刺青 [青空文庫]

  • 青空文庫 (2016年7月30日発売)
  • 新字新仮名
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感想・レビュー・書評

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  • 江戸時代が舞台の作品である。この時代は美しいものが強者であり、醜いものは弱者であった。そのため美しくあろうと努めたものは、体に刺青を入れるようになった。作中では刺青のことを絵の具と表している。そんな時代に清吉という若い彫り物師がいた。清吉は刺青の名手であり、刺青会で評判が高いものの多くは清吉の作品であった。しかし清吉は誰にでも刺青を施すわけではなかった。清吉のおめがねにかなう者でないと刺青を彫ってもらえず、彫ってもらえたとしても構図や費用など自分で決める権利はなかった。また、清吉は彫っている最中に客が痛がるのを面白がるようなところがあり、いわゆるサディストであった。そんな彼には長年の夢があった。それは、絶世の美女に刺青を入れることであった。しかしそんな美女はなかなか現れなかった。そんな時清吉のもとに若い娘が訪ねてきた。その娘は若いがどこか色気があり清吉の理想の女性であった。清吉はそんな娘の悪女な本性を見抜き娘に麻酔をかけ勝手に巨大な女郎蜘蛛の刺青を彫った。清吉が刺青を彫り終わり女が目覚めたとき女は内面まで別人のようになっていた。刺青を入れることで仮面をかぶるのではなく、刺青を入れたことで女は仮面が取れたのだろうか。

  • 「いれずみ」ではなく、「しせい」と読むということを初めて知ることになった谷崎の処女作。短い文章の中に、倒錯性が凝縮されている。

  • なんというエロティシズム!女の肌に彫られた女郎蜘蛛が今にも動き始めるかのように映像として脳裏に焼き付けられた。

  • 人の肌に針を刺し痛がってあげる声に快楽を感じ、女性の体や女性に支配されることに喜びを感じるなど独特な感性が書かれていた。美しい人だからこそ良いものがあると清吉は考えていた。清吉が娘の背中に施した巨大な女郎蜘蛛は、怖がりな娘がもともともっていた魔性を解き放たせるものであった。女郎蜘蛛は雄よりも5から6倍大きいらしく、目立つ模様をしていて、鮮やかで美しい。雄を支配する性質を持っているため清吉はこの女性に支配されたい欲からこの刺青を入れたのだと思った。刺青を入れられたその娘の支配欲は強まり、清吉を魅了する美しさだということがわかった。自分の手でより妖艶な女性を生み出し、その人に支配されることに快感を抱いていた清吉。作品の冒頭に「愚か」という言葉がある。これは女性に支配されることが愚かで愛おしいということを表しているとわかった。清吉の変わった趣味とこの作品の独特な世界観が私にとっては美しく妙にリアルさを感じる不思議な作品であった。

  • 谷崎潤一郎の作品である「刺青」についての見ていきたいと思います。
    それでは、まず、作者である谷崎潤一郎についてみていきたいと思います。
    1886年7月24日で、東京・日本橋蠣殻町(かきがらちょう)に誕生。日本橋蠣殻町とは、現在の日本橋人形町のことです。
    1908年、東京帝国大学国文科に入学するも、授業料未納のかどで退学。
    谷崎の処女作であり、今回発表する「刺青」を発表したのは、1910年です。
    そして、1965年7月30日、腎不全から心不全を併発し、神奈川県湯河原の新居にて亡くなりました。
    京都市左京区鹿ヶ谷法然院(さきょうく ししがたに ほうねんいん)に葬られています。

