランティア、会計、牧師との連携、地域との関わり等教会活動の殆どすべてに責任を持つ。

    プロフィール
    ユニテリアン・ユニバーサリズムはメンバー(UU教徒)が自由に思想・信仰を決める事ができる。これにより宗教的多元性、多文化の伝統を尊重し同じ教会内でも複数の信仰や活動を認めている。例えば水曜日の夜に座禅のグループ、木曜日にはクエーカーのセミナー、日曜日には礼拝を行うといった具合である。このことから折衷的宗教であるとされている。UU教徒は自分の信仰が唯一無二の真実であるとか他宗派に対しての優越性を主張しないことが多い。「宗教学(theology)を創る」という勉強会もある。

    多くのUU教徒は自身のことをヒューマニストであるとしている。他のUU教徒はキリスト教、仏教、ユダヤ教や自然崇拝、無神論、不可知論、博愛主義等をUUと同時に信仰している。中には教義の名前を特に使用せず様々な信仰を組み合わせている信者もいる。このような多様性はUU教徒から運動の利点と考えられていると同時に、各自比較的統一された教義と習慣を持つ(カトリック、プロテスタント、ユダヤ教、大乗仏教等)各宗教団体の中には教義を持たないUUを支持しない所も多い。UUは個人が自己や社会、自然との繋がりの中で各自意味を追求することを重要視し、決められたドグマを持たないからであるとされている。

    以下、 ユニテリアン主義より加筆引用。

    ユニテリアン・ユニヴァーサリズムの組織に入るために要求される公的に定められた信条や信仰規定は存在しない。これはUUが1961年にアメリカ合衆国にてユニテリアン派とユニヴァーサリズム派が合併することで成立しているためである。アメリカ合衆国では、このことをうけて、多くの信徒が「ユニテリアン・ユニヴァーサリスト」(UU)を自認している。今日では、UUの多くは自分がキリスト教徒ではないと考えている(ただし、教義上はキリスト教主流派と重なる部分も少なくない)。キリスト教徒を自認する者についても、どのような教義を信じるかは各信徒の自由に任せられているが、多くの場合、三位一体についてはこれをドグマであるとして拒否されている。UUは彼らを束ねるものとして、教義ではなく、一連の行動原理を奨励するのである。著名なユニテリアン・ユニヴァーサリストには第6代アメリカ合衆国大統領ジョン・クィンシー・アダムズ、作家・思想家のラルフ・ワルド・エマーソン、ティム・バーナーズ=リー(WWWの開発者)、ピート・シーガー、カート・ヴォネガットやクリストファー・リーヴがあげられる。アダムズとエマーソンはユニテリアンであった。

    ユニテリアン主義からの引用終わり。

    批判
    正式な教義を持たない
    キャロル・キートン・ストレイホーン(Carole Keeton Strayhorn)はユニテリアン・ユニヴァーサリズムは正式な教義を持たない為宗教ではないと批判した。しかし後に主張を翻している[2]。

    他宗教からの借用
    近年UUは「あまりに無作為に」他宗教の儀式や習慣を借用していると仏教徒やネイティブアメリカンの団体等から批判されている[3][4]。

    日本宣教

    同仁キリスト教会(東京都文京区)
    1890年(明治23年)アメリカの本部から、宣教師G・L・ペリンが来日して、1890年年末に東京飯田町に中央会堂を建した。中村正直らの勧告によって、宇宙神教と訳されたが、1909年(明治42年)には「日本同仁教会」と改称された。1941年に日本基督教団に吸収合併されたが、戦後離脱して、基督教同仁社団・同仁キリスト教会として活動し、幼稚園なども運営している。

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著者プロフィール

1861年生まれ、1930年没。思想家。父は高崎藩士。札幌農学校卒業後、農商務省等を経て米国へ留学。帰国後の明治23年(1890)第一高等中学校嘱託教員となる。24年教育勅語奉戴式で拝礼を拒んだ行為が不敬事件として非難され退職。以後著述を中心に活動した。33年『聖書之研究』を創刊し、聖書研究を柱に既存の教派によらない無教会主義を唱える。日露戦争時には非戦論を主張した。主な著作は『代表的日本人』、『余は如何にして基督信徒となりし乎』など。
佐藤優
作家、元外務省主任分析官。1960年、東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。現在は、執筆活動に取り組む。著書に『国家の罠』(新潮社)で毎日出版文化賞特別賞受賞。『自壊する帝国』(新潮社)で新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞。おもな著書に『国家論』(NHKブックス)、『私のマルクス』(文藝春秋)、『世界史の極意』『大国の掟』『国語ゼミ』(NHK出版新書)など。『十五の夏』(幻冬舎)で梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞。ほかにも著書多数。

「2021年 『人生、何を成したかよりどう生きるか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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