神が弱いというイメージを未だかつてしたことがなく、どちらかといえば絶対的な存在というイメージがあったため、非常に興味深いタイトルであった。
ここで書かれているのは人間らしい感情の動きや考え方、そして自分と違う相手に対する憤りと時に友人同士での自然な悪態。
これまで過ごしてきた親友のだらしなさと、それに伴う自分へ向けられた何気ない言葉からの複雑な心境が伺える物語であった。
悪口で盛り上がるのは女性だけでなく、そしていつの時代でも老若男女問わず行うことであると実感した瞬間であるが、果たして恋人が別の人を好きになった際の河野の行いは恥ずべきことだったのであろうか。
本当に人が良く場を取り持とうとしたのではなく、自分自身が"気にしていない"ことにしたく行っていた行為であると、友人たちは薄々気づいたからこそ、その後もいつまでもうじうじとしている態度に辟易したのではなかろうか。そこから生まれた感情が"悪態"となって彼ら友人たちの日常が回り始めてしまったのであろう。
だがしかし、そんな河野のが失恋から生気を取り戻し別の友人を作り始めると、それもまた不満になっていったのであろう。
悪態の矛先が時折河野では無く、親友であった雄吉へと向けられるようになると、雄吉自身が意固地になっていっているように感じた。
その心の内が垣間見えたのが、病気で死の縁にいる河野への金銭的援助の話が出た際に断ったことからも伺える。
河野自身のプライドを大切にしたのではなく、ただ、そんな甘ったれた話を受け入れてやるものかと心の何処かで思っている為、とっさに河野自身の代弁者として、プライドが許さないと断ってしまったできごとである。
そしてその出来事を言い訳するように、河野の病気が徐々に回復していったある日その出来事を伝えたところがかなり女々しい。
それが最終的にかつて親友であった雄吉と河野の住む世界が異なっていると知らしめてしまった。
方や自分と違う考えを持つ者に対する嫌悪感を隠さず悪態を付き、直接本人には決してその陰口を言えない女々しい者と、方や相手からどんなに非道な行いをされても、決して否定から入らず感謝すらする"弱い者"。
全てを受け入れるその考えこそが神のようだと雄吉は気付き、自身が決して届かない所に行ってしまった別人になってしまったかつての親友への軽い失望の中に見つけたものは一体なんだったのであろう。