    では、次に作品「刺青」について、場面設定・登場人物・あらすじをそれぞれ見ていきましょう。
    場面設定について。時代は、明治維新前の日本。刺青の全盛期です。
    主な登場人物は二人です。まず、主人公である清吉(せいきち)。著名な彫り師であり、
    サディスト。自分が認めた美女に刺青を彫りたいという夢を抱いています。もう一人は「娘」、名前は出てきません。彼女は、清吉が通っている芸者の妹分・辰巳芸者であり、清吉も惚れる美脚の持ち主。また、潜在的な悪女の素質も併せ持つ者です。
    最後に、あらすじについて。
    江戸の文化が残っている時代。清吉という腕利きの彫り師がいた。清吉には、痛みに苦しんでいる人の様子に快楽を覚えるきらいがあった。そんな清吉は、「自身が認める美女に刺青を入れたい」という願望を抱いていた。あるとき清吉は、籠から出ているある娘の脚を見て「あの娘こそが求めている美女だ」と確信するも、追いつくことができず会うことが叶わなかった。数年後、偶然にもその娘と再会した清吉は、娘に悪女の絵を見せ、娘に
    潜在する悪女の素質を目覚めさせた。そこで、清吉は娘に麻酔をかけて眠らせ、その間に大きな女郎蜘蛛の刺青を入れた。その後目覚めた娘は以前とは違い鋭い目をして、まるで別人のようになっていた。
    簡単に言うと、このような物語です。

    ここから、「刺青」にみる「谷崎の歌舞伎好き」について触れていきたいと思います。
    なぜ、谷崎が歌舞伎好きとなったのかについて説明します。
    まず、内向的であった幼少期の谷崎は、歌舞伎役者の子役のように、晴れ着を着ることで自信に満ちた姿を獲得するという体験が影響しています。幼少期、家が裕福であった谷崎は、谷崎が言うところの「役者の子役のようなおしゃれななり」をすることができました。また、幼いころから乳母に育てられた谷崎は、美衣を纏わせる事が好きだった母と、晴れ着を着て歌舞伎を見ることが好きで、母への思慕とも相まって、晴れ着に対する思いは
    さらに強まったと考えられます。
    谷崎がなによりも歌舞伎の衣装にこだわりを見せたのは、歌舞伎役者が衣装によって立役・敵役・女方・道化・老役に早変わり出来たように、歌舞伎の子役のようなおしゃれな晴れ着が、自身に満ち溢れ、美しい母に愛されるためのペルソナであったことが大きいと思われます。
    それでは、作品内にみられる「谷崎の歌舞伎好き」について見ていきましょう。
    たくさんの「谷崎の歌舞伎好き」がわかる場面は多くありますが、ここでは一つの場面に絞って紹介したいと思います。
    それは、「刺青」の結末部。娘が衣を脱ぎ、刺青を見せるというシーンのことです。
    このシーンは「刺青」の最後三行。
    「帰る前にもう一遍、その刺青を見せてくれ」
    清吉はこう云った。
    女は黙って頷うなずいて肌を脱いた。折から朝日が刺青の面おもてにさして、女の背なかは燦爛(さんらん)とした。
    という部分のことです。
    これは見せ場を作ったのだと考えられます。
    娘はこの時、地味な装いで髪を下ろしていたと思います。そして裕福な家で育った品の良さを感じる、16-7歳の少女の真っ白な背中に毒々しい赤と黄色を帯びた女郎蜘蛛が表れる。
    ここに使われているのが、歌舞伎の手法である「肩脱ぎ」「ぶっ返り」であることは想像に難くありません。
    「肩脱ぎ」とは、片肌または両肌を脱ぐことで下着や襦袢(じゅばん)を見せて性格や心理の変化を表す手法です。「ぶっ返り」は一瞬にして衣装を取り換える「引抜(ひきぬき)」という手法の一種で、隠していた本性が表れるときに使われます。
    「肩脱ぎ」「ぶっ返り」のような演出の後には、役者は動きを止めて見栄を切って絵画的な美しさを強調することが多いですが、こうした効果は自然と読者の脳裏にある「肥料」の絵と二重写しされ、鮮やかな幕切れを描き出していると考えられます。
    「肥料」の絵とは、清吉が娘の本性を目覚めさせるために見せた悪女の絵のことです。

