痴人の愛 [青空文庫]

著者 :
  • 青空文庫
  • 新字新仮名
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感想 : 10
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  • 『痴人の愛』は、マゾヒズムを象徴すると言われる所以がわかる作品だ。

    会社で「君子」と呼ばれる真面目なサラリーマンの主人公・河合譲治が、カフェで給仕をしていた美少女・ナオミを見初め、自らの妻にする。はじめは、「陰鬱な、無口な児」のように見えていた彼女も成長し、「魔性の女」へと成長したナオミに翻弄されながら、主人公は彼女に溺れていく。

    本作で印象的な馬乗りの場面は、マゾヒズムを彷彿とさせる代表的な箇所と言える。しかし、卑しい表現は感じられず、一つの美のかたちが書かれているように思われる。これは、谷崎の思い描く「美」というものであり、彼らしい表現ともいえる。その場面はぜひ、自ら読み、体験してほしい。

    最後に、本書には「私自身は、ナオミに惚ほれているのですから、どう思われても仕方がありません。」と書かれていることから、譲治は彼女に翻弄されるも決して哀れな人物ではなく、幸せな人物といえるのではないかだろうか。この文からは、愛のかたちとは一体どのようなものなのかについて考えさせられる。

    本作は、耽美派を代表する小説家・谷崎潤一郎らしい作品といえるだろう。

  • この小説の著書である谷崎潤一郎は明治末期から第二次世界大戦後の昭和中期まで、戦中・戦後の一時期を除き終生旺盛な執筆活動を続け、国内外でその作品の芸術性が高い評価を得た小説家である。彼の作品は女性の美しさを主張する男性が主役になっている作品が多く、話の内容も官能的なものやマゾヒズムな要素を含むものが多い。この「痴人の愛」もその作品のうちのひとつである。
    この物語は、震災前の東京も横浜を舞台にしている。この時代は西洋文化の影響を受けた流行りの最先端をゆく若者が街に進出した時代である。
    主人公の私(河合譲治)がカフェで働いていたナオミという西洋的なタイプの美少女を引き取り、自分の理想の女性に育て上げるべく彼女に全てを注ぎ込むが、わがままを許され性的に奔放な娘へ変貌するナオミに失望しながら、その魔性に溺れて人生を捧げる譲治の、狂おしい愛の記録である。そんなナオミの何事にも縛られず、自分の思うがままに振る舞う魔性の女という特徴から「ナオミズム」という言葉を生み出した。
    そんなナオミのような女性に対し、「イライラする」「めんどくさい」と思う人も少なくないだろう。だが、私はナオミという女性にとても憧れを持った。最近では恋人のことを考えすぎてしまったり、更にはどんなに雑な扱いや酷いことをされても愛ゆえに許してしまうなどといった、恋人に対しての依存状態に悩んでいる、いわば「メンヘラ」と呼ばれる女性が多いように思える。
    けれどナオミは自分の美しさを自覚し、どんなに好き勝手な行動や言動をしても譲治は絶対に自分を手離さないという確信を持ち、自分を支配しようとする譲治と立場を逆転させ、更には依存をさせる立場になったのだ。自分の美しさに絶対的な自信を持ち、男性を振り回すことができる女性はどれほど存在するのだろうか。たしかにナオミは天性の性悪女と言っても過言ではないが、彼女のように強い自信を持ち、わがままに生きている女性に強い憧れを持った。
    また、そんなナオミを愛し、何をされても許してしまう譲治はマゾヒストと言えるだろう。マゾヒストの男性は男性らしくないと思う人もいるだろうが、サラリーマンとして働いている譲治にとって社会の中で男らしく振るわうことは必要不可欠である。そんな中でナオミは譲治にとって、自分の弱さや情けないところを見せられる特別な存在なのだろうと感じた。「痴人」とは愚かな者、理性がない者という意味だ。この物語での2人の愛の形はとても偏ったものだが、これが2人の幸せだというのなら愛の形はどんなものでも良いのだと感じた。

  • 我儘を許され性的にも奔放な娘へ変貌するナオミに失望しながらも、その魔性に溺れて人生を捧げる主人公の狂おしい愛の記録。私たちが現代の価値観をもってしてもなお「狂気」を感じる作品である。

