学問は一生

浪人時代に知り合った大学の先生(当時70歳ぐらい)から
一生学問をしなさいとおしえられました。学問といっても本を読みなさいといわれました。皆さんどう思われますか
  • 投稿日時 : 2012-05-04 20:07:20
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生きていくための判断力を養うためには、教養が必要です。
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本を読んで、それについて自分で考えるということなのかなと思いました。

論語 (岩波文庫 青202-1)

金谷 治訳注 / 岩波書店 / 1999年11月16日

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「屋根の下の巴里」をお読みください。
  • fountainさん fountain さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-07 17:59:20
マスターキートンは昔読んだはずなのですが…覚えてなかったので、ggってみました。

***

「人間は一生、学び続けるべきです。

人間には好奇心、知る喜びがある。

肩書きや、出世して大臣になるために、学ぶのではないのです…

では、なぜ学び続けるのでしょう?

………

それが人間の使命だからです」

***

でしゃばって失礼www
  • 佐藤史緒さん 佐藤史緒 さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-07 19:04:44
そう、それそれ! その台詞です。引用ありがとうございました。キートンもその先生もカッコイイですよねー、大好きです。ああ、また読みたくなってきたなぁ。
3
そうですねぇ。
大人になると仕事があって家族がいて、世の中グローバルって言っても、結局自分の出入りする関係先ってある程度固定されてくるものですよね。
ただ、そうして自分の居場所に居て、届く範囲のことをして生きていても、時には窓を開けて外を見よ。船の舳先に立って行く手に目をこらせ。知らないところで世界が走っていることを忘れない意識を持ち続けるべきだ。本を開けば、それが叶う。
…ということでしょうか。
  • fountainさん fountain さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-06 07:36:58
素敵ですね。疲れたら、ギャンブルやお酒、ではなくというところが。「囚人が二人いた。一人は泥を見た。一人は星を見た。」という言葉を思いだしました。
  • fountainさん fountain さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-07 01:00:07
ああ、疲れたとはおっしゃってないですが。自分普段携帯からなので、回答を参照しながらコメントを書く、ということができないのです…。
0
僕ならただ学問をするなと捉えるかな。
学問、つまりは知識や方法論を学ぶことは単なる切欠だと。
それを通して自分が何を感じるかが重要だと。
何を感じるかというのは、何かを感じる自分を発見せよと。
本を読めというのはそういう事だと思う。

昔の人というのは極自然に知識を得る事と、
自分を発見する事が繋がっていた。
何かを探す事で自分なんて見つからない。
有無も言わさず沸き起こるのが自分なんだみたいな。
  • 回答No.3414-035416
  • 名無しさん 名無し さんの回答
  • 投稿日時 : 2012-05-05 11:24:36
3
”学問をしなさい”というのは文字通り「問いを立てて学びなさい」ということだと思います。「疑問を持つことで学びなさい」と言い換えてもいいかもしれません。

読書は問いを立てたり疑問を持つきっかけにもなりますし、立てた問いや持った疑問に対する答えを探す手段にもなります。

そういった意味で、学問として読書をするというのはとてもいいものだと思います。
  • fountainさん fountain さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-05 11:42:33
うーん、では、学問は手段としてヨイ、ということなのですかね。
私だったら、学問とは、学が問われていると読みます。(漢文の読み下しとかぬきにして)
学問に価値なくして、なんで学問する意味がありましょうか。
価値のないものからどうして学べるでしょうか。
主役は学ぶ側(人間)ではなくて学ばれる側(学問)だと思います。
これは論争に値するトピックだと思い、ゆえに私も自分の思いを無理に保守・固守しません。
  • 名無しさん 名無し さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-05 12:23:09
せっかくコメントをいただきましたので私も何かしら返事のコメントをしようと努めましたが、残念ながら気の利いた言葉が浮かびませんでした。