    最後に「刺青」の「興味深いこと」についてみていきます。
    フランスのプレイヤード双書。パリのガリマール出版社刊行の、フランス文学を主とする、世界文学全集。選定した作家の作品を収録したもので、ギリシャ悲劇から、ヘミングウェーまで、世界の名著に周到な注を付して収めたシリーズとして名高いそうだ。
    そんなフランスのプレイヤード双書に初めて日本人作家が収録されました。刊行された第一巻は、出世作「刺青」から「猫と庄造と二人のをんな」に至る三十四作を収められました。
    半数は仏訳(ふつやく)で、「日本文学の伝統に現代性を溶け込ませた」谷崎文学の成り立ちをたどれるとして話題を呼んだそうだ。
    その年の春、恒例のパリ書籍市が日本文学を特集したこともあって、谷崎以外にも日本文学の翻訳刊行が相次いだそうです。
    他にも、有名な日本文学者がいる中で、初めてフランスで取り上げられたのが、谷崎潤一郎だったのはとても興味深いことだと思います。実際、私は今回授業で調べる機会がなければ、知らないままだったと思います。
    このような意外性を孕んだ、谷崎潤一郎の処女作「刺青」。6,039字という短さで、読みやすいことは勿論、満足感もあります。何か文学作品を読みたいけれど、長いものを読む時間がないという方も、まだ谷崎潤一郎の作品を読んだことがない方にもおすすめできる作品です。ぜひ、手に取ってみてはいかがでしょうか。

  • 六つのストーリー別に簡単に述べた後、最後に全体の感想を書こうと思います。

    「少年」
    学校では目立たない信一は、ある金持ちの家の次子であり、家では姉や馬丁の子である仙吉をいじめて遊んでいた。「栄ちゃん」も、その仲間に加わって遊ぶようになるのだが、あるきっかけを機に姉と信一の立場が逆転する。マゾヒスティックな誘いは妖艶である。信一は次第に姉の前に屈していくのだった。

    「幇間」
    幇間の三平は、人に面白可笑しがられるのが大好きな性分であった。好いたおなごに言い寄ろうとするも笑いを取るネタにされてしまう。それでも彼は、「卑しいprofessionalな笑い方」をしてかれの性分を貫いた。その姿は、可笑しくもあり、悲しくもあった。

    「秘密」
    秘密に憧れ、隠居した主人公。ある時彼は、女装して外出することに快感を覚えるようになり、顔に塗りたくった化粧の下に隠れた秘密を密かに楽しむようになっていた。
    ある日、昔恋に落ちた女と出会すのだが、彼女の美しさは健在で名も所も知らない彼女は正に「夢の中の女」であった。そんな中、所を暴きたいという好奇心が抑えきれなくなってそれを実行してしまう。その瞬間、女の秘密は暴かれ「夢の中の女」ではなくなった。
    「秘密」は「秘密」であるからこそ魅惑的で美しい。しかし、「秘密」を暴くのは簡単で、それを見てしまった時、その美しさは幻と化す。
    彼は、「秘密」などという手ぬるい快楽には満足しなくなって、血だらけな歓楽を求めるようになった。

    「異端者の悲しみ」
    谷崎の懺悔の記だが、そこにも美しさは確かに存在する。
    友人の死、妹の死に軽薄な自分に罪悪感を抱き、それをうやむやにしてしまう悪夢。彼の文学はここから生まれ、生き続けているのだ。
    彼の見た美しさを、私も見たい。

    「二人の稚児」
    それほど仏に嫌われて居る女人が、どうして菩薩に似て居るのだろう。それほどの容貌の美しい女人が、どうして大蛇よりも恐ろしいのだろう。(229)

    寺で育った二人の稚児は、女というものを知らない。その未知の世界への好奇心は日々膨らむばかりで、千手丸はとうとう下界へ降りてしまう。
    浮世の愉しさを知った彼は、共に育った瑠璃光丸をその世界へ誘うが、瑠璃光丸は仏の教えを守り続けるのだった。
    浮世を知らなかった千手丸は、初めて目の当たりにした景色を、どう感じただろうか。
    二人の稚児の、果たしてどちらが本当に幸せだったのだろうか。

