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感想・レビュー・書評
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色覚異常のテストとして世界的に使われる「石原検査表」の成り立ち・伝播の所以と原理を解説した内容.プリンター技術も未熟だった時代に正しい色合いの表をきちんと作るのは大変だったのではないかと推察されるが,その辺りの苦労話は出ていなかった.原理について,赤緑が弱い人にとり相対的に強く見える青黄の差を載せることで,色覚異常の人にしか読めない絵を作れるというのは勉強になった.
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── 石原 忍《色盲検査表の話 2010101 青空文庫》
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/7/055751
…… 先年一人の鉄道の運転手が来て云うには、「自分は身体検査の時
に、色盲だと云われたが、色は何でもよく見えるので、未だ嘗て間違え
たことがない。この草履の鼻緒の赤いのなどは、よく見える」と、色盲
と云われたのが大に不平の様子であった。しかしその時の草履の鼻緒は
実は濃い緑色であったのである。
…… 明治八年(1875)の事である。この年に瑞典で汽車が衝突して、
九人の死者ができたのを、同国の生理学者ホルムグレーンが調査して、
その衝突の原因は運転手が色盲であって、信号を看過ったのであると云
うことを発見した。それ以来人々が色盲の危険なことを知って、注意し
始めた。ところが、その頃、頻々として同様の事件が起ったのである。
今その二三を挙げると、同じく明治八年に、英国ノーフォルクの近海で、
汽船が衝突した。これは一方の船長が色盲で、緑燈を赤燈と看過って舵
をとったからである。明治十年(1877)二月に西斑牙の砲艦「マリネロ」
が帆船に衝突して、これを沈没させたのは、帆船の船長が色盲で、砲艦
の船燈を白色の港火と間違えたからである。
また明治十二年(1879)には、ギボラの港で帆船「テレサ」が沈没し
た。これは船長が海岸の赤い港火を建物の白い火と間違えたからである。
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B008YDM7SS
── 石原 忍《石原式色盲検査表 19160101 半田屋出版部》
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B0096I23FM
石原 忍 眼科医 18790925 東京 19630103 84 /陸軍軍医少将/東京帝国大学教授
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19160101
石原式色盲検査表 三 色盲のために起った過誤
Ex libris Web Library;
Holmgren, Frithiof 18311022 Sweden 18970814 66 /Alarik, född den 生理学
…… 1875年11月15日の早朝、スウェーデンのウプサラ県ラゲルルンド
で蒸気機関車が正面衝突して9人が死亡した事故を調査し、この事故で
機関士と給油係は死亡したため、本当にこの2人が色覚異常だったのか
調べるすべはなかったのだが、ホルムグレンは色覚異常が原因だったと
結論付けた。その後、スウェーデンの鉄道の運転手を検査し、266名中
13名が異常であることを発見した。 ラゲルルンドで起きた事故の記録
によると、機関士と駅長が規則に違反した運行をしたために、正面衝突
という結果を招いたとある。運転士は亡くなったため、彼が本当に色覚
異常を持っていたのかは不明。
それを受けて、スウェーデンでは色盲に対する関心が高まっていき、
1876年に率先して鉄道員及び船員に色盲検査を施行することの規定を設
けた。その翌年、ドイツが、1879年にはオーストリアがこれに倣い、
ついで日本でもこれを実施するようになった。
主な功績
1877年、「色盲とその鉄道及び船舶との関係」という本を出し、これ
がヨーロッパ各国に翻訳された。それにより世界各国で、鉄道従事者や
船員や軍人、警察官、医師、教員などに制限が始まる。色覚に異常を持
つ者はこういう仕事につかないほうがいい、あるいはついてはいけない、
といった制限が開始されます。
ホルムグレーンはホルムグレーン色盲検査を考案した。この検査では、
色のついたウールの糸かせの中から、基準となる3種類の糸かせと合う
ものを選択させる。現在でも使用されている。(Wikipedia)
(20171110)