いろいろな考え方・見方・解釈があると思いますので、ご自身が納得いくものを選べばいいかと思います。
  • fountainさん fountain さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-05 12:41:19
気をつかわせてしまって、すみませんでした。
単に私の思い(「考え」なんてたいそうなものではない)だと思って軽く流していただければ幸いです。「考え」は、たぶん専門家がやってくれますね。上手にやってくれればいいのですが…
  • fountainさん fountain さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-05 12:41:49
自分が納得いくものから出発するのが必然であり、たくさんの人の「自分が納得いくもの」をすりあわせて、より学が問いに耐え得るものになればいいと思います。そして学と人間がいい関係を築き続けていければいいと思います。人間の益である学でありますようにという意味です。
  • fountainさん fountain さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-05 13:09:44
あと、これはどうしてもフォロー(失礼)しておかなければいけないことですが、学ぶこと、疑問をもつこと、答えを探すことは、目的ではなくしても、真理(笑)のために必要なことであり、その点でよいのであり、また、そういう活動によって人間がイキイキするならば、決して悪いものではない、むしろよいものでしょう。悪いと言う人もいますが“私は”ひねくれた考えだと思います。また、考えたりすることは、人間の本性に根ざした
  • fountainさん fountain さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-05 13:10:14
ことのようにいろんな分野のいろんな人たちが言っていて、それが本当ならば、人間の本性を促進することは、私はよいと思いますが、悪いと言う人もいます。
  • fountainさん fountain さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-05 13:23:58
そして、名無しさまが言いたかったことが、こうした“効果”であることは、弁えていたつもりですが、まるで意地悪みたいなことを言ってしまいましたm(_ _)m
学をうちたてることが任務である人以外は、名無しさまの仰るような“効果”の方が、より身近で、意味をもつ、という意味で、真摯に問われるべき、それこそ学のフィールドさえなしえるかもしれません。
  • fountainさん fountain さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-05 13:40:33
そして、一人芝居している自分がキモい。
  • 回答No.3414-035414
  • この回答は削除されました。
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ちょっと長くなりますが、私が痛感するのは、学問も読書も、人生の限られた時期にのみ許される「贅沢」なのだということです。大人になったら、自分の仕事に直結する勉強以外は、それがどれほど高尚なものであろうと、単なる「遊び」としかみなされません。学問を生業とする例外的な人を除いては、生活の糧にならず他者の役にも立たないという点において、学問は純粋な「娯楽」だといってよいと思います。
  • 佐藤史緒さん 佐藤史緒 さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-05 03:20:19
学生なら、学問も読書も奨励される行為です。しかし大人の場合、それらは決して無条件に褒められる行為ではありません。私はいま哲学に興味があり、その種の本を毎日読みますが、私の本業は医療ですので、患者様からすれば、そんな時間があるなら論文を読んで最新の治療法を勉強してくれと言いたいでしょう。また私は主婦でもあるので、家族からすれば、そんな時間があるなら家事をもっとやってくれと言いたいでしょう。
  • 佐藤史緒さん 佐藤史緒 さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-05 03:34:27
生活に直接関わりのない学問を公然とすることが許される。こんな贅沢を享受できるのは本当に一部の人だけです。私には「本業でない学問を堂々とできる」というのは、この上ない贅沢のように思えます。価値観は人それぞれなので「勉強しろ、本読め!」と押しつける気はありませんが、それらができることは歴史的に見ても例外的な「特権」である、ということは銘記しておいてもよいのではないかと思います。
  • fountainさん fountain さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-05 03:43:05
感想ですが、トピ主の学者さんが一生しなさいと言ったのは、価値があるからしなさいということだと、これは確実かと思うのですが、価値にあずかれるというのは特権、さらに言えば贅沢、遊び。非常に同意です。私は敢えて贅沢を享受するつもりですが、それは贅沢を贅沢たらしめるもの、すなわち価値があるからですが、だからといって追究行為が無条件に肯定されるとは思っていないです。現実的追究行為は現実的物差しで測らねばなら
  • fountainさん fountain さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-05 03:43:38
ず、その点で非常に納得のいくご意見です。
  • 回答No.3414-035373
  • miyaさん miya さんの回答
  • 投稿日時 : 2012-05-04 21:06:42
0
生きている間に知ることができるのは、そんなに多くないです。だからこその一生学問だと思います。
ちょっと考えたらわかりますが、年間365冊(一日1冊)読んでも、1万冊読むのにだいたい30年ちかくかかるわけですから、知らないことなんて、それこそたくさんあります。私なんて40半ばを過ぎてやっと3000冊に届いたかどうかですから。
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学問は私はするつもりですけども、単に向いてるからですね。そして好きだからですね。
学ぶことは学問だけじゃないと思うし、好きなことやってりゃいいんだと決して言うつもりはないしそういうのは間違いだと思うけど、正しい人生というのはなくまた決定的に間違った人生というのもないと思いますね。
結論として、試しに学問やってみるのもいい。でもそれは義務じゃない、て私の考えです。
  • fountainさん fountain さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-04 20:47:43
あと、一言付け加えるなら、学問するなら本はおそらく最高のツールですよ。そして、自分と違った考えをきける仲間がいれば言うことなしですね。
  • fountainさん fountain さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-04 21:20:32
あとー、学問はいいもんですよ。したらいいと思いますよ。ただ学問のせいでオカシくなったとしか思えない人間もいますなー。しかしそれは学問が悪いんでなくて、その人がそうなるふうにできてたんですなー。
  • fountainさん fountain さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-04 21:40:31
よっぽど好きなら自然と一生しちゃいますよ。あと仕事で一生やらないといけなくなる場合もありますね。
しかし普通はいつか飽きますよ。でなきゃ私はかえってその人の人間を疑ってしまいますね。そこで自分に強いてやり続けるか。それが正解な場合もありますよ。しかしそうでない場合ももちろん。
  • fountainさん fountain さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-04 21:41:30
飽きたからやめた、でもいいと思いますよ。でもそれが不正解である場合も。
正解とか不正解とか絶対に自分にも他人にもわかりませんがね。
どう生きたって一生の終わりにはいかにか自分の人生が腑に落ちてるものです。
腑に落ちてりゃいいってもんでもないですが。
  • fountainさん fountain さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-04 21:42:06
自己レスしまくってますが、一貫して言いたいのは、私たちは自由だ、ということです。
  • 佐藤史緒さん 佐藤史緒 さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-06 03:25:24
「私たちは自由」という意見に共感します。私たちを縛る「偏見」という名の枷から私たち自身を解き放つこと、それが学問の目的だと(そうあって欲しいと)常々思っていますので…。
  • fountainさん fountain さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-07 00:55:22
偏見から解き放って、ではどこに行くのか…ということをつい考えてしまいます。しかし解き放ってほしいと、私も思いますです。
学問が偏見から解き放つというのはあまりにも楽観的だと僕には感じるなぁ。
どちらかと言うと逆でしょう。偏見を得る(見立てる)事で物事を腹に収める(便利に解釈する)のが学問という気がします。
  • fountainさん fountain さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-07 10:27:25
私は腹におさめることは全く大事と思えないので…しかしふゆっき。さんの主張は筋が通ってるし、あー、私と対極の考え方・感じ方する人発見!と思って上の回答も見てたのですけど、これこそ意見の折り合い点がないですね。。本当、お互いがお互いの存在を許すしか、道がないですな。。
  • fountainさん fountain さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-07 10:48:44
あと、学問は偏見から解き放ち、そしてすぐに次の偏見に投げ入れる。。と私は正直思っています。だから早々に学問への期待・世界共和国とか絶対的真理とか普遍的善とか、理想を諦めて、自己にひきこもっちゃうのが賢いとも思うのです。そして世界の人間すべてがそう賢くなったら、どんなにか平和な、理想的静寂だろうとも思うのです。しかし私はそれでは少しさびしいのです。本当に、さびしい、とか、感情的次元でしか異を唱えられ
  • fountainさん fountain さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-07 10:50:16
ないほど、ふゆっき。さんの考えと私の考えとは、接点がないのです。だから反論できない。
  • fountainさん fountain さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-07 17:27:15
それは、まるで、満腹していればいいのだ。と言っているようなのです。ぐうの音も出ません。それでいい人はそれでいいのです。しかしもし「よりよく」満腹しようと思うなら、すでに「満腹していればいいのだ。」とは言えなくなるのです。自己矛盾するのです。
  • fountainさん fountain さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-07 18:15:19
そして、ふゆっき。さんは「よりよく」とは決して一言もおっしゃっていない。明らかにも、見えないようにも、おっしゃっていない。なので、つっこみどころがないのです。私はただ、それでは私はさびしい。とだけ言うことにしておきます。
  • fountainさん fountain さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-07 18:59:57
対峙する必要がほんとうにあるのは、いちばん対峙して何かが産まれるのは、お互い無矛盾のものが対峙した時、です。私が無矛盾である自信はないですが…ふゆっき。さんの意見と出会えてよかったです。しばらく、あるいは長い間、ふゆっき。さんの考えと自分の持ち前の考えをすりあわせて、結果、何が産まれるか。本当、思考だのするには人生は短すぎますね。なんだか感傷的になってしまってすみません。
  • 佐藤史緒さん 佐藤史緒 さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-07 19:31:54
なんか軽い気持ちでコメントしたら知らない間に深い議論になっててびっくりしました。気付くの遅くてすみません(汗)