  • 本作品は関東大震災の翌年の1924年から連載され、翌1925年に書籍として出版された。ヒロインであるナオミの自由奔放で小悪魔的な性格から、この様な女性を「ナオミズム」と呼ぶほどに当時から人気かつ影響力のある作品である。
    主人公の河合譲治とナオミの恋愛と結婚を描写した作品である。河合はナオミの不貞行為に振り回されながらも結婚生活を続け、しまいには彼女の不倫すら甘受するようになる。また、作中に河合のマゾヒズムが描写されている。人間味があり官能的な作品である。
    理性だけでは抑え切れない人間の欲望や堕落さを味わえるわたしの大好きな作品です。

  • 誰かの美しさに狂おしいほど陶酔したことはあるだろうか。『痴人の愛』は、一人の女性の美に溺れていく一人の男の物語である。

    『痴人の愛』は文豪、谷崎潤一郎によって書かれた長編小説である。谷崎の作品は女性崇拝の思想が要となっているものが多い。この作品もその一つである。

    主人公の河合譲治は、浅草の雷門近くにあるカフェエ・ダイヤモンドという店の給仕女である十五歳の少女ナオミに目をつけ、彼女を引き取り理想の女に育て上げようとした。同居後の彼女の生活は贅を尽くし、またやがて複数の男性と関係を持ち、不義密通を繰り返していくこととなる。そんなナオミに呆れ、激怒することがありつつも、彼女の美や魔性に翻弄され彼女に溺れていく。ナオミの美と魔性、それに陶酔していく譲治を描いた耽美主義小説である。

    譲治の自分のなにもかもを犠牲にしてまでナオミに酔いしれていく姿。ここまでして一人の女性に執着していく様子は恐らく普通ではないだろう。しかし、譲治はもとよりナオミの美に憑りつかれており、また、その彼女を引き取りこの数年育て上げてきたのは誰でもない譲治自身なのである。そのため、ナオミは自分が育ててきたのだという執着心や、さらにそれに付随してナオミに対する所有欲も感じられる。かけてきた時間の分だけより強い執着的な愛が譲治の中に生まれていったとも言えるのではないだろうか。ナオミの妖艶な美しさや魔性とそれに対する譲治の狂おしいほどの愛。そんな耽美な世界にこちらも“陶酔”することができる、そんな作品である。

  • 生真面目なサラリーマンの河合譲治が、カフェで出会った美少女ナオミに一目惚れし、自分好みの女性に育て上げ妻にする。しかしナオミの回りにはいつも男友達が群がるが、それでも譲治は魅惑的なナオミに抱えきれないほどの愛を感じ、身を滅ぼしていく。

    私はこの物語を読んだとき一番に、人間の欲望深さやそれに対する嫌悪を感じた。しかし作者の谷崎潤一郎は、その人間の汚い部分を美しく表現しており、読み進めるほど感情移入してしまうような作品であった。

    ナオミは譲治を奴隷のように都合良く扱っているのにもかかわらず、譲治はそれでもナオミに対する愛をすべて捧げようとする。

    ナオミは最後なぜ譲治のもとに戻ったのか。多くの男友達をもつナオミなら、もっとお金持ちだったりハンサムだったりなんでも自由にさせてくれる男は探せばいくらでもいただろうし、探さなくても妖艶な雰囲気を漂わせるナオミには寄ってきたはずだ。現にナオミには、譲治と別れる前から多くの男たちがいた。

    それなのに、すんなりでなくともナオミは譲治のもとに戻ってきて、ついに譲治とナオミは、再び夫婦という形をとりながら好き勝手に生きることの出来る人生を手にいれた。

    ナオミにとって、お金持ちでもハンサムでもない譲治がなぜ良かったのか。

    私は、ナオミだけに跪き陶酔し脱落していく譲治だからこそ、彼が選ばれたのではないかと思った。彼こそ、ナオミの魅力を引き立て、ナオミに満足感を与えてくれるモノなのだ。

    これも愛と呼ぶのだろうか。読み終わった後もしばらく、様々な愛の形について、人間の醜い場面について深々と考えられる作品であった。

  • 「痴人の愛」は、谷崎潤一郎の作品。真面目な主人公、河合譲治はカフェの女給であったナオミという女性に出会った。譲治はナオミを育て、一人前のレディーにし、お互い良い時期に好き合っていたら妻にしようと考えナオミを引き取った。いざ引き取って育てようと思うと想像とは違ったものの、ナオミのわがままを断ることができず、気づくとなんでも許してしまう。ついには男遊びまでも許し、ナオミの奴隷として生きている、という話だ。「ナオミズム」という言葉を生み出した作品でもある。