    「母を恋うる記」
    美しい日本語で描かれる幻想的な光景。あたかも目の前に存在するような景色が懐かしくもあった。そんな情景を夢の中で歩く、子供だった「私」も「今年で三十四歳になる」。「そうして母は一昨日の夏以来この世の人ではなくなっ」た。母を想う心と、母を思わせる光景とを、夢の中の世界で描いた秀作。

    シンプルなストーリーの中に、彼の独特の美的描写とマニアックさが見えた。
    特に、「秘密」が面白いと思った。主人公は秘密に快感を見出す人であり、秘密を探したり、作ったり、暴いたりしていた。そして他人から向けられる目を楽しみ、優越感を感じていた。ここから、主人公が秘密に快感を見出していることわかった。
    人は秘密というものに魅力を感じたりする。主人公はそれがさらにエスカレートした人なのだと感じた

  • 冒頭から「全て美しいものは強者であり、醜いものは弱者であった。」という言葉が強烈であった。主人公の刺青師である清吉は、自ら彫る人から刺青の構図までを決め、更にはその刺青をすることに苦しむ男の声に快感を覚えている様にとても猟奇趣味な人間であると感じた。また散々男の刺青を施しているのに対し、夢は美女に姿勢を施すことというのもなかなかである。そんな清吉は今までどんな女を見てもこの人だという女には出会えずにいたのにもかかわらず、平清の前を通りかかった際に見つけた女は足を見ただけで今まで求めてきたような女だと思い、翌年に出会った時にもそれに気が付いたということも、かなり奇妙な人である。それに伴い冒頭に述べた美しいものは強者という、その基準は決して容姿だけではないのだということを表しているとも感じた。
    また娘(清吉が惚れた女)に関しては、薬を与えられ眠っている間に勝手に姿勢を施されたにもかかわらず「お前さんは真先に私の肥料になったんだねえ」と言ったその姿は一見すればこれから先もいろんな男たちをただ肥料としていく性分の女として見られるが、女の強さを描いているようにも感じられた。清吉も娘も、娘の背中に清吉の魂と生命を注ぎ込んだ女郎蜘蛛の刺青を彫り上げた瞬間お互いの性格がガラッと変わるのが非常に面白い。私は、女が痛みに耐えて色上げを終えた途端、打って変わって態度が大きくなりまるで別人のようになったところで思わずゾワっと来た。清吉も女も、1つの刺青だけでそんなに情緒が変わるものなのか、と不思議に思う部分もある一方、その一つの刺青にすべてを注ぎ込んでいるのだという熱い思いも伝わってくる。
    冒頭に述べたように「全て美しいものは強者であり、醜いものは弱者であった。」とあるだけにこの作品の1番伝えたい言葉はこれであると感じていたが、読んでいる途中、既に清吉が美女だと感じている女が苦しみながら刺青をされる側であることに違和感を感じることもあったが、最後のどんでん返しで清吉を圧倒する女の変わりっぷりにはきっと誰もが驚き、納得する場面であると思う。
    一度この作品を読んだだけでは若干理解が難しい部分があったが、読み返すことでなるほどと感じることが多くあった。また刺青ということで読んでいるうちに自分自身も作品の中に入り込み刺青を彫る、色上げをする痛さがひしひしと伝わってくるような感情移入をしてしまう作品だった。短編ではあるがとてもインパクトのある作品であり、この短い中にも谷崎の独特な世界観をよく表している作品といえると思う。

  • 美しい情景が浮かぶ。
    鏑木清方の刺青の絵を思い出す。

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著者プロフィール

1886年(明治19年)〜1965年(昭和40年)。東京・日本橋生まれ。明治末期から昭和中期まで、戦中・戦後の一時期を除き執筆活動を続け、国内外でその作品の芸術性が高い評価を得た。主な作品に「刺青」「痴人の愛」「春琴抄」「細雪」など、傑作を多く残している。

「2024年 『谷崎潤一郎 大活字本シリーズ 全巻セット』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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