〉fountainさん
「偏見から解き放って、ではどこに行くのか…」
私の現時点での暫定解は「多分、どこにも行かない」なのですが、実際どうなんでしょうね?
  • 佐藤史緒さん 佐藤史緒 さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-07 20:02:45
「学問は偏見から解き放ち、そしてすぐに次の偏見に投げ入れる」
全く反論の余地がありません。というか、この半世紀の哲学の最大の成果が、その知見を得たことらしいですね、一説によると。ただ私は、それがニヒリズムを肯定する根拠に使われるのではなく、「自分もまた偏見に満ちている」というメタ認識を得ることで、他者への寛容さが生まれるように、流血が少しでも減るようにと願います。
  • 佐藤史緒さん 佐藤史緒 さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-07 20:21:39
〉ふゆっき。さん
「偏見を得る(見立てる)事で物事を腹に収める(便利に解釈する)のが学問」
そうですね、それは確かに学問の一側面です。遺憾ながら、私を含め、殆どの人間はそのレベルで終わってしまいます…。
  • fountainさん fountain さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-07 20:22:12
>紅茶さん
いやー、「深い」議論ですか…。私は私自身の薄っぺらさに書いててずっと辟易してました。なんて思いこみ先行の人間なんだろうと。だいたい、私の主張は、「有るものは、有るべくして有らねばならぬ」一点張りなのです。気づいていただけていたでしょうか。「べし」の議論なのですよ。それこそ思い先行です。自己アピールをする必要もないのですが…許していただけるなら、
  • fountainさん fountain さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-07 20:24:52
AはAであってもBであってもCであってもいいんだ。可能性だけあって必然性がない世界。つまりなにものも存在の理由がない世界。私の世界はそういうものか。