    私はナオミのように、自由奔放で男を侍らせて生きているような女性は現代では一定数いると思う。当時ナオミのような男は許されたが、ナオミのような女は許されなかったのだろう。現代でもいまだにその価値観が残っていると感じるが、当時よりはナオミのような女性への風当たりは、「女性」なのに、という観点からは批判されにくくなったのではないかと感じる。

    ナオミのしている小悪魔的行為は、倫理的には決していいことではないのだと思う。実際主人公もナオミに魅了されながらも苦悩している。しかし、周りの男たちが納得している場合、倫理的価値観に基づいていたとしても、それは他者が批判してよいことなのだろうか。当事者でない我々がナオミの行為を、ナオミ自体を批判、断罪してよいものなのだろうか。個人の範囲、仲間内でする分には構わないし、意見交換はするべきだと思うが、現代のいわゆる文春、ニュースなどのような媒体で取り上げ、社会的にお茶の間で批判されるべきことなのだろうか。現代はこのような問題が少なからず存在しているように思う。一度この作品を通して、ナオミとその周りの男たち、ナオミズムについて考えてほしいと思う。

  •  カフェの女給をしていた15歳のナオミを引き取り育て、いずれ自分の妻にしようとしていた男が、だんだんとナオミに翻弄されていく話になっている。

     自分よりいくつも年齢が下の女を自分好みに育てて、いずれは自分の妻にするというところが源氏物語の光源氏と若紫を彷彿とさせる。実際に谷崎潤一郎は源氏物語の翻訳も行っているため、源氏物語にインスパイアされこのような設定になったように考えられる。

     痴人の愛のナオミから「ナオミズム」という言葉が生まれるほど、ナオミの小悪魔っぷりが当時は反響を呼んだ。

     しかし、そんなナオミも物語の前半部分では、咲いている花を見つけては「きれいな花だ。」と歓喜するような少女であった。それをゆがませてしまったのは、ナオミの先天的な性癖が関与している部分もあると思うが、主人公である譲治がナオミを甘やかしすぎたということも原因にあるのではないかと思った。

    この痴人の愛では、ナオミの視点で書かれているシーンは一度もない。ナオミの視点を考えながらもう一度この作品を読むのも面白いのではないかと思う。

  • 久しぶりに再読したが、やっぱり凄いな(笑)という印象しかない。
    どSとどMの組み合わせ、はたが四の五のいうことでもないし、好きにしてくれればいいなあと思うけれでも。しかし同好の士でないと、この世界の真の理解は難しいのだろうなとも思う。

    しかし、この人たちはなんでこう西洋かぶれなんだろう。時代背景的に、当時は日本全体が西洋の真似をする「猿」であったのかもしれない。「同好の士」ではない私が、この作品を読めば読むほど寂しくなってしまう原因は、そのへんの自己疎外状況にあるのかもしれない。

    私の大学時代の知り合いのことを思い出した。彼女も、結構な伴侶を見つけて、幸せになっているものと信じたい。

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著者プロフィール

谷崎潤一郎

明治十九年(一八八六)、東京日本橋に生まれる。旧制府立一中、第一高等学校を経て東京帝国大学国文科に入学するも、のち中退。明治四十三年、小山内薫らと第二次「新思潮」を創刊、「刺青」「麒麟」などを発表。「三田文学」誌上で永井荷風に激賞され、文壇的地位を確立した。『痴人の愛』『卍(まんじ)』『春琴抄』『細雪』『少将滋幹の母』『鍵』など、豊麗な官能美と陰翳ある古典美の世界を展開して常に文壇の最高峰を歩みつづけ、昭和四十年(一九六五)七月没。この間、『細雪』により毎日出版文化賞及び朝日文化賞を、『瘋癲老人日記』で毎日芸術大賞を、また昭和二十四年には、第八回文化勲章を受けた。昭和三十九年、日本人としてはじめて全米芸術院・米国文学芸術アカデミー名誉会員に選ばれた。

「2021年 『盲目物語 他三篇』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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