論理は理由にならない動機にならない。
倫理は理由にならない動機にならない。
感情は理由にならない動機にならない。
理由や動機にふさわしいものが何もなく、実際理由も動機もなく行動している。

偶々、一昨日の、自分の某コミュへの書き込みです。
  • fountainさん fountain さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-07 20:29:47
(あ、コミュってmixiです。)

続きです。

***

すごくめんどくさい自己分析したあげくの結論がこれなんですけどチープで情けない
似たような方いますかね。

(なんだかカミュの異邦人みたいですね。不覚。)

***

私の正体はこういうのです。なので、私の上の、主張なるものは、実は、願望の裏返しなのです。切実に欲求なのですよ。もうちょっとおつきあいくださいね。
  • 佐藤史緒さん 佐藤史緒 さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-07 20:42:30
しかし稀に、本当に稀に、「既に存在する世界の解釈」という枠を越えて、「まったく新しい世界の創造」とでもいうべき偉業をやってのける人間が出現する。私はそう考えています。そして私は、こちらの方こそを学問の本質だと考えたいのです。楽観的過ぎというのは全くその通りなのですが、それでもやはり夢をみていたいのです…。
  • fountainさん fountain さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-07 20:45:35
私には、価値やら意味やら真理は、あらねばならないのですね。そして、しかも、あるべくしてある、という図式で、あってくれないといけないのですね。「自然とある」、ということを、人工的に作り、しかも人工的じゃない自然だ、と思い込まなければ、ならぬ。無矛盾を求めて矛盾を重ねているのです。で、私もそんなに不正直な人間じゃないですから、矛盾はわかっているのです。けど、必ずそれが無矛盾でなければならない…ハァ。
  • fountainさん fountain さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-07 21:05:43
>20:02:45
自分にひきよせた議論させてもらってしまうと、「偏見によらずして、無矛盾はありえない。」「偏見を持ってでも、無矛盾をめざしたい。その必要があるから。」
かなり昔の論理ですよね。21世紀の人間には無理があります。困ったものです。で、「偏見から解き放って、偏見にしか行けないが、それでも偏見より以上のものに行かなければならぬ。」となるのです。欺瞞的に、けれど真剣に。
  • fountainさん fountain さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-07 21:08:59
>紅茶さん
「ニヒリズムを肯定する根拠に使われるのではなく」
「他者への寛容さが生まれるように」
「流血が少しでも減るように」
これを私も心から願うものです。
  • 佐藤史緒さん 佐藤史緒 さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-07 21:16:45
〉fountainさん
こちらこそ貴重なご意見ありがとうございますm(_ _)m
ただ、これ以上トピ主さんの質問から飛躍するなら別スレッドを立てた方がいいかもしれませんね。どうしましょう?
〉ureigaonokishiさん
おしゃべりの場を提供して下さってありがとうございましたm(_ _)m
  • fountainさん fountain さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-07 21:28:26
最初に戻って…

「私たちは自由だ」に、自分がこめさせてもらった意味は、(こうして、私のこのようにじたばたすることも、許されている)という、また、自分も他人も世界も全部ひっくるめた、もし核戦争で全人類が滅亡しても、それを肯定してみせよう、という、意思表示のつもりでありました。多分全然予想もつかない、内実だったでしょうが…なんでこういう言い方になったかは、非常に人に説きがたく、多分興味もないかと…
  • fountainさん fountain さんのコメント
  • 投稿日時 : 2012-05-07 21:36:40
>紅茶さん
>これ以上トピ主さんの質問から飛躍するなら別スレッドを立てた方がいいかもしれませんね。どうしましょう?

いやー、まあ、私が自重すれば大部分解決するんじゃないかとw

というわけで、そうしますwww

ブックのログ的な話題じゃ全然ないですし、別トピ作ったら、迷惑に迷惑を重ねるだけかと。

トピ主さん、すみませぬでした。。まあ私は面白かったですwww
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